嘘と真実
夜空には半月が浮かんでいて、その銀色の光がルーの姿を仄かに浮かび上がらせている。
昼間の日差しの下では天使のように見えたけど、月明かりを浴びた今、ルーはまるで幽霊のように見えた。美し過ぎて、現実感の乏しい幽霊。
寂しそうな顔をしていたから、余計にそう見えたのかもしれない。
だけどわたしに気づくと、姿勢を正してこちらに向き直り、少し奥にずれて場所を空けてくれた。
ごくりと唾を飲み込んで、露台へ足を踏み出し、ルーの隣へ行く。
わたしが「リネット」となってからはずっと慌ただしい出来事が続いたから、ルーとゆっくり話す暇はほとんどなかった。
でも改めてこうして二人きりになると、何から話せばいいかわからなくなる。
どう話しかければいいんだろう…………『わたしたち、夢で話したことあるよね?』とか?
いやいや、なんか怪しいし、ナンパしてるみたいだし!
「以前、君と話したことがある」
先に言われた!!
「うっ……うん、夢で、話したね……」
照れながら言うと、ルーは意外そうな声を出した。
「夢? ……ああ、君にとっては夢だったのか」
「君にとっては? ルーは違うの?」
「私は……」ちらりとこちらを見る。「礼拝堂で大聖女に祈りを捧げていたら、君が返事をしたから、とても驚いた」
そ、それは……驚くだろうな。返事をしたのがわたしなんかで、ちょっと申し訳ない。でもわたしだって、なぜ前世でルーと会話ができたのか、そしてなぜ大聖女になんて転生してしまったのか、未だにわけがわからない。わたしは苦笑いを浮かべた。
「はは……ルーも返事をしてくれてありがとう。怪しいと思わなかった?」
「いや、大聖女の供儀には、聖祭の前から大聖女の魂との繋がりが生まれると聞いていた。まさか会話までできるとは思わなかったが」
「そうなんだ……」
そんなシステムなのか。
だけど、それなら余計に違和感が増す。
千年に一度の聖祭。
大聖女の魂を憑代の体に降ろし、供儀の聖騎士を殺す。
やっぱり、どう考えてもおかしい。
横を向くと、ルーと目が合った。
わたしはぎゅっと手すりを掴んだ。
本題に入る前に、言わなければならないことがある。
「ルー゠ギャレス・クラドック」
「はい」
重々しく呼びかけると、ルーは返事をして、まっすぐにこちらに向き直った。
ローレンシアでは大事な話をするとき、相手のフルネームで呼びかけるという慣習がある。
だからルーは背筋を伸ばして、わたしと向き合っている。
わたしは―――。
「……ごめんなさい!!」
腰を直角に曲げ、謝った。
頭を下げていて見えないけど、ルーが困惑している空気が伝わってくる。
わたしは全身全霊で、謝った。
「大事な聖祭を台無しにしちゃって、その上、あなたを連れて逃げたりしてごめんなさい。お尋ね者になっちゃったけど、どうにかします。方法はあります!」
「………………リネット」
「だから、」
わたしは顔を上げ、ルーの目をひたと見据えた。
「力を、貸してください。わたし一人じゃ何もできないから、あなたの力を」
視線が、痛いぐらいに、ぶつかったまま、離れない。
しばらくすると、ルーがわたしを見つめたまま、表情を緩めた。
「……君が謝る必要はない。むしろ礼を言いたい位だ。私の命を救ってくれたのだから」
優しい言葉に、胸が鈍く痛んだ。
それが嘘だとわかったから。
前世でわたしは、大人の嘘を見抜くのが上手かった。
『検査の結果、良くなってたよ』
『もうすぐ退院できるかもね』
『あれ、今日は顔色がいいね。もう治ったんじゃない?』
幼い頃から病弱で、そんな善意の嘘を嫌というほど浴びせられてきた。
嘘をつくとき、かれらは一度しっかりと目を合わせ、ほほえみと共に本当らしい言葉を告げて、それからそっと目をそらす。
もしかしたら、わたしよりもかれらの方が、その嘘を信じたかったのかもしれない。だけどわたしは信じられなかった。だけど全部、わたしのためについてくれる嘘でもあった。
少しも嬉しくはないけど。
ルーも嘘をついている。
この人は、間違いなく聖祭で死ぬ気だった。なぜかわからないけど、死にたがっていた。もう終わりにしたがっていた。だから「礼を言いたい」だなんて絶対に嘘。
だけど、わたしも嘘をついた。
本当は、ごめんなさい、なんて露ほども思っていない。
冗談じゃない。あんな馬鹿げた儀式、逃げ出して大正解だ。他の誰がしようと、絶対にわたしは、ルーを終わりになんてしてあげない。
せっかく生きているのに。
前世でどんなに生きたくても生きられなかったわたしと違って。
だからルーの命を繋ぎとめたくて、嘘をついた。彼の協力が必要なのは事実だけど。
「もちろん、君の力になるよ……何をするつもりだ?」
「ありがとう。実は、聖祭のときから気になっていたことがあって」
しらじらと嘘を交わした後で、わたしたちは本題に入った。わたしの嘘もバレているかもしれないけど、お互いさまだ。
「『リネット』の記憶によれば、ローレンシアを建国したのは、千年前この地に現れた大聖女だった。海の外から来た侵略者の手を逃れて放浪していた一団を大聖女が助けて、協力して敵を破って、国を興した―――これが《聖戦》で合っている?」
「ああ、その通りだ」
「その後、大聖女は愛と慈悲を説いて、聖教会を創立した。聖戦の戦士たちが聖騎士団を設立し、大聖女と聖教会を守護した。大聖女は千年後に甦ることを告げて、《聖典》を書き残し、亡くなった。聖典には、聖戦の記録や自身の起こした奇跡、つまり理力を使った術についてと、千年後に行う聖祭の儀式の詳細などの、大聖女にまつわるさまざまなことが記されていた……」
「そうだ」
「でもそれなら、どうして大聖女は、わざわざ聖騎士を千年後の聖祭の生贄に選んだの? 一緒に聖戦を戦い抜いた当時の仲間の末裔を。それにそもそも、愛と慈悲を説いた張本人の大聖女が、なぜ生贄なんていう血なまぐさい儀式を必要としたの?」
わたしの言葉に、ルーは腕を組み、眉間に皺を寄せた。
伏せた睫毛が頬に影を落とす。
難しい顔をしていても絵になる人だ。
「……それは、宗教学者も長年頭をひねっている問題なんだ。福音派の学者は、大聖女にとって誰よりも大切な存在を生贄に差し出し、その犠牲によって国全体を守ろうとしていると解釈している。一方、原理派の学者は、そもそも大聖女は戦神のようなもので、聖騎士という強者の血をもって甦るのは必然だと解釈している」
さすがは十聖の筆頭だ。頭もいいんだろう。すらすらと意見を述べる様は、堂に入っている。
「……うん。もしかしたら、そうなのかもしれない。だけどわたしには、どちらも後からのこじつけに感じる」
「では、どうする?」
「大聖女に会いに行く」
ルーは呆気に取られてわたしを凝視した。慌てて説明を加える。
「えーっと、ほら、大聖女が聖典を書いたとされる、泉のほとりの遺跡があるでしょう? 《不死森》の奥に」
「イニス遺跡のことか」
「そう! イニス神殿の遺跡。今はただの廃墟で誰も寄りつかない場所。だけど、そこに行って《共振術》を使えば、当時の大聖女が視えると思う」
法術の二、《共振術》。
それは大聖女の使える六つの法術の一つだ。
特定の人物がその「場所」に残した思念とシンクロして、過去にそこで起きた出来事を見聞きするという、便利なもの。
もちろん聖典にもその法術の記載があるから、わたしも自分がその能力を使えることを知っている。
「……なるほど。それで大聖女の真意を知り、生贄の儀式の是非を教会裁判で問う、と?」
さすが、話が早くて助かる。
わたしはにっこり笑った。
「そう! だけどわたしたちだけじゃたどり着けるか心配だから、明日、ティモさんに頼んでみようと思うの。誰か、この森の人に、イニス遺跡まで案内してほしい、って。それにうまくいけば、その案内してくれた獣人さんも、教会裁判で証言してくれるかもしれない」
「リネット……」ルーの表情が曇った。「確かに第三者は必要だが、その証言が有効かどうか……」
ああ、そうか。
わたしはルーの言わんとしていることを理解し、暗い気持ちになった。
聖教会は、獣人やエルフを人間と平等の存在とはみなさず、種々の権利を制限している。
だから、教義に関わることを裁くような厳粛な教会裁判で、獣人の証言が採用される可能性は低い。
大聖女が生きていた時代は、今より明確に人間と獣人とエルフの棲み分けがなされていたから、大聖女自身がそういう風に決めたわけじゃないんだけど―――やるせない。
ルーは少し考えてから言った。
「……だが、やってみる価値はあるな。明日、私からも族長に話をしてみよう」
「ありがとう!」
顔を輝かせたわたしに、ルーは保護者のように言った。
「遺跡まではかなり歩くだろうから、そろそろ寝た方がいい」
「そうだね」
揃って室内に目を向けると、そこには天蓋付きの寝台が一つあるだけだった。