「佳作」
《佳作》
「お前さぁ……」
一軒家。俺の家には一部屋、一般人では持ちえないであろう部屋がある。
“作家のアトリエ”
四方八方に天井まで本棚があり、2つある机上にはペンやメモ帳、パソコンが置いてある。
なかなかに良い雰囲気で、見る人が見たら最高の趣味の場所。と言うかもしれない。
が、俺にとっては第二の仕事場だ。
そんな場所で、ピコピコとゲーム音が鳴り響いている。
「え?なんすか」
この態度がでかい若い男……楓はとりあえずゲームを一時停止して俺の方を見る。
「いや……、今月……8月の執筆量どれくらいだ?」
「一万行くか行かないかくらいっすかね。」
「はぁぁぁ……、」
「そーゆー先輩はどうなんすか?」
「4万ちょいだ。」
「ふーん。そーなんすね。まぁジャンルが違うので仕方ないっすよね。」
「お前さぁ……、……今までなにか本気でやったことあるか?この際なんでもいい。聞かせろ。」
「そんなの、ないっすよ。あっいやいや別に謙遜っとかじゃなくってですね。ふつーに。」
「1回、本気でやってみたらどうだ?」
「……」
「何かを本気でやってみて、違うなって思ったらまた探せばいい。……ここはそんな厳しいところじゃないんだからさ。
ほら、俺と楓じゃあ、ジャンルも違うし。
俺がなにか口厳しく言うこともねぇ。」
「でも、何からやれば……」
「来月にあの会社主催のシーズンコンテストがある。それに全力を注いでみろ。」
「……分かりました。」
……
それからあいつは死ぬほど努力した。俺とは書くジャンルが違ったから、それがどれくらい凄いものか、なんてあんまり分からなかったけれど、それでも……すごい大作だったと思う。
俺は楓がどれくらい努力をしたのか知っている。一番近くで見ていたのが俺だから。
だから、結果は、予想通りだった。
「先輩っ!最優秀賞らしいっすよ俺の小説っ!」
俺がアトリエの部屋に入った途端、大声で嬉しそうに報告してくれた。……ずっと、待っていたのだろう。
「……、凄いな!おめでとう。」
「へへっ、なんかやっぱ、先輩に面と向かって言われると照れるっすね」
頭を軽くかきながら視線を逸らす。
「いや、すごいよ……だって、二作品目だろ?」
「っすね。発表されてからもう電話とDMの嵐っすよ。」
そう言った瞬間、電話が鳴り響く。……もちろん、楓の電話。
「あ、鳴ってるぞ。」
「あぁっ、すみません。じゃあちょっと、仕事に戻ります。」
「おう。じゃあな。」
笑顔で軽く手を振ると、自分の机に戻って電話を取る。
どうして。
どす黒い感情が胸中に落ちる。
深い鉛を胃に飲んでしまったような黒い感情。
どろっとしたそれは、俺の目から溢れ出てしまった。
メモ用紙をくしゃくしゃに握りしめて、下を向く。
ぶつけられない喉に詰まったような感情。
誰にも、誰にも話せない。
吐き場所を失った。いや、そもそも存在すらしていない。
この感情を、俺はよく知っている。
元々、俺に向けられていた感情。
いや違うか。
俺を見る人達同士で勝手に生まれていた感情。
俺は、馬鹿だと思ってた。
人は人、自分は自分。そして、そんな感情を持つ暇があるのであれば、努力をすればいいと。
その通りだ。それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、俺は……、どうしようもなく悔しくて。
それをかき消してしまうほどの
狂った嫉妬心を持ってしまった。
素直に後輩を褒めて、
一緒に喜ぶこともできない自分は
なんて最低なのだろうか
……
そこから、1年弱の時が流れた。
後輩の楓は順調に仕事を増やしていき、今は長編を執筆中……らしい。
らしい、というのもあれ以降お互い時間が合わずに会話をほとんど交していないからだ。
情けない。
そんなの言い訳だろうに。
あっちに気を遣わせているのは十二分に理解している。
どこまで行っても、どの方面においても、
俺は彼より劣っている。
……あれから一年弱。
俺は一文字も書けていない。
わからない。俺は今まで、一体どうやって書いてきた?俺は今まで……どうやって頑張ってきた、?
気を遣わせている……とは言ったものの、俺自身ここに来ている時間が確実に減っている。だって、書けないのならばここに来ても意味がない。
現に、今もパソコンの目の前で座っているが、原稿用紙はまっさらだ。
「せーんぱい。」
久しぶりの軽い口ぶりに俺は少し身構えてしまう。
ちゃんと、しなければ。
「おぉ、どうした?」
「俺、生まれた時から基本何でもできる人だったんすよ。」
唐突にそんな話を持ってくる。……知っている。お前より俺は、そのことを知っている。
お前は……器用で、優しくて、何より才能がある。元々の理解力の高さや人あたりの良さ。
全てにおいて、恐ろしいほど完璧な人間。
「でも……いや違うか、だから何にも興味を持てなかった。
でも、そんなつまんない人生は、先輩と会って変わった。先輩を見て、ああ、こんな風に、なにかに一生懸命になれる人間に俺もなりたいって、心の底から思いました。
好きなことを心の底から楽しんで、
全身全霊で走ってる先輩の姿が、
俺はすっげえ好きなんですよ。」
照れもせずにそんなことを言ってみせる。真っ直ぐな瞳で楓は俺を見る。
あぁ……くそっ、……そういうところだよ。
「……あとは任せますよ。」
それだけを言い残して、アトリエから立ち去っていく。
悔しい。狂ってしまいそうな嫉妬心も、まだ残っている。けど、……あぁそうだよ!!
お前の言う通りだ。
俺は文章を書くことが何よりも好きで、
それを愛して、それが俺の逃げ場でもあり、
ったく、いつから逃げ場じゃなくて追われるようになっちまったんだ。
この一年、小説と出会ったあとの人生で、1番つまらなかった。味気なかった。
生きている感覚がしなかった。
あぁ、……結局、結局お前から背中を押されないと俺は前には進めねぇのか。
けど、今はそれでいい。
いつか、追いついて……いや。
追い越してみせる。
……
翌日、俺はいつもより1時間早くアトリエに入った。色々理由はある。
1つは、次の大会に出ることを決めたからだ。……去年と同じ。シーズンコンテストが1か月後にあった。それに、作品を出してみようと思う。
2つは、もう一度、この道を進むということを態度で示したかったからだ。
……だが、そこにはもう既に先客がいた。
「1年間のブランクはそこそこデカイっすよ?」
楓はにィっと笑みを浮かべながら俺を見上げる。
「上等だ。」
……
それから、1ヶ月が経った。
シーズンコンテストで、楓は二連続最優秀賞、俺は佳作にすらならなかった。
悔しい。やっぱり、とても悔しい。
でも不思議と苦しくなかった。
あぁ、上等だよ。いくらでもやってやる。
俺は封筒を自分の机の棚に片付ける。
「やっぱ、楽しいことって離れられないっすよね。」
楓が嬉しそうに俺に笑顔を見せつけてくる。
「あぁ。」