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それから

 エルベレスの復活と浄化から、一ヵ月が経った。


 王宮は壊滅的な被害を受けたけれど、その場に踏みとどまったレイナール王弟殿下が迅速に各騎士団に指示を出し、宮廷の人々を避難させたおかげで、人的被害はほとんど受けなかった。


 その反対に、国王夫妻はエルベレスが復活したと聞いたとたんに王宮を捨て、真っ先に馬車で逃げ出した。

 けれど、嵐で増水した川の橋を渡る際に、馬車ごと水に流されたらしい。命からがら逃げだしたところを追いはぎに遭い、抵抗したために殺されかかっていたところを、たまたま警備のため巡回していた城下町の自警団に救われて事なきを得た。

 けれども一晩ですっかり老け込み、別人のように気力を失ってしまった王と王妃は、田舎の離宮で療養生活に入った。


 王妃のグレナ伯母さまには、リネット(わたし)が小さかった頃に、何度か美味しいお菓子をご馳走してもらった記憶がある。実の母にほったらかしにされている姪のわたしを可哀想に思ってくれていたんだろう。そんな優しいところもある人だった。

 だからその話を聞いたときには少し切なかったけれど、この国のためには、これでよかったのかもしれない。王夫妻には子どもがいないため、療養中の政治は王弟のレイナール殿下に一任されたからだ。


 邪神となったエルベレスが王宮を襲撃した際、果敢に立ち向かって王宮を守ろうとした殿下の武勇伝は広く巷間に伝わっていて、民衆からの人気は高い。元々高潔で誠実なお人柄で、貴族からの信頼も厚いことから、レイナール殿下が譲位され新たな王となる日も遠くなさそうだ。殿下ご自身も、もちろん口にはしないけれど、そのつもりがあるのは明白だった。

 なぜなら、政治を一任された彼は、次々と国の改革に着手していったからだ。


 まず殿下は、エルベレスの[浄化]に功績のあったエルフたちを史上初めて叙勲し、これまで歴史的に黙殺されてきたエルフの役割の再評価にもつとめた。

 ただ、エルベレスの正体が古代エルフであったという事実は、いきなり公表すると大混乱を招きかねないとして、まだ歴史の闇の中で静かに眠っている。

 獣人たちについても、差別を撤廃する方向で動き出しているようだった。殿下はあの状況であの強面の《黒雷》を手当てしていた獣人の女の子、ヘイディのことをいたく気に入り、彼女の両親のティモさんとヘッレさんも招待して、破壊された王宮の片隅で昼食会を開いた。そこでは異民族担当の大臣たちも交え、人間と獣人の共存について数時間に及ぶ議論が交わされたらしい。もちろん、アイスクリームをおかわりしながら大人に混じって自由に喋っていたヘイディの意見も、しっかりと書記によって記録された。

 さらに殿下は、人間と獣人とエルフ、三者で手を取り合える未来を目指して、近々カールスクーガ大公も招き、ティモさんと三人で鼎談の場を設けるつもりらしい。異種族との融和については反対意見も多いから簡単な道ではないだろうけど、殿下にはぜひがんばってほしい。




 オーウェンは相変わらず飄々としながらも、聖騎士として忙しく働いている。

 エルベレス復活にともない各地で地震や洪水といった被害が起きたことで、聖教会に救助要請が殺到し、聖騎士たちはひっきりなしに被災地へ派遣されていた。

 オーウェンも《灰燼》の名に恥じぬよう、各地で奮闘しているそうだ。倒木を一人で撤去したり、がれきの下に埋もれてしまった人を救助したりと大活躍の彼はなんと、とある地方領主の娘を助けたことで、ぜひ婿に来てくれと請われたらしい。

 その件は適当に受け流したそうだけど、「いやあ、まいったぜ。はははははっ!」なんて笑いながらわたしにそんなことを話すオーウェンは、間違いなくロータヤの繊細な恋心には気づいていないだろう。




 恋と言えば、次はあたしを応援してね、と言っていたヘイディは、色恋にうつつを抜かすことなく、意外にもしっかりと学業に邁進している。

 ヘイディは《不死森》に戻ると、旅の成果を遺憾なく発揮し、エルフの魔法についての自由研究をまとめた。それはかなりの力作で、学校の先生から最優秀賞をもらったそうだ。

 次は王都へ行って、貴族のノブレス・オブリージュについて研究すると張り切っている。もちろん、そのときの下宿先はメレディス家だ。




 イドリスは、邪神に対して一歩も退かずに王宮を守ったレイナール殿下にいたく心酔し、彼に忠誠を誓った。秋からの士官学校への入学も決め、将来は貴族のリーダーたるべく、学業と武芸にいそしんでいる。

 彼が懸念していた(わたし)の悪評も、殿下自らが「リネット゠リーン・メレディスは救国の大聖女である」と宣言してくださったことで、むしろ好転した。今では貴族たちは掌を返したように、わたしを褒めそやしている。もちろんイドリスも「若干十三歳にして王弟殿下の盾となったあっぱれな次期公爵」として評判は上々だ。


 逆にイソルデ゠ケリ・エドニェットはわたしのように大聖女の理力が出現せず、二度目の聖祭で生贄の儀式も果たせず、邪神襲来の際は王都の物資を大量に買い占めた上、実家の所有する辺境領に避難していたため、世間の評判はガタ落ちだった。

 噂によると、大聖女になり名声に箔を付けて結婚しようと狙っていた宰相の息子からもフラれたらしい。


 ちなみにわたしたちの両親も、あれ以降コロッと態度を変えた。

 母はわたしに「親子の縁を切る」などと言っていたくせに、今では早く屋敷へ帰ってこいとうるさい。たぶん知り合いの貴族たちに会わせて自慢したいだけなので、今のところまだ、わたしは実家に戻っていない。

 父も、しばらくは鼻高々に外で子どもたちの自慢話をしていたけど、それも段々と飽きられてきて、最近は珍しく屋敷で母と一緒に食事をすることが多くなったそうだ。

 二度目の聖祭のときは両親がわたしの味方になってくれないどころか、他の人たちと一緒になってわたしを弾劾して、とても悲しかった。だけど冷静になって考えると、貴族として生まれ育ったかれらにとって、それは家を、ひいてはわたしを守る、たった一つの手段だったのかもしれない。

 あの場で両親がわたしに同調して他の貴族と対立していたら、後々まで禍根を残しただろう。あのときわたしだけが断罪され、両親はあくまでマジョリティ側についたことで、後から一斉に掌返しをしても、みんなで苦笑いをし合ってなあなあで終えられた―――「金持ち喧嘩せず」だ。まあ、これは結果論だけど。


 ついでに、イドリスの従僕であるジュストとヒューには、うちの両親から特別ボーナスが出たらしい。でも彼らはそれ以後も相変わらず、熱心過ぎず怠け過ぎず、ほどほどに仕事をしている。




 そして、わたしはというと―――。




 *****




「大聖女さま、『聖典朗読会』お疲れさまでございました!」

「司祭さまも、お疲れさまです」


 大聖堂の関係者出入り口から外へ出ながら、わたしは司祭の差し出してくれたゴブレットのレモン水を飲んだ。

 ああ、おいしい……立ち見席までいっぱいの熱気むんむんの聴衆を前に、第四章をまるまる朗読したから、喉が渇いていたんだよね。それに今日は朝から各地の聖教会を視察したり、枢機卿会議に出たりと忙しかったから、余計に染み渡る。


 あれから、わたしは「大聖女」として正式に聖教会からお墨付きをもらった。

 エルベレスは好きにしていいと言ってくれたけれど、大聖女としてこの世界に転生した身としては、少しでもこの世界のためになることをしたかった。

「誰も傷つかない世界になりますように」という願いは、心の底に今もある。

 たとえ微力でも、わたしの力が何かの役に立てばいいなと思う。


 だけど、まさかこんなに働かされるとは思わなかったけど……!

 なんでもわたしは、「愛ゆえに生贄の《金獅子》をさらって聖祭から逃げたが、その後、獣人とエルフと協力して大聖女エルベレスを[浄化]し国と恋人を救った新たな大聖女」として、ルーと共に、民衆から結構な人気があるらしい。


 司祭が手に持った帳面をめくりながらわたしに告げる。


「明日は休養日ですが、その次の日は王都で朝から大聖女さまのお披露目のパレードがあります。国中の民が待ち望んでいる一大イベントですから、絶対に時間に遅れないように大聖堂前に来てくださいね? あと、お願いしてありました色紙百枚には、もうサインを書いていただけましたか?」

「あ、すみません、まだです」

「…………そうですか。では明後日、一時間早く大聖堂にいらして書いてください。それからパレードの後は王弟殿下と外国の貴賓との会食、大司教との公開ミサが予定されています。くれぐれも、余計な発言や行動はお控えください」

「はい、わかりました。あっ、ルー!」


 わたしは大聖堂の裏通り沿いで待っていてくれたルーを見つけて、大きく手を振り、そちらへ駆けていった。


 ルーも正式に名誉が回復されて聖騎士へと復帰した。

 今は大聖女の特任護衛騎士という名目で、わたしの警護を全面的に担ってくれている。

 さっきの聖典朗読会でも、各出入り口には蟻一匹漏らさないほど完璧に聖騎士が配備されていたし、彼自身も会場で見守っていてくれた。

 この国では基本的に大聖女は敬愛されている。地震や大嵐は困るけど、そんなときも人々は大聖女に祈りを捧げる。だけど、たまに過激な新興宗教や反体制派や初代大聖女しか認めない原理主義の人たちが襲撃してくることもあるから、常に彼がそばにいて守ってくれることは心強い。何より嬉しい。


 街路樹にもたれていたルーはわたしにほほえみ、手を振り返してくれた。

 今日も銀と青の聖騎士の礼服が極上に似合っている。木洩れ日の下でわたしに向けられた笑顔は今日の疲れを軽く吹き飛ばしてくれた。好き。

 わたしは軽やかな足取りで彼の前に立った。ルーはにこやかに言った。


「リネット、聖典朗読会、とても良かったよ。君の声は天上の音楽のようだった」

「ありがとう! ルーが仕事をしてる姿を見ると、自然に声が弾んじゃって……ちょっと威厳が足りなかったかな?」

「大丈夫。君はそのままで完璧な存在だから」


 見つめ合うわたしたちの近くで、ごほん、と咳払いが聞こえた。

 ルーとそちらを見ると、司祭が眉間に皺を寄せてわたしたちをにらんでいた。


「えー……大聖女さまは今が大事な時期ですので、色恋沙汰は禁止ですからね?」

「わかりました」

「承知した」


 二人で良い返事をして、またくるりと互いに向き合う。


「それでは、クラドック家の新しい屋敷へ行こうか。夕陽が綺麗だから、よかったら君に空からの全景を見せたいんだが、どうかな?」

「わあ、ありがとう。喜んで!」


 ルーはわたしをひょいと横抱きに抱え上げた。わたしはその首にぎゅっと腕を回す。

 ルーが[飛翔]の呪文を唱え、わたしたちはふわりと地面から浮き上がった。

 裏通りとはいえちらほらいる通行人が、ぎょっとしてこちらを見上げる。

 司祭が目を剥いて叫んだ。


「あんたら、私の言葉を一ミリも理解してないなっ!!??」

「あっ、ごめんなさい! でも結婚するので色恋沙汰じゃないです!」

「そういう問題じゃないっ!!!!」


 怒った司祭も、見る間に遠ざかっていく。


 橙色に染まった空を鳥のように飛んで、王都郊外にある侯爵家の屋敷の上まで来た。

 クラドック家が新たに王弟殿下から賜ったものだ。

 広い敷地には森や小川や池があり、水面が金色の夕陽を照り返して輝いている。

 敷地の中心にはツタの絡まる壮麗な建物。

 それはとても素敵なお屋敷だった。


 レイナール殿下は最後まで率先して自分を守ってくれたブラッド゠ヴァラ・クラドックに、褒美として、混乱のさなかに国外逃亡した侯爵家の領地と屋敷、それから爵位をまるごと下賜した。

 もちろんそこにはブラッドの異母弟であるルーによる、エルベレス浄化への助力・その後のアーレンディルの招魂・その結果エルベレスとアーレンディルが再会を果たしてつつがなくこの地を去ったこと、などの功績も加味されている。


 けれども、あくまでここはブラッドの屋敷だ。

 ルーとわたしは、現クラドック家当主である彼に、結婚の許可をもらいに来たのだった。

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