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嵐の海

「ねーリネット、酔い止めどこー? あたしもう限界……」


 前後左右に揺れ続ける船室の中に、ヘイディが青い顔をして入ってきた。嵐の中、「すごーい、波が高ーい!」とはしゃいで甲板に立っていたから、白い髪がぐっしょりと濡れている上に、船酔いをしてしまったようだ。


「おいおい、大丈夫かヘイディ? ちょっと待ってろ、今酒を出すから……」


 ヘイディと一緒に外から戻ってきたオーウェンが、ごそごそと懐に手を入れて酒の入ったスキットルを出そうとした。


「き、貴様、子どもに酒を飲ませるつもりか!? そ、それでも、聖騎士かっ!」


 イドリスは船室の壁に作りつけられたベンチに座って足を組んでいたけれど、体の震えを必死で抑えているため、言葉にもいつもの勢いがない。たぶん、船が沈没しそうで怖いんだろう。

 二人の従僕は揃って船室の隅のベンチに座り両手を組んでうなだれ、早くこの嵐が過ぎ去ってほしいとひたすら祈っているように見える。


「ごめんね、ヘイディ。酔い止めはもう切れちゃって……そうだ、《治癒術》をかけるから、そのベンチに横になってくれる?」

「はーい」


 ヘイディが横たわると、わたしはその前に膝をついて、小さな体に両手をかざした。

 法術の六、《治癒術》は、その名の通り病気や怪我を治すことができる。

 わたしの両手をかざした場所から、ほのかで温かい光が発現し、ヘイディの顔色がみるみる良くなっていく。

 光が消えると、ヘイディはぴょこっと起き上がった。


「ありがと、リネット! もう大丈夫! ねえねえ、大聖女の法術で、この嵐も止められる?」

「……ごめん、それはちょっと無理かな……」


 荒波に大きく傾いた船の中で、わたしは苦笑した。




 エルフの住むアルバ島を目指すため、わたしたちはまず、《不死森(しなずのもり)》へ転移した。


 アルバ島は本島の西に位置するけれど、詳しい場所は誰も知らない。人間の目からは隠されているから。

 だけどエルフたちは定期的にアルバ島からやって来て、目立たないように姿を隠しながら、魔力の込められた品物を売り、そのお金で本島のさまざまな品物を買っていく。そのときに寄港するのは《不死森》から少し西に行った場所にある港町ダナッドだ。


 だからわたしたちはまず《不死森》へ行き、ティモさんに尋ねた。

 ダナッドの船乗りに、知り合いはいませんか、と。


 なぜなら、エルフの島を探すなんて言ったら、迷信深い船乗りはなかなか乗せてくれないからだ。

 エルフの怒りを買って沈められた船の話や、呪いを受けて永遠にさまようことになった幽霊船の話には昔から事欠かない。普通の人は、まず関わりたくないと思うだろう。


 それに加えて、今は船が不足していた。

 なぜなら、大聖女エルベレスの怒りを逃れるために、人々は大挙してこの国から逃げ出そうとしているからだ。

 だからどこの船も急遽、外国行きの航路に変更され、商船も漁船もみんな大陸へ向かっている。そのおかげで国内では色々な商品が品薄で、街からは日に日に人影が減っていっている。


 でも《不死森》一帯の獣人の族長であるティモさんの伝手で、乗せてくれる船はなんとか見つかった。

 その代わりに、どうしても自分もアルバ島に行きたいと主張するヘイディも、一緒についてくることになった。

 なんでもヘイディは学校の自由研究でエルフについて学んで以来、世にも美しいというエルフの姿とその魔法を見たくて仕方がなかったらしい。

「そういうことならしっかりエルフを見ておいで。かわいい子には旅をさせろって言うしね!」と、ヘッレさんは学校を休ませてまで娘を船旅に送り出したのだ。




 そんなわけでわたしたち六人はティモさんの知人の交易商人の船、その名も「海の聖女号」に乗せてもらったんだけど、出航時には快晴だった天気が、港を離れたとたん急激に暗転し、嵐となったのだ。


 終点のない遊園地のアトラクションのように揺れ続ける船は、まるで拷問だった。

 しかも風雨のため見通しが悪く、ただでさえ見つけにくいエルフの島へ行くことが、さらに難しくなっている。

 ヘイディは果敢にも、アルバ島を探すために再び甲板に出て行こうとしたけれど、わたしもオーウェンもそれを止めた。さっきよりも波が高くなっている。

 船室の扉が開いて、船長のフリントさんが入ってきた。難しい顔をしている。


「悪いが、ダナッドの港に引き返させてもらう。この嵐じゃ、どのみちアルバ島なんて見つかりっこないからな」

「……ま、仕方がねえな」


 オーウェンが答えた。

 船室に重苦しい沈黙が漂う。

 聖祭はもう十日後に迫っていた。

 十日後には、新しく大聖女の憑代となったイソルデ゠ケリ・エドニェットが、ルーの心臓を刺し貫いてしまう。

 わたしは、ぎゅっと拳を握りしめた。

 一刻も早くアルバ島へ行き、古代エルフの血を引くエルフたちに協力を頼みたいのに―――。


 わたしは嵐が鎮まる兆候でもないかと、船室の窓から海を見た。

 空は黒く、波は相変わらず高い。

 ―――と、その荒波の合間に、何かが見えた。


「……え?」


 それは小舟に見えた。

 この天候の中、小さな舟はあまりにも頼りなく、一枚の葉っぱのようにすぐにも波間に呑まれてしまいそうだ。


 だけど、そんな不安定な小舟に、誰かが乗っているように見える。

 わたしは窓に顔を張りつけるようにして小舟を凝視した。

 やっぱりそうだ。


「あの小舟、人が乗ってる!!?」


 わたしが叫ぶと、オーウェンたちも窓の外を見た。


「あんな小さい舟で、この嵐の中……? 正気じゃねえな」

「朝は晴れてたからだよ。すぐに助けないと!」


 わたしは船室を飛び出し、よろめきながらも甲板の端まで行って、柵につかまった。

 小舟に乗っているのは、若い女性のように見えた。

 気丈に背筋を伸ばし、前を向いて櫂を漕ごうとしているけれど、この波では浮いているだけで精一杯だ。


「おーい! 大丈夫ですかーっ!!?」


 思い切り叫んだけれど、波の音にかき消されて、声が届いた様子はない。

 イドリスが船長のフリントさんを引っ張ってきてくれた。

 彼は厳しい顔で首を振った。


「無理だな。下手に近づくと衝突するか、こっちの船の波で転覆させちまうよ」

「そんな……」


 小舟の女性はこちらの船に気づいているはずだけど、助けを求めるでもなく、ただひたすら櫂を動かしている。

 波にあおられ、小舟が大きく横に傾いた。

 わたしはいてもたってもいられなくなって、宝剣を抜いた。


「あの小舟に転移して、彼女を連れて戻ってくる!」


 オーウェンがわたしの手を掴む。


「やめとけ。こっちもあっちも動いてるんだ、転移に失敗してあんたが溺れ死んだら、俺がルーに殺されちまう」

「で、でも……」

「いいから任せとけって。なにせ俺は、《灰燼》なんだぜ?」


 そう言ってオーウェンは二ッと笑い、上着とブーツを脱ぐとわたしに放った。


「……オーウェン!? まさか……」


 止める間もなく、オーウェンはざぶんと嵐の海に飛び込んだ。


 わたしたちが呆気に取られているあいだに、オーウェンの大きな体は高波を縫って、ぐいぐいとすごい勢いで泳いでゆく。

 そしてあっという間に、あの小舟にたどり着いてしまった。

 オーウェンが小舟の縁に腕をかけて、女性に話しかける。

 彼女はオーウェンを見もせず、なおも櫂を漕ごうとしていたけど、腕が限界に達していたのか、大きな波が来ると櫂をさらわれてしまった。

 それでようやく小舟を諦めたらしく、彼女はオーウェンの背に乗り、彼の首に手を回した。

 オーウェンが小舟を離れ、今度は平泳ぎでぐんぐんと戻ってくる。

 船長が慌ててロープを海に放る。


 みんなが呆然と見守る中、オーウェンは軽々とロープを伝って甲板に降り立ち、女性を背中から下ろすと、おどけてお辞儀をした。


「『海の聖女号』にようこそ、エルフのお嬢さん」


 その若い女性は、ずぶ濡れだけどピンと背筋を伸ばし、どこか威厳を漂わせていた。

 薄紅色の髪と琥珀色の瞳、そして尖った耳。

 人間離れした美しい容姿。


 彼女はエルフだった。

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