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小さな家

 ルーがわたしを連れて行ってくれたのは、森の湖の対岸にある小さな家だった。


 緑の屋根と白い壁のかわいらしい家で、扉に鍵はかかっていない。ロータヤのお屋敷にも鍵がなかったから、この島の家には鍵がついていないものなのかもしれない。ルーがドアノブを回すと、それはすんなりと開いた。

 わたしを中へ通してから、ルーは感慨深そうに部屋を見渡して呟いた。


「……何年振りだろう」


 ロータヤに聞いていたから、ここにルーとお母さんが二人で住んでいたことは知っていた。

 そんな思い出の場所に連れてきてくれたことが、すごく嬉しい。


 だけど、実はわたしはルーに求婚されていた、とついさっき知ったせいで、ここまで歩いてくる間もずっとドキドキしていた。

 わたしは一体どうすればいいんだろう。今いきなり「ところであの件については……」なんて切り出すのは変だよね!? でも時計塔で地震に遭って以降、なんとなくうやむやになっていて、ルーは何も言わない。このまま聞かなかったふりをして返事をしないのもどうかと思うし……。


 というか、わたしはどう返事をするつもりなんだろう?

 わたしはルーのことが好きだけど、結婚なんて、ついさっきまで考えもしなかった。

 でもわたしは今十六歳で、ルーは二十歳。

 この世界では十分結婚できる年齢だ。


 急に恥ずかしくなってきて、急いで言う。


「素敵な家だね。窓から湖がよく見える」

「ああ。小さい頃は毎日ここから湖を眺めていた」


 窓の外を見るわたしのすぐ隣にルーが立った。

 景色を見つめるルーの横顔は、少しだけ寂しそうだった。それを見たわたしも悲しくなる。彼が子どもの頃、この家で一緒に暮らしていたお母さんはもういないのだ。


 ルーがこちらを向いた。わたしと目が合うと、にこっとほほえむ。


「一緒に来てくれる? 見せたいものがあるんだ」




 急な階段を上った先の屋根裏部屋には、雑多な物が置かれていた。

 古い箪笥に、鏡台に、いくつもの木箱。


 そうした物から少し離れた場所に、ひっそりと壁に立てかけられて、数枚の絵が置いてあった。

 ルーがその一枚を持って裏返し、わたしに見せてくれる。


「…………わあ……」


 そこには、とても美しいエルフの女性が、パステルで描かれていた。

 金色の髪に、こちらを見つめる気の強そうな翡翠色の瞳。

 肌は透けるように白く、ロータヤのような柔らかい絹のローブを身に着けている。


「きれいな人だね……この人がルーのお母さん?」

「そうだよ。まだ結婚したばかりの頃の絵で……父が描いたそうだ」

「……お父さんが……」


 ブラッドに聞いた、聖騎士リシャール゠ウィン・クラドックの話を思い出す。

 彼は、こんなに絵が上手な人だったんだ。


 ルーは他の絵も見せてくれた。

 お腹の大きなメルスタさんの絵や、赤ちゃんのルーを抱いたメルスタさんの絵。

 どれもパステル画の優しい風合いで、見ていると本当に幸せそうな空気が伝わってくる。

 それに、描き手であるリシャールさんの、家族への愛情も。


「リシャールさんは、ルーとメルスタさんが大好きだったんだね」

「そうだな……ここに来て久しぶりに父の絵を見たら、そうだったのかもしれないと思えてきたよ」


 絵を見ながら呟いたルーは、やっぱり少し寂しそうだったけど、かすかにほほえんでもいた。

 慰めたくて、背中にそっと手を置く。

 はっとした顔で彼は絵からわたしに視線を移し、しばらくそのまま見つめ合った。


 絵を元のように壁に立てかけると、ルーはわたしに尋ねた。


「外に小舟があるんだ。乗ってみる?」




 *****




 古い木の小舟は、ルーが漕ぐと、湖面を滑るようにして動きだした。

 森に囲まれ、ぽっかりと切り取られたような空にはかすかに陽が射していて、湖水に木洩れ日がきらきらと光っている。

 わたしの向かいにルーが座っていて、慣れた手つきで櫂を漕ぎ、風景を眺めている。

 小鳥の囀りを聞き、涼しい風が時々彼の金色の髪を揺らすのを見ながら、このまま、この幻想的な景色の中に溶け込んでいたいと思った。

 ずっとこのまま、二人で小舟に揺られていられたらどんなにいいだろう。


「本当に君とこの景色を見られるとは思わなかった」


 気がついたらルーはわたしを見ていて、そう言った。離れていたときにわたしが〈一緒にあの景色を見たい〉と言ったのを憶えていたんだろう。なんだか照れる。


「……湖から見ると、また違う景色に見えるね。水面がきらめいてすごく綺麗」

「君の方が綺麗だ」


 わたしの頬がみるみる熱くなった。

 まだ返す言葉も見つからないのに、ルーはさらに言った。


「不思議だな。君がいればどんな景色も美しく見える。実を言うと、いつも霧に覆われたこの島のことはあまり好きじゃなかったんだ。だが今は……君と二人で、このままずっとここにいたいとさえ思う」

「ほ、本当に……?」

「ああ」

「……わたしも同じことを考えてた」


 わたしは思わず顔をほころばせた。

 同じことを考えていてくれたのが嬉しい。

 ルーがわたしの手を握った。

 その頬や耳が、少し赤くなっている。

 でもきっとわたしも赤い。


「リネット……君は気づいていないかもしれないが、時計塔の上で……私は君に、結婚を申し込んだんだ。エルフの言葉で」

「…………うん……ロータヤに教えてもらった……」

「そうか…………すまない。それは忘れてくれ」

「ええええっ!!?」


 思わず身じろぎをして、小舟がぐらりと揺れる。

 わ……忘れてくれ!?

 まだわたしは答えてもないのに、やっぱり求婚やめちゃうの!??

 そんなのひどすぎませんか!!??


 ルーはわたしが舟から落ちないように腕を掴んでくれていた。

 優しく言い聞かせるように、そのままわたしの顔をのぞき込む。


「二度目の聖祭で、もうここまでの命だと諦めていたところに、君が颯爽と現れて私を救い出してくれた。そして私は聖騎士に叙任されて以来、自分に禁じていた魔法をいくつも使って君をさらい、大聖堂を飛び出した…………あのときは、まともな精神状態ではなかったんだ」


 まともな精神状態じゃなかったから、わたしに求婚したんですね!?


 ううっ……あのとき、わたしは完全にルーに恋をしたのに、まさか後でこんな仕打ちを食らわせるとは……恐るべし《金獅子》……。

 わたしは涙を呑んで言った。


「……わかった。忘れるから……もう、帰ろうか……」

「いや、まだ話は終わってない」


 まだあるんですかーーー!!??


 蒼白になったわたしの顔にルーが触れて、あの優しい声で言う。


「……公爵令嬢である君の地位も名誉も失わせてしまったのは私だ。その私が君に結婚を申し込むなど、傲慢で思い上がった行為だと、言った後で気がついた。私自身も、もはや聖騎士でも男爵家でもなく、聖教会と王家に楯突いた反逆者でしかないというのに…………」

「…………ルー……」


 ―――ああ、そういう意味だったのか。

 静かに語るルーの表情を見ながら、わたしは納得した。


 あの二度目の聖祭で、わたしもルーも、とうとう王妃から反逆者認定されてしまった。

 確かにこのままでは、もう二度と安心して王都の土を踏めないだろう。


 だけど、その前に王都がエルベレスに滅ぼされる可能性がある。古代エルフの末裔あるルーの血をもってさえ、エルベレスは数年しか止められない。

 それなら古代エルフを供儀などにするのではなく、協力してエルベレスを完全に浄化してしまう方が、ずっといい方法なのは間違いない。


 わたしはぎゅっとルーの手を握った。


「大丈夫。大公たちも協力してくれるし、きっとエルベレスを鎮めることが出来る。そうすれば、王妃だって聖教会だってわかってくれるよ。だから一緒にがんばろう? ルーこそが名実ともに聖騎士の筆頭だって、みんなに目にもの見せてあげよう!」


 ルーが、ふわりと笑みをこぼした。


「…………君が好きだ。君を、愛している」

「……うん……わたしも好きだよ……」


 胸の中が、鮮やかな多幸感で染め上げられていく。


「ルーを愛してる」


 ルーがわたしの手をぎゅっと握り返した。

 その手に自分の額を当てて、大きく息を吐く。


「……よかった……私は世界一運がいい」

「そ、そんな、大げさだよ……」

「いや、真実だ」ルーは顔を上げ、とても真剣な表情でわたしを見つめた。「……君にここへ来てもらったのは、私の生まれ育った家を見てもらいたかったからなんだ。公爵家に生まれた君の屋敷とは比べ物にならないほど小さい家だが、母はここで、愛情深く私を育ててくれた。私はもうこの家しか持っていないが……それを知ってもらった上で、改めて、君に結婚を申し込みたい」


 年齢のことも、家柄のことも、財産のことも、もう、どうでもよくなっていた。

 ルーがそばにいてくれれば他には何もいらないと、心から思った。

 わたしはにっこり笑って言った。


「はい。わたしも……森が湖と出会う場所で、あなたと朝日を見たい」


 ぱっと花開くように、ルーの顔に喜びが溢れた。

 彼はわたしの手を引き寄せ、そっと、手の甲に口づけをした。

 水面の揺れる音と、小舟の軋む音だけが聞こえる。

 ルーが唇を離して顔を上げ、わたしたちは見つめ合った。

 どちらともなく顔を近づけて、口と口が触れそうになったとき。


 突然それが聞こえた。




〈……さま! 大聖女さま!! 大聖女リネットさまーーーっ!!!〉




「っ!!??」


 わたしは思わずびくっと体を震わせた。

 ルーも驚いたようにわたしを見た。


「リネット?」

「……あ……今、何か……聞こえなかった?」

「いや、何も……?」


〈大聖女リネットさま、こちらは大聖堂付きの司祭です! どうか応答してください!!〉


 ……間違いなく、空耳ではなかった。

 大聖堂付きの司祭。

 おそらく、最初の聖祭の儀式のときに近くにいて、ずっとわたしをしかりつけていた、あの司祭だ。二度目の聖祭のときにも、イソルデの横にいた。

 わたしは素早くルーにそのことを説明すると、目を閉じて、司祭に返事をした。


〈……司祭さま、どうかなさったのですか?〉

〈ああっ、リネットさま! 大変なのです! すぐにこちらへお戻りください!!〉

〈何があったのです?〉


 王妃に反逆者と言われたわたしに、大聖堂付きの司祭が《感応術》を使ってこんな風に呼びかけるなど、ただごとではない。

 まさか―――。


 うっすらとした予感は的中した。

 司祭は取り乱した様子でこう告げた。


〈だ、大聖女エルベレスが復活して……王宮が攻撃されています!!〉

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