私だけに
宿屋の女将さんは五十代位の細身の人で、ぽっちゃりした娘さんと二人でちゃちゃっと食事の用意をし、「ありあわせのものですみませんね」と言いながらスープとハムとパンを出してくれた。二人ともルーのそばを通るときは、ぽっと頬を染めていた。
驚いたことに、彼女たちはオーウェンのことも憎からず思っているらしく、ルーに対するのと同じような態度を取っていた。聖騎士の銀と青の甲冑を身に着けていると、誰でも五割り増し位に格好良く見えるのかもしれない。中身はそんなんじゃないですからね! と声を大にして教えてあげたいところだ。
簡単な夕食を済ませると、オーウェンは「ちょっと情報収集に行ってくる」と隣の酒場へ行ってしまった。物は言いようだ。
ルーとわたしは女将さんたちに礼を言って宿屋の食堂を出た。食堂は一階にあり、わたしたちの泊まる物置部屋はそれぞれ二階と三階にある。急な階段を上りかけたわたしは、足を止め、後ろにいるルーを振り返った。
ルーはわたしと目が合うと、話を切り出されるのを待つように、黙りこんだ。
夕食のときもずっと、ルーは口数が少なかった。
―――やっぱり、怒っているのかもしれない。
なにしろわたしは、男爵で十聖で枢機卿でもあるルーのお兄さんを、あろうことかイニスの泉の真上に転移させてしまったのだ。しかも、「あなたみたいな意地悪な兄は、泉で頭を冷やしてきなさい」なんていう啖呵まで切って!
わたしはおそるおそる、口を開いた。
「えーっと、明日は王宮に行って、わたしの伯母でもある王妃さまに謁見するのでいいんだよね?」
「ああ」
「……本当に、ルーも一緒に行くの? グレナ伯母さまは気の弱い王さまに代わって実質的にこの国を動かしている方で、厳しいけど話のわかる方だから、上手くいけば聖祭と生贄の儀式が後世に付け足されたものだとわかってくれて、それを取り止めにしてくれるかもしれない。でも、もしかしたら問答無用で逮捕されて、聖祭の続きを強要されちゃうかもしれない。
だからルーはここに残っていてくれた方が、わたしは安心なんだけど……」
「私も行く」
素っ気ない返事だ。
やっぱり怒ってる……わたしは思い切って、きちんと謝ることにした。
「あの、ルー…………ごめんね?」
「何が?」
「……わたしがお兄さんを泉に突き落としちゃったから、ルーは怒ってるんでしょう?」
ルーは意外そうに目を見開き、顔を背けた。
「…………そうじゃない。怒っているのではなく……いや、私は自分自身に怒っているのかもしれないな」
「どうして?」
少し経ってから顔を上げたルーは、ほほえんでいた。
だけど、屈託のない笑顔じゃなくて、それはどこか悲しそうな表情に見えた。
ルーは「どうして?」というわたしの質問とは直接関係のない、その前の会話について補足した。
「王宮へ行き、王妃に謁見する際には、私も一緒に行かせてほしい。聖騎士は大聖女のために有るものだ。だから、君を守ることが私の存在意義でもある」
「あ……う……ええと……そ、そう……なんだ……?」
わたしはしどろもどろになった。
くっ……ほほえみながらそんな台詞をさらっと言えてしまうなんて……聖騎士、おそるべし……!
だけどそれだけでは済まなかった。
階段を二段上っていたわたしは、ルーよりもほんのわずかに高い位置にいた。そのわたしの耳元に、ルーが手すりを掴んで背伸びして顔を近づけ、囁いた。
「だから、約束して。私の兄に言ったような、あんな挑発的な台詞は、もう他の誰にも言わないと」
こんなに近くで、大好きな声がわたしに囁きかけてくる。
心臓がばくばくしてうるさいけど、内容は聞き取れた!
……いやでも、挑発的って!
他の人に言うなって!
どういうことかとルーの方を見たわたしは、
すぐに後悔した。
廊下の燭台の仄かな光に照らされたルーは、この世のものではないかのように綺麗で。
間近にある彼の瞳に燭台の炎がゆらめき、それはまっすぐにわたしを見ているから、わたしはもう他の何も目に入らなくなってしまう。
魔法にかかったように、わたしの体は少しも動かなかった。
唇も触れそうな至近距離で、ただルーを見つめることしかできない。
ルーの唇が、ゆっくりと動く。
「……私だけに、言ってほしい」
震えそうな声で、わたしは、「うん」とだけ答えた。
ルーは安心したように笑って、体を離した。
すると魔法が解けたようにわたしも動けるようになって、わたしたちはおやすみを言ってそれぞれの部屋へ行った。




