(7-14)
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後日、松平信康が清洲へわびにやって来た。
これは酒井忠次から俺に信長の機嫌について問い合わせがあり、弁明をおこなうべきと助言したことから実現したものだ。
実際のところ、信長はこのたびの失態に関して『是非もなし』以外の感想を言葉にも態度にも表してはいなかった。
だが、だからこそ、相当な怒りであることが俺にも分かっていた。
いつもの信長なら怒鳴り散らすはずだ。
復讐の念を抱いているのは俺だが、面子を潰されたのは信長だ。
表面上の落ち着きの裏にある真意は計り知れない恐怖だった。
案の定、織田家の重臣たちの前で、松平家当主である影武者の信康と対面すると、信長は開口一番、厳しく叱責した。
「このたびの失態、いかがいたすつもりだ。その方どもの配下にある者が起こした反逆行為であるからこそ、その方どもの手で始末させようとしたわしの顔まで潰しよって」
「誠に申し訳ございません」
信康以下、付き添いの酒井忠次も畳に額をこすりつけて謝罪するしかなかった。
とはいえ、これは予想していたことであり、それを踏まえて俺には腹案があった。
「お待ちください」と、俺は頭を下げながら前に進み出た。
「なんじゃ」と、信長は癇癪を隠そうともせず扇子を俺に投げつけた。
「水野の残党を取り逃がしたのはたしかに落ち度かもしれませんが、むしろ、今川討伐の口実とすればよろしいのではないかと」
水野と今川のつながりがはっきりしたことで、裏切られた松平と武田への使者である俺を襲撃された織田の両家に大義名分が生まれたのだ。
「なるほど」と、信長は落ち着きを取り戻して顎を撫でていた。「その方の申すこと、筋は通っておるな」
柴田勝家がにじり出た。
「お館様、まずは今川義元に水野信近の引き渡しを要求いたしましょう」
「よし、すぐに使いを送れ。返答次第では、戦になるぞ」
そして、信長は松平の一行に向かって下知を与えた。
「このたびのことは不問といたす。二度と討ち漏らすことは許さぬぞ。しかるべき備えをしておけ。よいな」
松平信康は額を畳にこすりつけて感謝の言葉を述べた。
「寛大なご処置ありがたき幸せに存じます」
切り替えの早い信長は紅潮していた顔をすっかり落ち着かせて手元の饅頭を口に放り込み、茶をすすった。
「光秀!」
「ははっ」
「長篠にいる前田利家を織田家の大将として松平家に加勢させる。その方が軍師として必ず勝利を収めさせろ。いいな」
「かしこまりました」
「手段を選ぶな。必ず仕留めろ。今川に煮え湯を飲ませてやれ」
そう言い残すと、信長はさっさと立ち上がって奥へ引っ込んだ。
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