森の朝
眩しい日差しと、小鳥の鳴き声で目が覚めた。
「……うーん……もう、朝…………?」
差し込んでくる朝日が眩し過ぎる……まだ寝ていたのに……。わたしは腕で朝日をさえぎり、ごろんと横に寝返りを打つ。
その途端、ものすごく見慣れないものが、ぼやけた視界に飛びこんだ。
「!!!??」
極めて近い距離に、極めて美しい男性が、こちらを向いて眠っている。
白いシーツに映える金色の髪と、閉じた瞼をふちどる長い金色の睫毛が、朝の日差しにきらきらと反射している。
寝台の中心に横たえた黄金の宝剣もまた、朝日にきらめいていた。
昨夜の出来事が一気に脳内再生される。
二人の客に一つの寝台しかあてがわれていない件について、すでに宴も終わり階下はしんと寝静まっていて家人の誰にも何も言うことはできず、聖騎士であり紳士であるルーは頑なに自分は床で寝ると主張し、わたしは二人とも疲れているし明日も疲れるので一緒に寝台で寝ようと主張し、互いに一歩も譲らずにそのまま夜が明けてしまいそうだったところ、わたしは部屋の隅に転がっていたあの宝剣に目を留め、閃いた。
「そうだ! これを寝台の中間に置けばいいんじゃない? この剣のこっち側はわたし、そっち側はルーが使うことにして」
わたしはようやく見つかった折衷案に嬉しくなって、すぐに宝剣を拾うと、埃を払って寝台の真ん中に置いた。抜き身だしちょっと血がこびりついているけど、まあ問題ない。儀式のときは忌々しい剣だと思っていたけど、意外と役に立つじゃないか。
けれどルーはちっとも嬉しそうではなく、きれいな目を細め、物思わしげにじっとわたしを見つめていた。
え……そんなに嫌がられるとちょっとショックなんですが?
「…………君はそれでいいのか」
「……寝る場所のこと? ……あっ、ごめん、ちょっとわたしの側が広かったかも…………これでいい?」
わたしはよいしょ、と剣をこっち側へずらし、どうだという顔でルーを見上げた。
大柄な人が多い獣人仕様だから、もともと寝台は大きめだけど、ルーもかなり長身だもんね。少しだけ、あっち側の陣地を広くしてあげた。
彼は複雑な顔でわたしを見た。なんだかすごく疲れているようだ。
「もう寝よう?」
わたしが促すと、ルーは諦めたように、うなずいた。
そして、朝が来た。
わたしが昨夜のそうしたいきさつを全部忘れ、隣のルーに驚いて跳ね起きたから、間に置いてあった黄金の宝剣がずれて鍔が彼に当たった。
ルーが、ぴくりと身じろぎをする。
瞼が半分開いて、翡翠色の瞳が、わたしを見た。
「あ、ごめん、起こしちゃったね……」
気だるげな寝起きの場面でもかえって色気が増して、ルーはますます美男子だ。
リネットだって、柔らかに波打つ銀髪に神秘的な紫の瞳を持っていて、なかなかの美少女だと思われるんだけど、ちょっとルーのこの規格外の美貌には太刀打ちできる気がしない。
わたしは気後れして、すぐに顔を洗いに行こうと体を起こしかけた。
ん?
動けない。
振り向くと、ルーの手が、わたしの腕を掴んでいる。
「…………どうしたの?」
何か、部屋の外に危険でも察知したのだろうか。それにしてはシーツにぺたりと横たわったまま、ルーは手しか動かしていない。それにまだ目も半分しか開いていないし、返事もない。
………………もしかして、寝ぼけている?
わたしはそろそろとルーに体を近付けて、もう一度聞いてみた。
「ルー? 起きてる?」
返事の代わりに、急に手をぐいっと引っ張られる。わたしはバランスを崩して寝台の上につんのめった。
目を開けると、鼻が触れそうな距離にルーの顔がある。
翡翠色の瞳がじっとわたしに注がれる。
はっきりとした声で、ルーが言った。
「俺を、ひとりにしないで」
わたしは、《金獅子》ルー゠ギャレス・クラドックと見つめ合った。
……完全に寝ぼけている。
こういう寝起きの悪い人をわたしは知っている。
前世で入院中、相部屋になった年上のお姉さんに、起きているように一語一句はっきりとしゃべるくせに、実はその間も完全に寝ていて、喋ったことを何一つ覚えていない、という人がいた。普段は真面目なしっかりした性格なのに、そういう時は決まって支離滅裂なことを言い出すんだよね。面白かったから時々ふざけて寝起きのお姉さんで遊んでいたら、怖い看護師長さんに見つかって散々怒られたっけ。
ニヤリ、と笑うわたしは、さぞ悪い顔をしていただろう。
でも仕方がないじゃないか。あんなにわたしと同じ寝台で寝るのを渋っていた人が、一夜明けた途端、わたしの手を掴んで行くなと駄々をこねている。これはスルーする方が無理というものだ。
わたしは空いている方の手で、ぽんぽん、と軽くルーの頭をたたいた。
「ひとりにしないでほしいの? でも、ルーはわたしと同じ寝台で寝るの、嫌がってたよね? どうしようかなあ、顔も洗いたいし、わたしは先に下に行って……」
完全に油断していたわたしは、相手が聖騎士筆頭だということを忘れていた。
ルーは寝ているとは到底思えないような動きでわたしの体を彼の体に引き寄せ、がっちりとホールドした。
「ちょ……待って、ルー……!!」
わたしは慌ててじたばたしたけど、筋肉質の腕はびくともしない。固い胸板に顔を押しつけられて苦しい上に、体の下にあの宝剣があって、なまくらとはいえ当たって痛い。
ルーがそれに気づいて、一瞬わたしの体を持ち上げると宝剣を抜き取り、手元を見もせずに、ブンッと放り投げた。
鋭い音がした。
おそるおそるそちらを見ると、宝剣は窓際の壁に、ビィイイーーーン、と突き刺さって震えていた。
わたしの顔から、さっと血の気が引く。
……いくらなんでも、寝起きが悪すぎない!!?
わたしの頭にほとんど埋もれたようなルーの口が、くぐもった声を出した。
「行かないで」
その、どこか寂しそうな声音は、前世の夢の中でルーと話したときのことを思い出させた。
相手の姿は見えなかったけれど、ルーの声は耳に心地よくて、いつまでも話していたいくらいだった。
でも夢はいつも、いくつか言葉を交わしたら、突然終わってしまう。
ルーもそれは知っていて、夢で言葉を交わすようになってからしばらく経った頃には、醒め際には少しだけ、声に名残惜しさを滲ませていたように思う。
たぶん、わたしもそうだった。
わたしは観念して言った。
「……うん、わかった。どこにも行かない。ここにいるよ」
ようやく、腕の力が少し緩んだ。
しばらくそのまま動かずにいたら、ルーはふたたび眠ってしまったようで、安らかな寝息を立てはじめた。
わたしは彼を起こさないよう注意して、そっと寝台から抜け出した。
*****
「おはよう、リネット」
それからしばらくして二階から下りて来たルーは、実に爽やかな顔をしていた。
「あ、おはよう、ルー。よく眠れた……?」
「ああ。君は?」
「うん、まあ……」
「そういえば部屋の壁に剣が刺さっていたんだが、なぜだろう?」
「……さ、さあ、どうしてだろうね……?」
何一つ覚えてないらしい。
ルーは涼しい顔で、ヘッレさんが出してくれた朝食を食べはじめた。わたしはさっき、家の人たちと一緒に食べてしまっていた。ティモさんなどは食事が済むやいなや、朝の鍛錬をすると言って、ヘイディを連れて森の広場へ出かけて行った。だから昨日と違ってひとけの少ない広い食堂は、のんびりと朝の時間を刻んでいる。
……そういえば、ヘイディが出かける前、こっそりとわたしに話しかけてきた。
「ねえ、リネットは夕べ、ルーと同じ部屋に泊まったの?」
「えっ!? う、うん、まあ……」
「ふうん…………」
ヘイディは頬を赤くしたわたしを上から下まで眺め回し、大きくひとつうなずいた。
「……わかった。そういうことなら、あたしは身を引くわ」
「……へ?」
「あんたには昨日、怪我を手当てしてもらった恩もあるしね。応援するから。獣人は、仁義を大切にするの」
「仁義……?」
「だから、あんたも次にあたしに好きな人ができたときには、協力してよね?」
「あ、うん。わかった」
ヘイディはバチッとウインクして、そのままティモさんについて外へ行ってしまった。わたしは目をしばたたかせた。
うーん、すごい。応援とか、身を引くとか、前世で十六年間生きたけど、そういう世界はわたしには縁がなかった。ヘイディはまだ八歳って聞いたんだけどな……。
そんなことを思い出していたら、ついさっき、ルーにぎゅっと抱きしめられたことも思い出してしまった。
目の前のルーは、平然と卵焼きを口に運んでいる。
わたしは急いで目を逸らし、自分に言い聞かせる。
あ、あれはただ、ルーの寝起きが極悪なだけ。
あれは事故、あれは事故……!
そこへ、大きな足音が聞こえてきた。
玄関でヘッレさんが誰かと話す声。
相手が大声で何かを言い、それを聞いたルーが食事の手を止めて、フォークを置く。
荒々しい足音が近づき、通路から、ぬっと大柄な男が姿を現した。
見覚えのある銀と青の聖騎士の甲冑に身を包み、抜き身の大剣を手にしたその男は、ルーに目を留めるなり、地響きのように吠えた。
「とうとう見つけたぞ、《金獅子》っ!!!」