第1章 清洲城の日々(1-1)
第1部からの続編です。
まだお読みになっていない方は、作者リンクからご覧ください。
裏切りの軍師明智光秀として織田信長に仕えることになった俺はまず尾張国の改革に着手した。
俺の提言で足軽大将に昇進した木下藤吉郎は羽柴秀吉と改名した。
「お館様からいただいた立派な名前だが、どうにも慣れぬのう」
腹をぼりぼりと引っかきながら秀吉がこぢんまりとした武家屋敷から顔を出す。
俺と秀吉は隣り合った屋敷をお館様から拝領していた。
「おぬしも明智光秀などとたいそうな名前になりおって。偉そうで似合わんぞ」
苦笑していると、屋敷の奥から出てきた寧々(ねね)さんが俺に頭を下げながら秀吉の背中をたたく。
「余計なこと言わないの。サルが出世できたのも明智様のおかげでしょ」
主君信長の媒酌で晴れて二人が夫婦になれたのも俺の口添えなので、寧々さんは素直に感謝してくれている。
ただ、ちょっと困ったご近所さんでもある。
夜な夜な隣から仲睦まじい声が漏れてくるのは思春期男子としては非常に悩ましいのだが、もちろん黙っているしかない。
そういうときにお市様のことを思い浮かべそうになって、『いや、待て、俺はそんなふうにあの御方を穢したくはないんだ』と、強制的に精神修養をさせられるのもきつい。
体が興奮して静まらないときは屋敷を抜け出し、暗い城下で風に当たったりしてごまかしている。
その時に思ったのが、この時代に来てからとにかく夜が暗いのをなんとかできないかという問題だった。
月や星が出ている夜はむしろ意外なほど明るいが、新月や曇りの日は黒い布をかぶせられたみたいに真っ暗で目と鼻の先に誰かがいても分からない。
盗賊はそんな夜を狙うし、それに、一日のうち、昼間しか活動できないのはもったいない気がしたのだ。
桶狭間の戦いが夏至の時期で、それから少しずつ日は短くなり、もうすぐ稲刈りの季節だった。
秋分を迎える前にすでに夜は長く退屈で、令和に比べて昼は歩き通しだから疲れて眠れれば良いのだが、お隣さんが元気だと中途半端に目が冴えて困るのだ。
俺は使命感に燃えて信長に提言した。
「夜でも活動できるようにすれば、商人たちも今以上に稼げますし、治安も維持できます。それに、夜間に兵を動かせれば、戦でも有利に立てます」
桶狭間の時は俺自身も真っ暗な道を苦労しながら進んだが、街道に明かりがあればもっと迅速に動員がかなうはずだ。
「なるほど、やってみるが良い」と、信長はすぐに理解し、資金を用意してくれた。
問題はそれをどう維持するのかだった。
俺は手始めに城下の商人たちに話を聞くことにした。
清洲城下には伊勢湾の海上交易を担う商人と、東海道の陸上輸送を請け負う馬借が集まっていて、そこからの上納金が織田家のかなりの収入を占めている。
織田家の躍進に商人の力が必要なのは史実でも明らかだ。
「これはこれは木下……あいや羽柴様、このたびのご出世、おめでとうございます」
伊勢屋惣兵衛は海上交易の顔役だが、まだ秀吉と同じ年頃の若者だ。
先代が引退して去年店を継いだばかりらしい。
聡明そうな切れ長の目でちらりと俺を見上げて軽く頭を下げる。
そんな若商人が慣れた手つきで藤吉郎の袖に何やら紙包みを入れる。
袖の下――賄賂――ってやつだ。
「うほん、これはいつもかたじけない」
なんだよ、こいつ、こんなところで小遣い稼ぎしてたのかよ。
こういうお金で女遊びしてたんだな。
本当にクズだな。
そんなクズ野郎に紹介してもらう俺の立場も考えてほしい。
「おう、伊勢屋。こいつは明智光秀。新しくお館様に召し抱えられた軍師だ」
「伊勢屋惣兵衛と申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
惣兵衛が近くの番頭に目配せして俺にもお金を渡そうとするので辞退すると、秀吉に脇腹を小突かれた。
「饅頭でもごちそうになったと思ってもらっておけ。いらぬのなら後でわしによこせ」
「寧々さんに言いつけますよ」と、返したら睨まれた。
まったく、堂々としたクズは本当に手に負えない。
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