砂糖とコーヒー
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「……それから間もなく私の母は精神を病み、亡くなった。父は失意のどん底にいたが、ルーを認知し、クラドック家の者として育てることにした。だがそれから一年もしない内に父も亡くなり、私が男爵家を継ぐことになった。
メルスタは自分の息子も聖騎士となることを望んでいたらしく、先に聖騎士団に入っていた私が弟を推薦した。弟は大司教により聖祭の供儀に抜擢され、それを受け入れた…………話は以上だ」
ブラッドが話し終え、喉が渇いたのか、給仕にコーヒーを二つ注文した。
長い物語を聞いたわたしは、何一つ、感想を言うことができなかった。
慰めの言葉なんてかけられないほど、あまりに壮絶だったからだ。
何か一つでも歯車が違っていれば、こんな悲劇は起こらなかったのかもしれない。
だけどそれは既に起こってしまったのだ。
まだ十歳だったルーは、目の前で母を喪い、どれほど傷つき、悲しかったことだろう。
彼の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうだった。
寝起きの悪いルーが口にした言葉を思い出す。
『行かないで』
『ひとりにしないで』
―――あれはきっと、十歳の頃からずっと抱えている思いなんだろう。
それに、あの魔法。
わたしに「人を挑発するようなことが言えなくなる」なんていう魔法をかけたのは、まさにルーのお母さんがそういう台詞を口にしたせいで、命を落としてしまったからなんだろう。
たぶんルーは、お母さんを救えなかったことを悔やみ、自分を責めているんだ。
だからきっと、供儀になることにも抵抗はないんだろう。
自分を愛し育ててくれた大事な人は、もういないから。
わたしが言葉を失っている間にコーヒーが運ばれ、ブラッドは無表情のまま、そのコーヒーに砂糖を山盛り三杯入れた。いっそ清々しいほどの甘党ぶりだ。
わたしもコーヒーに口をつけた。
ブラックのままだから、とても苦い。
でも、苦い中にもコクと爽やかな風味があって、心と体にすっきりと沁みわたる。
さっきのトライフルで砂糖もたくさん摂ったおかげなのか、脳が活性化され、頭もシャキッと冴えてきて―――突然、わたしは閃いた。
「あ……[浄化]」
「[浄化]?」
上品にコーヒーを飲んでいたブラッドが、ぴくりと片方の眉を上げる。
わたしは宙を見つめたまま、閃いた考えを急いで繋ぎ止めるように言った。
「そう、[浄化]…………呪いを解く魔法。昔、半神がひどい目に遭わされて邪神化した物語を、本で読んだことがあるの。神話の中の半神は、呪いの気持ちがあまりにも強過ぎたために、自分の呪いのせいで自家中毒を起こしたような状態になり、ついには災いを招く邪神となってしまった。だけど、呪いを解く[浄化]の魔法を使える魔法使いが、半神の邪神化を解いた」
「……だから、君はエルベレスの邪神化の呪いを解くために、[浄化]魔法の使えるエルフを連れてこようと?」
「そう!!」
やっぱり、聖教会の枢機卿という重要人物であるブラッドも、エルベレスが邪神化したことを知っていたんだ。
単にルーのことが嫌いだから、供儀にしたがっていたわけじゃない。
わたしはブラッドに笑顔を向けた。
「アルバ島には他にも古代エルフがいるんでしょう? そこへ行けば、強い魔力を持っていてエルベレスさえ[浄化]できるようなエルフが、見つかるかもしれない!」
「…………あと二週間しかないのに、そんなことができるとでも? そもそも、アルバ島は人間の目からは隠されている。君が上陸できるとは思えない」
「人間の目からは見えないかもしれないけど……人間以外の目からなら、見える」
わたしの言葉に、ブラッドが目を見開いた。
「……獣人に道案内をさせる気か」
「うん。やってくれそうな相手にも、心当たりがあるし」
わたしもブラッドも、いつの間にか持って回ったような敬語を使うことを忘れていた。
ブラッドの話を聞いたことで、わたしの中で、彼の見方が少し変わっていた。
ルーにひどいことを言ったのは許せないけど、たぶんこの人は、根っから悪い人じゃない。
現にわたしにこの話を聞かせてくれたし(全部嘘かもしれないけど、わたしにこんな手の込んだ作り話をするメリットはないだろう)、ルーに悪態をつきながらも、それは不幸な出会い方のせいで接し方がわからないだけで、もしかしたら心の底では同情する気持ちがあるのかもしれない。
弟を死なせたくないという気持ちが、あるのかもしれない。
わたしは一度深呼吸をしてから立ち上がった。
そして、ブラッドに深々と頭を下げた。
「イニスの泉に転移させたこと、謝ります。あのときはごめんなさい。それから、話してくれてありがとう」
顔を上げると、ブラッドは面食らったようだった。わたしが謝るとは思っていなかったのだろう。
驚いた無防備な顔は少しだけルーに似ていて、いつか、この兄弟が仲良くなれる日が来るといいなと心から願った。
「トライフルもご馳走様でした。とても美味しかったです。それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわ! おほほほほっ!」
解決への光が見えてきたことで、わたしの気分は上がっていた。上機嫌で高笑いをして、踵を返して次の目的地へ。
ブラッドが背後で叫んだ。
「リネット゠リーン! 私は弟を助けたいだなどとは思っていない。この国の誰も、千年前から決まっていた聖祭を覆してまで、たった一人の男を救いたいだなどとは考えないだろう。それでも君が大局に逆らい、弟の命を助けたいというなら、その代償は高くつくぞ。そのことを忘れるな!!」
わたしは足を止め、くるりと振り向いて答えた。
「わかりましたわ、ブラッドお兄さま!!」
「……私は君の兄では、ないっ!!!」




