邪神復活
わたしたちはすぐに大公の屋敷に戻った。
全員をあの応接間に集め、司祭から聞いた話を伝える。
大公には一足先に事情を伝え、仲間のエルフたちを呼びに行ってもらっていた。
だからここにいるのは、ルー、オーウェン、ロータヤ、イドリス、ヘイディ、従僕のジュストとヒュー、そしてわたし。
「……王宮には聖遺物としてアーレンディルの遺骸の一部が保管されている。エルベレスはそれを探しているのかもしれない」
ルーが補足すると、オーウェンがいつも通り軽い口調で言った。
「恋人の遺骸がほしいなら、くれてやればいいんじゃないか? どうせ王さまたちはとっくに逃げ出してるんだろ?」
「うん……王夫妻はすでに馬車で避難したって……でも、王都は大嵐で、安全に逃げられたかはわからないみたいで……」
わたしが言うと、イドリスが身を乗り出した。
「何をもたもたしているんだ! 早く王宮に残された人を助けに行かなくては!!」
「あたしも行く! 邪神になった大聖女エルベレスを見たい!」
「……えっと、イドリスとヘイディはここに残っててくれる……?」
「「絶対に行く!!」」
二人同時ににらまれる。
う……いつの間にこんなに息がぴったりになったんだろう……二人揃うと圧がすごい。
わたしがたじたじになっていると、ロータヤが助け舟を出した。
「わたしの結界魔法でよければ、お父さまたちがエルベレスを浄化している間、二人を守るわ」
「ありがとう、ロータヤ!」
ジュストとヒューがおずおずとイドリスに言った。
「私たちは、よければ、ここに残らせていただきたいのですが……」
「当然だ。危険な地に赴くのは貴族の義務だが、お前たちまで行く必要はない」
「「ありがとうございます、イドリスさま!」」
「ねえねえ、じゃああたしも貴族ー?」
「……いや、ヘイディは……邪神を見たいだけだろう……」
ヘイディがぷぅっと頬をふくらませる。なんだかイドリスに妹ができたみたいでかわいい。
そのとき、大公が四人の仲間を連れて戻ってきた。
大公を含めて男性は三人、女性は二人。
全員が古代エルフの末裔というだけあって、際立って美しい容姿をしていて、加えて、ただそこに立っているだけで並々ならぬ魔力を感じる。
大公が言った。
「準備は整っている。さあ、君の《転移術》で我々をエルベレスの元へ」
「……はい!」
みんなを見渡すと、全員が覚悟の決まった表情を浮かべている。
わたしは腰の宝剣を抜き、大きな円を描いて転移空間を出現させた。
「行きましょう」
*****
王宮の正殿の広間に転移したはずなのに、なぜか転移した先には、廃墟が広がっていた。
あるはずの壁と屋根がない。
あるのは、瓦礫の山だけだ。
わたしがつい先日訪れたばかりの壮麗な王宮は、見るも無残に破壊されていた。
嵐は小休止しているらしく、瓦礫も地面もぐっしょりと濡れているけれど、雨は降っていない。頭上は一面どす黒い雲に覆われて昼間なのに暗く、遠くの空では雷鳴が唸っている。
それにしてもひどい状況だった。
あの美しかった正殿も、小離宮も、庭園も、滅茶苦茶に破壊されている。
石造の建物は爆破でもしたように無惨に崩壊し、庭園や小径は隕石がいくつも落ちたみたいにボコボコで、見る影もない。
まるでこの世の終わりのような光景だった。
これが復活したエルベレスのしたことなんだろうか。
怪我人や死者が出ていないといいけど……。
「ひでえな、これは……」オーウェンが顔をしかめる。
「負傷者はいないか?」ルーが周囲を見回す。
「……エルベレスはどこだ?」カールスクーガ大公が誰にともなく訊く。
「アーレンディルはどこ?」誰かが言った。
その声がどこから聞こえたのか、みんな、最初はわからなかった。
あまりに近くから聞こえたからだ。
そして、気がついたら、声の主はすぐそばにいた。
「アーレンディルはどこ?」
ふっとそちらを見ると、見ただけで全身が麻痺するような、とんでもない魔力の塊が立っていた。
それは美しいという言葉では足りないくらい、壮絶に美しく、同時に禍々しい―――イニスの泉でわたしが見た、エルベレスの姿をしていた。
だけど、そのときよりも何倍も恐ろしいと感じた。
あのときは、薄紅色の髪にエメラルドの瞳の彼女を見た。
でも今、彼女の瞳には、ただ漆黒の闇が広がっている。
それは一目見ただけで、自分もその闇に吸い込まれそうな恐怖を感じるものだった。
わたしは意識的に顔を背け、彼女の瞳から目をそらした。
ロータヤが即座にわたしたちの周囲に[結界]の魔法を張る。
「エルベレスの目を見るな! 動けなくなるぞ!」
瓦礫の影から、誰かが叫んだ。
見ると、そこから姿を現したのは王の弟君、レイナール殿下だった。
背後には四名ほどの聖騎士の姿もある。
常に控えめに王の後ろにいて目立たなかった彼だが、この王宮の一大事にあって、数えるほどの聖騎士と共に邪神に立ち向かっていたようだ。
聖騎士の中には、《黒雷》ブラッド゠ヴァラ・クラドックの姿もあった。
レイナール殿下を守り戦っていたのだろう。
銀と青の甲冑には、あちこちに傷がついていた。
殿下がわたしたちへ叫ぶ。
「あれは化け物だ! とてもじゃないが人の敵う相手じゃない! 私たちが引きつけておくから、君たちは早く逃げろ!!」
カールスクーガ大公は不快そうに眉をひそめた。
「……ふん、我々に逃げろ、だと? 物を知らぬ若造のようだ」
「お父さま、王家の方にそのような言い方は……」
「いいのですよ、ロータヤ。カールスクーガはあの若者の十倍は生きているのですからね」
古代エルフの女性が鼻を鳴らす。
エルフは長寿と言うけど、それなら彼女は何倍生きているんだろうか……若く見えるけど……。
エルベレスが腕を一振りする。
そこから竜巻のような衝撃波が発生し、全方向に襲いかかる!
たちまちロータヤの[結界]がパリンと壊れ、わたしたちは小石のように吹っ飛んだ。
飛ばされながら、ロータヤがイドリスとヘイディに素早く[結界]を張り直し、そんな彼女をオーウェンが抱き止めて衝撃から守る。
ルーも即座に[飛翔]の魔法を使い、飛ばされたわたしをキャッチしてくれた。
「ありがとう、ルー!」
ルーは優雅に答えた。
「君を守るのは私の役目だ」
……ルーったら、こんな時までときめかせないでほしい!
エルフの方々も、ロータヤの結界がある程度のクッションになったのか、それとも自力で衝撃を回避したのか、さほどのダメージは受けていないようだ。
でもレイナール殿下たちは瓦礫に激突してしまった。
イドリスが、急いでそちらへ駆け寄る。
「殿下!」
「……君は……メレディス家のイドリスか? ここは危ない、すぐに逃げろ!」
「ぼくは殿下をお守りします!」
イドリスは勇ましく剣を抜いた。
わが弟ながら、根っからの貴族だ。
わたしも殿下の元へ駆けつけ、《治癒術》で打撲の傷を治して差し上げた。
術を受けながら、レイナール殿下は、エルフたちを連れて現れたのがわたしだと気づいて、目を瞠った。それから自嘲したように言う。
「……リネット゠リーン……来てくれたのか……君の言う通りだったな。あの邪神に半エルフの《金獅子》を生贄に捧げたところで、一時しのぎにしかならなかっただろう。それよりもエルフたちの協力を得て[浄化]してもらった方が、どれだけよかったことか……いまさら悔やんでも仕方がないが」
「殿下……」
「いや、弱音を吐くのはよそう。君は聖祭であれほど皆に弾劾されたというのに、エルフたちを連れてきてくれてありがとう。微力だが、我々も全力でエルフを守ろう」
ヘイディもわたしと一緒に殿下たちの元へ来たけれど、ブラッドの姿を見ると、びくっと後ずさった。
ブラッドは以前、ヘイディの家に侵入し、彼女とその両親を縛り上げたことがある。
でも、ヘイディはブラッドが手を怪我しているのに気づくと、ハンカチを出して止血してあげていた。
優しくて、勇気のある子だ。
獣人たちの住む森が《不死森》と呼ばれる由縁は、こういうところにある。
獣人は、獣人でも動物でも人間でも、誰かが怪我をしていたり困っていたら放っておけない、優しい心の持ち主だ。森に迷い込んだり、怪我をした人間も見捨てず、丁寧に手当てをして森の外まで送ってあげる。
だから彼らの住む森は、《不死森》と呼ばれているんだ。
カールスクーガ大公が、仲間と視線を交わした。
いよいよ[浄化]を始めるようだ。
大公が振り向き、ルーに声をかけた。
「君も来なさい」
「! ……はい」
ルーが大公たちに加わる。
七つの魔法が使えるというルーは、[浄化]の魔法も使える。古代エルフの血も引いている。だけど大公はルーのことを『あれは半人だ』『異物だ』なんて言っていたのに。
かれらは厳かに両側のエルフと手を繋ぎ、円を作った。
そして、[浄化]の呪文を、六人全員で唱えた。
「[かの者の穢れを払い清かな平安を与えたまえ]」
大公とルーが手を取り合っているのを見て、わたしは胸が熱くなった。
だけど、エルベレスがかれらに近づき、再び腕を一振りした。
その直前、ロータヤがさっきよりも強い[結界]を大公たちの周囲に張り巡らせる。
エルフたちは衝撃を受けながらも、なんとか持ちこたえた。
エルベレスは怒ったようだった。
どす黒い瘴気が、彼女の周囲に集まりだす。
わたしは離れた場所にいるのに、それが鳥肌が立つ位に強力な魔法だということを感じる。
エルベレスが瘴気の塊を放つために、両腕を振り上げる。
その真正面にはルーが立っている!
「ルー!!」
目の前を何か光るものが飛んだ。
それは聖騎士の剣だった。
ビュン、と勢いよく一直線にエルベレスに飛びかかる。
エルベレスの片腕に剣が刺さり、彼女がうめき声を上げる。剣はみるみる錆びていき、朽ちて消えた。致命傷にはならなかったけど、集めた瘴気は霧散した。
わたしは剣の飛んできた方を振り返った。
それを投げたのは、ブラッドだった。
エルベレスがひるんだのを契機に、殿下たちが一斉に攻撃に移った。
ブラッドも今度は短槍を掴んで向かっていく。
イドリスはまさかの先陣だった。細身の剣を握り、一直線にエルベレスへ突進する。……あの子のこんな生き生きとした顔を見るのは初めてだ。
けれどエルベレスが五月蠅そうに片手を振ると、彼らは散らばった瓦礫と共に、たちまち吹き飛ばされてしまった。
「イドリス!!」
わたしは思わず悲鳴を上げた。
ロータヤは[浄化]魔法を唱和しているエルフたちを守っていて、手が回らない。
イドリスは生身で数十メートルも飛ばされたけれど、うまく受け身を取ったのかやせ我慢なのか、すぐにまた剣を構えてエルベレスへと向かっていく。
殿下と聖騎士たちも、次々と起き上がっては再び攻撃を開始した。
その間、エルフたちは集中を途切れさせないまま、歌うような不思議な声音で呪文の詠唱を続けていた。
「[かの者の穢れを払い清かな平安を与えたまえ]」
……すると、輪の中心から強い光が生まれ、輝き出した。
光の筋がうねり、何度も回転しながらエルベレスの方へ向かっていく。
エルベレスが手を振って追い払おうとしても、その光は振り払えない。
それはさらに眩しい光となり、とぐろのように彼女を取り巻き、包み込んだ。
エルベレスは完全に、一本の光の柱となった。
「ヴァア…アア、ア………………ッ!!!!」
眩しさに正視できない光の中から、エルベレスの叫び声が聞こえる。
だけど、その光も叫びも、やがて消えた。
光が消えた後には、小さくうずくまる一人の女性の姿があった。
先程の邪神とは似ても似つかない、膝を抱えて顔を伏せた、非力そうな女性だった。
「……あれは……エルベレスなの?」
わたしはルーのそばへ行って、尋ねた。
彼はとても疲れているように見えた。他のエルフたちもかなり消耗しているようで、何人かは地面に座りこんでしまっている。六人がかりでも、相当体力を消耗する魔法なんだろう。それでもルーはきちんと質問に答えてくれた。
「ああ……[浄化]によって邪神化が解けた今は、無念を残した霊魂の状態だ。あまりに強い思念を残しているため、天に還ることができないのだろうな……」
「……そんな……」
エルフの方々を見ても、これ以上何か出来ることはなさそうだった。
ロータヤも、わたしと視線が合うと、悲しそうに首を振って目を伏せた。
雲はいつの間にか晴れ、暮れかかった夕空に星が瞬きだしている。
廃墟と化した王宮で、その場にいる全員が彼女を遠巻きに囲み、息を殺して見つめている。
そんな中で、うずくまったままのエルベレスの声が響いた。
「……アーレンディルは、どこ……?」
わたしはレイナール殿下に尋ねた。
「殿下、アーレンディルの遺骸はこの王宮にあるのですか?」
「……昔はあったらしいが、千年も前のことだ……私が聞いた話では、いつかの時代の王が縁起が悪いと言って、地下のどこかに埋めさせたらしい……おそらく、もう見つかることはないだろう」
「そうですか……」
殿下は逆に、わたしに尋ねた。
「リネット゠リーン、無茶は承知で聞くが……大聖女の法術で、あれを……エルベレスの霊魂をどうにかすることはできないか?」
「それは……」
そうしたいのはやまやまだけど、いくら殿下のお言葉でも、そんな法術は見当もつかない。
わたしはもう一度、小さくうずくまっているエルベレスを見た。
彼女の姿からは、もうあの禍々しさも、恐ろしさも感じない。
ただ、痛い位の悲しみを感じるだけだ。
ひたすら、愛する《赤毛のアーレンディル》に会いたいと訴える、彼女の悲しみを―――。
『愛はすべての中で、一番尊いものである』
―――ふと、そんなフレーズが頭をよぎった。
これは、聖典の一節だ。
エルベレス自身が、下線を引いた―――。
エルベレスが愛したのは、恋人のアーレンディルだ。
わたしは―――そうだ、わたしは、彼を見たことがある。
赤い頭をして、古めかしい鎧を着ていた……あれはどこでだっただろう?
わたしはふっと隣に立つルーを見上げた。
そして、思い出した。
イニス神殿で、ルーと重なるように、アーレンディルの姿を見たんだ。
ひとつの閃きが生まれ、それはたちまち確信へと変わった。
「……ルー、わたし、エルベレスと一緒に、アーレンディルに会いに行ってくる」
「アーレンディルに? なぜ?」
「エルベレスを、アーレンディルに会わせてあげたい。たぶんそれが、彼女の一番の望みだから」
わたしは宝剣を抜いた。
みんながぎょっとした顔でそれを見る。
剣を持っていない方のわたしの手を、ルーが握った。
「私も一緒に行こう」
「うん! ありがとう」
オーウェンがぼそっとロータヤに尋ねた。
「霊魂って、転移できるのか?」
「わ、わわわ、わかりません……!」
確証はないけど、[浄化]されて邪神でなくなった今の彼女なら、連れて行くことができる気がした。
法術の源は神の理の力だ。それなら、神の理の元にある霊魂にも、適用が可能なはず。
わたしとルーは、うずくまるエルベレスに近づいた。
「エルベレス……アーレンディルのところへ、連れて行くね」
そう言って、わたしは宝剣をくるりと回した。




