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禁じられた恋1

 ルーのお母さんの物語は、二十一年前のアルバ島から始まる。



 *****



 アルバ島はローレンシア王国の領土であり、王都のある大きな本島・アンゲルン島の西北の海に浮かぶ小島だ。

 常に霧がかかっている幻想的な島で、その島には、二百人ほどのエルフたちが住んでいる。


 かれらは主に自給自足の生活をしているそうなんだけど、魔力を活かして、本島に出荷するための製品を作ったりもしているらしい。

 たとえば、ごく弱い[魅了]の魔法をかけたアクセサリーはいつの時代も人間の女の子がこぞって買い求めるものだし、逆に[忌避]の魔法をかけたお守りなんかも、しつこく言い寄ってくる相手に困っている人には人気だ。


 ルーのお母さん―――メルスタは、二百人のエルフの中にも十人足らずしかいない古代エルフの末裔で、大きな魔力を秘めていたから、アルバ島の中でも中心的な家で暮らしていた。


 それでもエルフは男女問わず全員が何かしら仕事を持っているものだそうで、メルスタも彼女が一番得意な[浄化]の魔法を使って、呪いにかかったエルフや動物を助ける仕事をしていた。

 なんでもアルバ島は土地自体の魔力が強く、魔力に耐性のあるエルフでも、時折、地中から吹き出す強い瘴気に当てられて具合が悪くなってしまうことがあるらしい。




 いつものように、メルスタがトネリコの杖を持ち、呪いにかかったエルフがいないか浜辺で見回りをしていたときのことだ。


 濃い霧の漂う砂浜に、一人の男が倒れていた。


 メルスタが近づいてよく見ると、それは人間の男性だった。

 銀と青の服を着て、腰には長剣を佩いている。

 まだ、息があった。


 人間は、この島では招かれざる客だった。

 無知で愚かで欲深く傲慢で嘘つきで、しかも乱暴者ときている。

 ごくたまに本島からの難破船が打ち上げられたり、人間の水死体が流れ着くことはあったけれど、生きている人間がこの地を踏むことはほとんどなかった。

 アルバ島全体に[結界]魔法がかけられているからだ。

 だからそもそも人間の目にはこの島が見えないし、足を踏み入れることもない。


 アルバ島が数百年前にローレンシア王国領となったのは、当時のエルフ大公が大聖女エルベレスに敬意を表したためであり、エルフが一般的に争いを好まない種族だったためだ。

 決して、人間の支配下に置かれたいと望んだわけじゃない。


 だから、メルスタも最初はその男を助けようとは思わなかった。

 死ぬ運命ならば、ここで死ぬのだろう。


 そう思って立ち去ろうとすると、男が目を開けた。

 メルスタに気づくと、掠れた声で尋ねた。


「……私の……仲間は……無事……でしょうか…………」


 メルスタは目を見開いた。

 残念ながら、浜辺に他の人の姿はない。

 そう告げると、男は涙を流した。


 彼女は、生まれて初めて、人間でも仲間のために泣くことがあるのだと知った。


 メルスタは男を助けることに決めて、人手を集めに、集落へ駆け戻った。




 男の名はリシャール゠ウィン・クラドックと言った。

 聖騎士で、仲間たちと共に聖地巡礼をしている折に船が難破し、この島に流れ着いたそうだ。


 実直で素朴な男で、難破した際に足を負傷し、一部の記憶を失っていた。

 リシャールはメルスタの家の離れに部屋を与えられ、回復するまでそこで過ごすことを許可された。


 リシャールは、最初にメルスタを目にしたときから、恋に落ちてしまったようだった。

 一方のメルスタは人間の男が物珍しいのか、杖を持って見回りをする途中、よく離れにやって来ては、看病とも遊びともつかない時間を過ごしていた。


 二人が愛し合うようになるまで、長い時間はかからなかった。


 メルスタの父親は眉をひそめたが、気づいたときにはもう、メルスタのお腹には赤ちゃんが宿っていた。

 リシャールとメルスタはひっそりと結婚式を挙げ、翌年、男の子が産まれた。

 二人は湖畔の小さな家で暮らし始めた。




 静かで平穏な生活が続いていたけれど、ある日を境に、リシャールは物思いに沈むことが多くなった。

 メルスタが問い質すと、彼は逡巡の末、妻に涙ながらに打ち明けた。


 記憶を取り戻した、と。


 彼は聖騎士団に所属していたが、同時に男爵家の嗣子でもあった。

 男爵家には他に跡継ぎはいない。彼が本島に戻り、クラドック家の領地と財産を受け継がなければならない。

 メルスタは夫に言った。


「それなら私も本島へ行くわ」

「……すまない、メルスタ…………実は、私は既に結婚していたんだ……あちらにも、妻と息子がいる」


 メルスタの怒りは凄まじく、リシャールがどんなに謝ってもなだめても決して耳を貸さずに、夫を家から叩き出した。


 最終的にリシャールは粗末な小舟に乗せられ、一人でアルバ島を去ることになった。

 無事に本島にたどり着けたのは僥倖としか言いようがない。

 いや、それこそが不幸だったのか。




 義務感からクラドック家へ戻ったものの、既にメルスタを心から愛してしまっていたリシャールは、家の取り決めのために結婚していた妻をどうしても愛することができず、離婚を切り出した。

 結果、リシャールは人間の妻も激怒させてしまった。

 彼女はクラドック家よりも爵位の高い子爵家出身であり、非常にプライドが高く、高慢な性格だった。

 人間の女ではなく、エルフなどに夫の心を奪われたことに我慢ができなかった。

 だから決して離婚に応じようとはせず、二年間も行方をくらませていたことをなじり、責め続けた。


 リシャールは塞ぎ込むようになった。妻と離婚してメルスタをクラドック家に迎えようという目論見も破綻し、お先真っ暗だった。妻の実家の子爵家まで怒らせてしまい、もはや離婚どころではなくなってしまった。


 クラドック家は冷え切った家庭となった。

 不幸なのはまだ六歳だった長子のブラッド゠ヴァラ・クラドックだ。物心がつき始めたと思ったら、失踪していた父親が帰ってきて、家を守っていた妻をねぎらうどころか、他の女、しかもエルフを愛してしまったと告白したのだ。

 ブラッドがシニカルな人間に育ったのは、当然のことだった。


 だけどしばらくは、冷え切ってはいるがどうにか家庭の平穏は保たれていた。

 その均衡が崩れたのは、メルスタが息子を連れてクラドック家の門を叩いたときだった。




 メルスタもまた、本気でリシャールを愛していた。

 彼が去った後にそのことに気づいたメルスタは、すぐに本島へ彼を追いかけようとした。

 けれども息子は旅をするには小さ過ぎたので、彼が七歳になるまでアルバ島で育てると、七歳の誕生日に彼の手を引いて島を出た。


 エルフは簡単にはその心を開かないけれど、一度誰かを愛すると、一生その相手を愛し続けることがほとんどだ。伴侶を変えることは滅多にない。とても愛情深く、相手に忠実な種族なのだ。


 アンゲルン島に上陸したメルスタだったが、人間の島のことなど右も左もわからなかった。

 リシャールは聖騎士で男爵家だったので、その線をたどれば見つけられるだろうと思っていたのだが、聖教会はローレンシア国内にごまんとあり、そのどこでもエルフは歓迎されないどころか、聖騎士を誑かそうとしているのではないかと門前払いを食らった。

 男爵家の線はさらに望み薄だった。メルスタはクラドック家の領地がどこにあるのかすら知らなかったし、何一つ伝手を持っていないエルフのメルスタが、人間の貴族に会ってリシャールの居場所を聞ける可能性など、万に一つもなかった。


 メルスタは諦めなかった。

 スラム街のような場所にしか住めなくても、[浄化]の魔法を使い、細々と金を稼いで息子のルーを育てた。

 古代エルフの血を引く彼女の美貌なら、仕事を選ばなければ簡単に一財産をつくることができただろう。けれど彼女はその道を選ばず、美しい顔と尖った耳をフードで隠して、地道に[浄化]の仕事だけをした。言い寄ってくる男は多かったけれど、彼女は見向きもしなかったので、大抵の男は冷た過ぎる態度に諦めた。強引に迫ってくる男は、トネリコの杖で撃退された。


 そうやって過ごしている内に、近所にあれこれと世話を焼いてくれる人たちが増えた。

 スラム街は危険で貧しい地域だけど、住人たちのコミュニティは緊密だ。ひたすら真面目に仕事と子育てをし、愛する男を探すメルスタの姿に、住民たちも心を打たれ、仲間として迎え入れる気になったのだろう。


 スラム街のネットワークを駆使したら、クラドック男爵家はあっけないほどすぐに見つかった。

 メルスタはルーを連れ、それまでこつこつと貯めた金で長距離馬車に乗って、愛しいリシャールに会いに行った。


 ルーが十歳、ブラッドが十五歳のときのことだった。

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