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お茶の時間

 諸公会議にでも出ていたのか、今日は鎧ではなく聖騎士の礼服を着ているブラッドは、総毛立つような恐ろしい目でわたしを見下ろした。


「……これはこれは、公爵令嬢リネット゠リーン・メレディス殿。供も連れず一人で堂々と王宮を歩くとは、ずいぶんと度胸がおありで」


 開口一番、嫌味を言われる。


 わたしが彼をイニスの泉の真上に転移させたので意趣返しをしてやるぞという意味なのか、あるいはわたしが聖祭からルーを連れて逃げたことが巷の噂になっていることを揶揄したのか。おそらく両方だろう。


「おほほほほ、お褒めにあずかり光栄ですわ。先日、聖騎士の方々に取り囲まれて脅されるというとても怖ろしい体験をしたおかげで、少しだけ度胸がつきましたわ」


 こちらも嫌味で応酬する。

 前回この男に啖呵を切り、泉へ突き落したことは後悔していない。絶対に謝ったりするもんか。彼がどんなに悪しざまにルーを罵ったか、わたしは一言一句はっきりと憶えている。


 ブラッドは一ミリも表情を緩めずに凄んだ。


「それは何より。私も鎧のままで夜間水泳に励むという貴重な体験ができました。よろしければ、貴女にも同じ経験を味わわせて差し上げましょうか?」

「うふふ、ご丁寧にありがとうございます。ですが、お忙しい《黒雷》さまのお手を煩わせるわけにはいきませんもの。何かの間違いでわたくしへの逮捕命令が出されていたようですが、王妃さまが取り消してくださいましたし、もうわたくしのことはお気遣いなく」

「貴女が遠慮というものをご存知だとは、驚きですね」

「あら、そんなことに驚かれるなんて、枢機卿さまは案外世間知らずだこと」


 目には見えない暗い火花が、ブラッドとの間にバチバチと飛び散る。

 正殿の広い廊下を行き交う貴族たちが、何事かと足を止め、人だかりが出来つつあった。

 ブラッドの切れ長の目が、いよいよ険を増している。

 ……そろそろ、退散の潮時かもしれない。

 スカートの裾をつまんでお辞儀をしようとして、ふと、重大なことに気がつく。


 この人、もしかしてルーのお母さんのこと知ってるんじゃあ……?


 わたしはさーっと青ざめた。

 どうしよう。

 ルーにかけられた「人を挑発するようなことが言えなくなる」魔法はもう解けているらしく、わたしは調子に乗ってさんざんブラッドに挑発的な台詞を言ってしまった。

 今さらどの口で「ところで貴方にお聞きしたいことが……」なんて言えるだろう。


 悶々としていたら、ブラッドが先に去ろうとした。


「お会いできて光栄でした。次は聖祭でお目にかかります」

「待って!」


 切羽詰まったわたしは、むんずとブラッドの礼服の裾を掴んだ。遠巻きに見ている貴族たちからどよめきが上がる。わたしは逆にそれを利用することにした。


「行かないで、ブラッドさま! まだ貴方とお話ししたいことがたくさんあるのです! そうだわ、わたくしの屋敷へいらっしゃらない? とっておきのおいしいお茶をご馳走しますわ!!」


 わざと声を張り上げてそう誘う。

 見物人の貴族令嬢たちが頬を赤らめ、男性たちは面白がって成り行きを眺めている。


 ふふふ……こんな公衆の面前で、公爵令嬢であるわたしが、聖騎士とはいえ男爵家のブラッドを実家に誘ったんだ。断れば公爵家の面子に大きな傷がついて家同士のトラブルに発展しかねないし、ブラッドの男性としての体面にも関わるだろう。

 卑怯かもしれないけど、わたしには二週間しか時間がないんだ。背に腹は代えられない。


 予想通り、ブラッドは口の端をぴくぴくと引き攣らせながら、「…………喜んで」とわたしの誘いを受けた。




 *****




 ブラッドはクラドック家の馬車で来ていた。

 それに同乗させてもらい、王宮を出る。


 ルーを地下牢に残していくことに後ろ髪を引かれたけれど、必ず助けるからね、と心の中で呟く。

 馬車は王都の大通りへと出た。




「……それで、どこへ行くつもりです。まさか本当にメレディス家へ行って、私を親に紹介するつもりでもないでしょうに」


 ブラッドは馬車に乗るなり足を組み、ぞんざいな態度で尋ねた。


「さすが、察しがいいですわね。わたくしの家には参りません。どこか、ゆっくりお話できる場所へ案内してくださいません?」


 わたしはあくまで公爵令嬢として振る舞っていた。この偉そうなお嬢様口調で話していると、仮面を一枚被っているような、なんとなく自分と周囲との間に薄くバリアを張っているような安心感があって、ブラッドのような心を許せない相手には便利だ。


 ブラッドは重いため息を吐くと、御者に、ある店の名前を告げた。




 そこは閑静なお屋敷街にある、隠れ家的なカフェだった。

 貴族御用達の店のようで、一階は吹き抜けになっていて天井が高く、一つ一つの客席には上品な一点物のソファとテーブルが置かれ、趣味の良い季節の花が飾られている。

 客層はもちろん貴族ばかり。あちこちの席に華やかなドレスに帽子、仕立ての良い紳士服や見覚えのある顔が見えるけど、みんな品良く知らない振りをして、午後のお茶を楽しんでいる。ここでは他人に干渉しないことがルールらしい。


 ブラッドにエスコートされて席に着きながら、思わず「素敵なお店ですわね」と感想が漏れてしまった。こんな堅物がこんなお洒落な店を知っているのが意外過ぎる。

 でもブラッドは意外にもしっかりとエスコートしてくれているし、顔立ちだって(ちょっと怖いけど)整っている。よく見ればルーと眉や鼻筋が少し似ていて、性格は冷たそうだけどかなりの美形だ。もしかして、堅物そうに見えて実はモテて、頻繁に女性をこういう店に連れ込んでいるんだろうか……。


 給仕の男性が来ると、ブラッドは慣れた様子で「いつもの物を」と頼んでいた。給仕はわたしにもにっこりとほほえみかけると「かしこまりました」と恭しくお辞儀をした。


 給仕がいなくなって二人で差し向かいになると、忘れていた緊張感が急に甦る。

 テーブルの上で両手を組み、じっとわたしを見てくるブラッドの視線に耐えきれなくなり、わたしは先に口を開いた。


「……素敵なお店ですわね」言ってから気づいたけど、二回目だ。

「公爵令嬢たる貴女には少々庶民的過ぎるかと思ったのですが、気に入って頂けて嬉しく思います」

「そんなことはないですわ! わたくし、ずっとこういうお店に来てみたいと思っていましたの!」


 つい本音で返してしまった。

 前世では病気のせいで、人で溢れる都会のお洒落なお店になんて行けなかったから、本当にこういう場所に憧れてたんだよね。


 ブラッドは少し意外そうな顔をした。

 けれど、すぐに気を取り直したようで、また新たな嫌味を言ってくる。


「そうですか。ですが、貴女は私の弟にしか興味がないのだと思っていました。まさか兄である私の方にもお誘いを頂けるとは。美人は三日で飽きると言いますが、弟の美貌にはもう飽きたのでしょうか?」

「……まあ、ご冗談を」


 そこで、給仕が注文したものを運んできた。

 わたしは目を丸くした。


 それはトライフルだった。




 トライフルはこの国で人気のデザートだ。

 ガラスの容器にスポンジケーキやゼリー、フルーツを重ね、その上にカスタードやクリーム、トッピングに赤いイチゴや銀のアラザンを散らした、パフェのようなかわいいお菓子、なんだけど。


 給仕に出されたトライフルは巨大だった。

 デザート容器というよりもむしろビールジョッキのようなどっしりとしたガラスの容器に盛られ、天を突くかのようなクリームに、これでもかと執念を感じるほどのイチゴがびっしりと刺さっている。


 ……ん? これはもしかしてカップルでシェアする用のサイズ? でもわたしとブラッドの前に一つずつ置かれたし……。

 などと考えていたら、ブラッドが平然と言った。


「さあ、遠慮せずにどうぞ」


 ブラッドは氷のような表情のまま、クリームをスプーンですくい、上品に食べはじめた。


 わたしはようやく理解した。

 これは、試練なのだ。

 このトライフルを食べなければきっと、ブラッドはわたしに何も教えてくれない。

 それならば受けて立とうと、わたしはスプーンを握りしめた。




 *****




「はー、美味しかった……」


 すべて食べ終えたわたしは、スプーンを置いてため息を吐いた。

 巨大トライフルは食べても食べてもなかなか減らない、底の見えない谷のようだった。

 でも美味しかったので食べ切った。

 まさかこんなところでフードファイトすることになるとは思わなかったけど……でも、甘いものをもりもり食べても体調を崩さないこの健康な体が嬉しい。


 ブラッドが感心したように、空になった容器を眺めた。


「まさか完食するとは……大聖女の理力でも使ったのですか?」

「ふふ、まさか。トライフルが美味しかったからですわ」

「…………そうですか」


 ブラッドも既に完食していた。

 まさかこの見た目で甘党だとは思いもしなかったけど、食べ物の好みは人それぞれだよね。

 無言で一心にトライフルを食べているブラッドは、表情の険しさがやわらぎ、少し親しみやすい感じに見えた。

 まあ、今はまた怖い顔に戻っているけど。

 彼はその怖い顔をわたしに向けた。


「……食べ切れずに残すようなら、礼儀知らずと追い返そうと思っていましたが……仕方がない。弟について聞きたいことがあるのでしょう? 私は何を話せば?」


 一瞬、わたしは自分の耳が信じられなかった。

 まさか本当に教えてくれるなんて!


 わたしは反射的に身を乗り出し、叫んでいた。


「ありがとうございますっ、お兄さまっ!!!!」

「……私は、貴女の兄ではない……」


 ブラッドはものすごく嫌そうに顔を歪めた。

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