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名前を呼ぶ

 あの人の声が聞こえた。


 温かくて優しい声。わたしを呼んでいる。

 ああ、やっぱりわたしは、この声が大好きだ。


 でも今日の夢はいつもとは少し違うみたいだった。なんだかやけに声が近くてリアルで、いつもはぼんやりとした光しか見えないのに、今は木洩れ日と、空と、天使みたいな男の人が間近に見えて―――。


「……大聖女さま?」

「…………ふぁっ!!?」


 リアルで至近距離で見つめられていた。慌てて飛び起きる。そのままでは頭突きするところだったけど、《金獅子》ルー゠ギャレス・クラドックは難なくそれを避けた。


 ここは、広場のようだった。

 心地良く晴れた昼下がりで、なぜだろう、人がとても多い。

 広場のあちこちに、きれいな花と布で飾り付けがされている。

 家族連れや恋人同士が華やかに着飾り、飲み物を飲んだりお菓子を食べたりしながら、手をつないで歩いている。

 食べ物や風船やおもちゃの出店もたくさん並んでいて、どこかから楽隊の音楽も聞こえる。

 まるでお祭りのようだ。


 ―――お祭り?


 わたしはハッと気がついた。




 そうだ、今日はお祭りもお祭り、千年に一度の聖祭の日じゃないか!!




 王都から遠いこの場所へ転移したのに、今日は大聖女を祝う国を挙げての盛大な聖祭の日だから、こんな地方の広場でも、賑やかに聖祭が祝われているんだ。


 途端に、自分がしでかしたことの重大さに思い至り、胃がぎゅっと縮む。


 聖祭で賑わう広場の隅の、大きな楠の根元。

 わたしは広げたマントの上に寝かされていた。


 たぶん、大聖女として目覚めたとたんいきなり《転移術》なんていう大技を使ったわたしは、気を失っていたんだろう。どうやってここへ横たえられたかを考えると、かなり恥ずかしい。

 隣にいるルー゠ギャレス・クラドックが、紳士的に尋ねる。


「気分はいかがですか?」

「……あ……ええと、大丈夫です」

「それは良かった」


 心から、良かった、という顔でほほえむ。

 わたしは思わず見とれてしまった。

 こんなに美しい容貌の人間がいるなんて、本人を目の前にしても信じられないくらいに美しかった。


 さらさらと音が聞こえてきそうな、きらめく金色の髪。

 まっすぐにこちらを見つめる、宝石みたいな翡翠色の瞳。

 すらりと伸びた長い手足。

 天使と見紛うような麗しい顔立ちだけど、日焼けした肌といくつかの古い傷跡が、この人が現実の存在だと説得力を与えている。


 と、《金獅子》の超絶美形ぶりを鑑賞した後で、わたしは改めて考える。


 千年に一度しか催されない最重要の神事である聖典の真っ最中に、居並ぶ王侯貴族や聖職者たちの眼前で、自分はこのローレンシアの至宝のような美形の聖騎士をさらって逃げて来てしまった、ということを。


 ……気まずい……というか、個人レベルの問題じゃなく、かなり詰んでる。

 せっかく転生したのに、いきなりやらかしてしまった。

 これ、ごめんなさいで済む話じゃないよね……? 国家レベルで大問題だよね……?


 まあ、やってしまったものは仕方がない。

 わたしは気を取り直して、こほんと咳払いをした。


「あの……ルー゠ギャレス・クラドックさん」


 改まって呼びかけると、当人はぷっと吹き出した。なぜ笑う。


「はい、大聖女さま?」

「あ、いや……大聖女じゃな……いえ、もしかしたら大聖女、かもしれませんが……でもその呼び方はちょっと」


 しどろもどろに言うと、《金獅子》は笑みを深めた。なんか余裕があって悔しい。


「わかりました。では、リネット゠リーン・メレディスさま」

「……リネットでいいです」


 まさか《金獅子》がわたしのフルネームを知っているとは思いもよらなかったから、いきなり名前を呼ばれて頬が熱くなる。


 それと同時に、少しだけ、胸が痛くなる。

 この体の持ち主であった「リネット゠リーン・メレディス」の魂は、もうここにはいない。

 大聖女の魂と引き替えに、出て行ってしまったのだ。

 わたしは「前世の記憶」と「リネットの記憶」を両方持っているけど、人格は前世のままで、リネットの人格は消えてしまった。

 リネットがそうした可能性を納得した上で、名誉として大聖女の憑代の役目を引き受けていたことも知っているけど―――だからこそ、儀式から逃げ出したことがうしろめたかった。


 ルー゠ギャレス・クラドックは、そんなことは何も起こらなかったかのように悠然としていた。


「それでは、私のこともルーとお呼びください。リネットさま」

「……さまもいらないし、敬語も無くていいです。年下だし」

「そういう訳にはいきません。あなたは公爵令嬢である上に、大聖女であらせられる。男爵家出身で一介の聖騎士の私からすれば、雲の上の存在です」


 きっぱりと断られる。


 前世は身分なんてほとんど感じることのない社会に生きていたけど、この国は厳然たる身分社会で、上下の区別がはっきりしている。それを踏み越えた者は、容赦なく罰せられる。どんなに美形でも最強の騎士でも、例外はない。

 だからわたしは無理強いはせずに、別方向からアプローチすることにした。


「で、でも、わたしたち聖祭の儀式の最中に逃げてきちゃいましたよね? たぶん、聖教会から追手が来ますよね? それなのに年上のあなたがわたしに敬語を使っていたら、町中で悪目立ちしませんか? ここは無難に、きょうだいのふりでもした方がいいと思うのですが」

「………………」


 すうっと、翡翠色の瞳が細められた。

 え、なにこれ。美形の真顔ってこんなに怖いの。ちょっと待ってごめんなさい。顔面偏差値が違いすぎるのにきょうだいとか図々しい上に、わたしがさらって逃げてきたくせに厚かましかった! 優しいからって調子に乗りました!


 思わず土下座しそうになる寸前、《金獅子》が口の中で転がすように、呟いた。


「リネット」

「! ……う……うん」


 何かを待っているようにじっと見つめられる。

 こ、これは……もしかして、次はわたしの番、ということ?

 わたしはどぎまぎしながら、その名を呼んだ。


「ルー」

「うん」


 ルーは、どこか面白がっているように、ほほえんだ。

 うわ……なんだこれ。なんか恥ずかしい。ものすごくこそばゆい……!


 ゆでエビのように赤くなっているわたしめがけて、何かが飛んできた。

 反射的にルーが動き、それを受け止める。


 飛んできたのは、白い頭にクマさんのような丸い耳がぴょんと生えている、子どもだった。


 ―――獣人の、女の子だ。

 足を怪我している。


「おやあー? 聖祭に紛れ込んでたケモノのガキと遊んでたら、いいもん見つけちまったなあ」


 ガラの悪い声がすると同時に、五人の男がわらわらと現れ、わたしたちを取り囲む。


 騎士―――ではない。地方によくいるタイプのごろつきだ。


 だけど相手は全員、棍棒やらナイフやらを持っていて、ルーは聖騎士とはいえ丸腰。

 いや、わたしが持っていた儀式用の黄金の宝剣は近くに転がっているけど、あれは細いし、刺突に特化しているようで切っ先以外はなまくらだし、ごてごてと装飾されていて実用向きじゃないだろう。

 それにわたしも、さっきの《転移術》で理力を使い果たしてしまっている。しばらくは何の術も使えない。


 しかも、二人とも儀式用の目立つ衣装のままだ。

 特にわたしは、全身ピカピカの宝石だらけ。

 襲ってくださいと言っているようなものだ。

 ごろつきの一人が興奮したようにまくし立てる。


「なあ、こいつら、さっき聖教会が告示してた逃亡者じゃねえか? ほら、その金髪のツラのいい男が《金獅子》で、そっちの銀髪のヘンな服の女が大聖女なんじゃねえ?」


 誰がヘンな服だ! ……まあ、確かにちょっと、変わったセンスだけど……。


 なんて憤慨している場合じゃない。

 きょうだいのふりなどする暇もなく、速攻でバレている。

 わたしはぎりっと歯噛みをした。


 せっかく王都にある大聖堂から遠く離れた場所へ転移したのに、もうこの町の聖教会まで連絡が来ているなんて―――。


 この世界で理力を使えるのは、大聖女だけじゃない。

 高位聖職者たちも、大聖女に比べればだいぶ弱いけれど、ある程度の理力を持っている場合があり、離れた場所にいる人と思念で会話したり、軽い傷程度なら回復させたりすることができる。

 さすがに転移はできないけど。


 聖教会は、その遠隔会話術―――法術の一、《感応術》を使って、国中に伝達したのだろう。


『大聖女と《金獅子》を捕えよ』と。


「俺たち、ついてるな」と、リーダー格らしい吊り目の男がニヤニヤしながら近寄ってくる。「こいつらを縛り上げて聖教会に引き渡せば、一気に大金持ちだぜ」

「そのケモノはどうする?」

「知るかよ。二、三発ぶん殴って、その辺に転がしておけ」

「あの二人は、身ぐるみ剥いでいいよな?」

「当たり前だろ」


 ごろつきたちは、薄ら笑いを浮かべながらこちらへにじり寄り、一斉に襲いかかってきた。

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