獣人たち
あっという間に、勝敗は決した。
地面に落ちていた宝剣をルーが掴んだかと思うと、またたく間に一人、二人、三人、とそのなまくらな刃で峰打ちにし、慌てて逃げようとする男の足を引っ掛けて転ばせて蹴りを入れ、破れかぶれにわたしを盾にしようとしたリーダー格の男を見るとあっさり剣を捨てた。と、油断させた瞬間に拳で殴りつけた。
わたしは呆然と《金獅子》の戦いぶりを見ていた。
あれ? なんか……想定以上にものすごくストリートファイトだったんだけど……聖教会のお上品な金獅子っていうより、むしろ野良獅子っぽいっていうか……とにかく意外とワイルドだ!
だけど―――。
地面に沈んでうめき声を上げる男たちの間を、とどめの必要はないかと悠然と確認して歩き、返り血に彩られながら颯爽とこちらへ戻ってくるルーは、午後の木洩れ日を浴びて、神話の中の戦神のように美しかった。
わたしは無意識に獣人の子どもをしっかりと抱き寄せていたようで、その子が身じろぎもしないことに気づき、慌てて話しかける。
「だ、大丈夫?」
「………………」
真っ白な髪を肩まで伸ばし、二つの丸い耳を頭の上にちょんと立てて、独特な織物のワンピースを着た獣人の女の子は、魂が抜けたかのようにぼうっとした顔つきで、金獅子ルー゠ギャレス・クラドックの姿を見つめていた。
これは……完全に、恋する乙女の眼差しだ。
ルーはそんなことはまったく意に介さず、早口でわたしに告げた。
「リネット、すぐにここを離れた方がいい」
「あ、うん……この子は?」
「ヘイディ!」
ルーのものではない、低い声が背後から聞こえた。
振り向くと、ゆうに二メートルは超えていそうな大柄な獣人が、仁王立ちでわたしを見下ろしていた。
それも一人だけではない。
いつの間にか、周囲にはずらりと獣人の人垣ができていた。その数は―――ざっと二十人はいるだろう。
「パパ!」
女の子が、まっしぐらに大柄な獣人の胸へ飛びこんでいく。
がっしりと抱き合った二人は、見るからに親子だった。
シロクマに似た短めの白い髪に、丸い耳、それから鋭く尖った爪。
お父さんの来ている服にも、女の子のワンピースと同じ柄が部分的に織り込まれている。
たしか、ローレンシアに住む獣人たちは氏族に伝わる柄を大切にしていて、かれらが着る服には必ずその柄が織り込まれているそうだ。
この親子の場合は、緑色の広葉樹の葉っぱを直線的な意匠にしたような柄で、とてもかわいい。
女の子がお父さんの太い腕からぷはあっと顔を出し、興奮したようにルーを指さした。
「あのね、ヘイディ、聖祭を見てたら悪い人たちに目をつけられて、いじめられてたんだけど、あの人が助けてくれたの! すっごく強かったんだよ!」
「ああ、俺も見てた」
お父さんは優しく娘にほほえむと、こちらに向き直った。
「娘が人間に絡まれてると聞いて、急いで仲間を連れて来たが、あんたたちのおかげで助かった。ぜひ、俺の家で礼をさせてくれ」
わたしとルーは、互いに視線を交わした。
ローレンシア王国は四方を海に囲まれた島国であり、その国土には人間の他に、獣人とエルフが住んでいる。
ローレンシア人は国教として聖教会を信仰しているけど、獣人やエルフはその限りではない。
むしろ、神の名のもとに歴史的に人間に迫害されてきたかれらは、聖教会を憎んでいると言っていい。
それに―――わたしがここへ転移した理由の一つでもあるけど―――獣人たちの暮らす広大な《不死森》は、少なくとも名目上は自治区だ。
聖教会の追跡は及ばないはず。
どちらともなく互いにうなずき合うと、ルーはさっきの野良っぽさなど微塵も見せず、獣人のお父さんへ優雅にお辞儀をした。
「では、お言葉に甘えて」
獣人のお父さんはティモさんと言い、なんと《不死森》一帯の獣人コミュニティを束ねる、族長という偉い人らしかった。
ティモ家は森から少し入ったところにあるらしいので、広場を出発する前にわたしはヘイディに近寄り、まだ血が出ている彼女の足にハンカチを巻いて、応急手当をした。
理力が残っていたら、こんな傷、すぐに回復術で治せたんだけど……。
ヘイディはレースのハンカチというものを初めて見るようで、わたしが手当てしている間、大きな赤葡萄色の目を見開いて、それが自分の足にくるくると巻かれるのをじっと眺めていた。
森の中を歩いてたどり着いた家は、想像の十倍は大きかった。
丸太を積み上げて作られた二階建てのログハウスなんだけど、そもそも獣人の体は普通、人間よりも大きいから、天井もかなり高く、必然的に玄関もテラスもソファもなんだかやたら大きい。巨人の家に紛れ込んでしまったらこんな気分だろうか。でも、いくらなんでも長テーブル三つは過剰じゃないか。三十人は座れそうだ。宴会でもするのか。
と、疑問に思っていたら、一度別れた他の獣人たちが、料理や飲み物を持参してティモ家にぞろぞろと集まり、本当に宴会が始まった。
「それじゃあ、ヘイディの恩人に感謝を示して、乾杯!」
乾杯、と迫力ある雄叫びが耳をつんざく。
わたしはティモさんの妻であるヘッレさんの隣に座っていた。
ヘッレさんはすらりとした細身に金茶色のロングヘア、そして耳は先の尖ったキツネのような三角耳をした美女だ。彼女はわたしにクロススグリのジュースを注いだり、焼いた肉やジャガイモを切り分けてくれた。てきぱきとした気持ちのいい人で、「名前は?」とか「どこから来たの?」とか「これ、おいしいわよ」とか話しながら、にこにこと料理を勧めてくれる。
わたしはやっとひとごごちがついて、安心してご馳走を頂いていた。
どの料理も素朴だけど美味で、止まらない。
正直、前世で死んでしまったと思ったら、いきなり聖祭の儀式の真っ最中に大聖女になっていて、生贄を殺せと言われて、でも夢の中の声の人―――《金獅子》ルー゠ギャレス・クラドックを殺せなくて、彼を連れて転移術で逃げる、なんていうせわしないことをしていたものだから、広場で目覚めてからずっとお腹が空いていたんだよね!
だけど儀式の最中に逃げてきたからお金なんて持ってないし、生贄として祭壇に登っていたルーだって持ってないだろうし、そんなことはとても言いだせる雰囲気じゃなかった。
「ねえ、それ、きれいな服ね。いつもそんな服を着ているの?」
突然、近くに座ってる獣人の女性にそう話しかけられて、わたしは苦笑いを浮かべた。
「あ、いえ、これはたまたま……ちょっと、聖祭に出ていて」
「へえ、人間の聖祭では、そんな薄い服を着るんだねえ。あたしたちは重要な場では、氏族の柄を織り込んだ服を重ね着するんだよ」
「そうそう。父方と母方、どっちの柄を上にするかでよくもめるのよね」
「だから、いっそ両方織りこんじゃえばいいんだって」
「何言ってるのよ、そんなことしたら恐ろしいことに……」
たちまち四方八方から女性たちが会話に加わり、実に賑やかなおしゃべりが続く。
獣人は、人懐っこくて元気な人が多い。だから初対面のわたしもすぐにおしゃべりの輪に入れてくれるし、分け隔てなく接してくれる。
それがとても楽しいんだけど、同時にちょっとだけ申し訳ないと思う。
わたしとルーは、貴族に使えている使用人で、所用を言いつかって旅をしていると、かれらに嘘をついていたからだ。
ティモさんたちに余計な迷惑がかからないようにするためでもあるけど、やっぱり少し心苦しかった。
そういえば、ルーもちゃんと食べているかな、と、ヘッレさんの隣のティモさんの隣、つまりわたしの三つ隣に座っている聖騎士をちらりと見た。
あちらはティモさんと獣人の男性達に囲まれて、また違った盛り上がりを見せている。
ルーはティモさんが言った冗談に笑ってから、こっちを向いた。
目が合った。
ルーは何か言いたげにわたしを見てから、ふっと逸らす。
ルーの向かい側にはヘイディが座っていて、しきりにルーの世話を焼こうとしていた。
だけど、かいがいしくお酒を注ごうとするのを、ルーはやんわりと断った。
そのまま立ち上がり、ティモさんに一言、二言告げて席を離れる。
その背中が、ついて来て、と言っている……気がする。
「リネット、カボチャのお代わりはどう?」
ヘッレさんがわたしに勧めてくれる。
「ありがとうございます。でも、もうお腹いっぱいで……すみません、部屋で休ませてもらってもいいですか?」
「もちろんよ。二階の一番奥の部屋を用意してあるから、ゆっくり休みなさい」
お礼を言って二階への階段を上ると、廊下の突き当りにある一番奥の部屋の扉が開いていた。
そっと中を覗くと、誰もいない。
だけどよく見ると、バルコニーの扉が少し開いていて、ルーが露台の手すりにもたれて夜空を見ていた。