禁断の果実
王都コルヌアイユは大嵐だった。
真夜中で、王都とはいえ目抜き通り以外は漆黒の暗闇だ。しかも大雨に大風ときたら、大抵の店や家は明かりを消し、固く扉を閉ざして眠ってしまっている。
「リネット」の乏しい王都の記憶を頼りに、目抜き通りの角の、行ったことのある宝飾店の店先に転移したけど、着いてみればひどい嵐だ。しかも深夜。
わたしとルーとオーウェンは、急いで雨風がしのげそうな細い路地裏へ入った。
「ここなら、濡れなそうだね……」
そこは狭い路地で、左右の酒場と宿屋は同じ持ち主が経営しているのか、二階部分が通路で繋がっていた。
その通路が雨を防ぐ屋根の役目を果たし、路地に雑多に積まれた酒や小麦粉の木箱も、風よけになってくれている。
酒場からは陽気などんちゃん騒ぎが聞こえ、煌々とした明かりも漏れてくる。
しばらく雨宿りぐらいならできそうだ。既に全員、ぐっしょりと濡れてしまったけれど……。
だけど、ほっとしたのも束の間、ルーが濡れた髪をかき上げると、「ここの宿屋に、今夜泊まれるか聞いてくる」と、再び雨の中に飛び出した。
ルーの濡れた顔を拭こうとハンカチを取り出したのに、結局自分の顔を拭くことしか出来なかった。でも、「水も滴るいい男」との言葉の通り、ずぶ濡れのルーもまた違った雰囲気で格好良かった。出てきた宿屋の人が女性なら、間違いなく泊めてくれるだろう。
「なあ、俺にもそれを貸してくれないか? 甲冑が錆びる」
オーウェンは濡れた犬のようになっていた。わたしは無言でハンカチを押し付けた。オーウェンが苦笑して受け取る。
「なんだよ、まだ怒ってるのか? あれは仕方がなかったんだ。あんただってわかるだろう?」
「……わかるけど……でも、ルーは寄ってたかって殴ったり蹴ったりされて、あちこち怪我したんだよ? どうしてそんな平気な顔していられるの?」
わたしはティモさんの家でのオーウェンの変わり身を、まだ完全には許せずにいた。ルーは青鎧たちに怪我を負わされ、わたしが治癒術で治すと言っても、頑として傷を見せてくれようとはしなかった。
オーウェンは丁寧に甲冑を拭きながら、なぜか、ニヤニヤと笑った。
「怪我ねえ。そんなに心配ならじっくり怪我の具合を見てみたらどうだ? あいつはああ見えて喧嘩に強いからな。相手の威力を殺しながら攻撃を受け流すやり方を心得てるんだ。まったく、こっちが馬鹿を見てるような気になるぜ」
その話を聞いて、広場でごろつきに遭遇したときのことを思い出した。
あのとき、ルーは飾り剣のようなわたしの宝剣一本で、五人もの男たちをあっという間に倒してしまった。剣技も確かにすごかったのだけど、足を引っ掛けて転ばせたり、剣を捨てて相手が油断したところを殴りつけたりと、そういえば聖騎士の戦いというより、喧嘩と呼んだ方がしっくり来るようなスタイルだった。
「……だからって、親友を売っていいことにはならないでしょう? ルーは親友だって、オーウェンが最初に言ったくせに……」
わたしはまだ非難がましい態度を捨てきれなかった。
前世では病気ばかりしていて、すごく仲のいい友達はいなかったから、「親友」というものに特別な憧れがあるのだ。だから自分の都合でころころ態度を変える人が「親友」を名乗ることに、つい厳しい目を向けてしまう。
オーウェンは面倒くさそうに頭を掻いた。
「親しい友なら親友でいいだろ。少なくとも俺は、あいつのことが好きだぜ? それに十聖の中では一番親しく付き合ってる。はみ出し者同士、仲良くな」
「…………はみ出し者?」
「おう」オーウェンは自分の顎を撫でながら、わたしをどこか上から目線で見下ろした。「……うん、あんたに一つ、役に立つ忠告をしておいてやろう。ルーに関することだ」
「忠告? ……何?」
この男の言葉なんてまともに聞く必要はないと思いつつ、ルーに関することと聞いて、わたしは反応してしまった。
オーウェンはおもむろに真剣な表情を浮かべ、声を潜める。
「ああ、忠告だ。いいか? 《金獅子》ルー゠ギャレス・クラドックには、決して深入りしない方がいい。あいつは飛び抜けて綺麗だし感じもいいが、離れて眺めるだけにしておけ。あいつは、あんたには―――いや、あんた以外の他の誰にだって、決して手に入ることのない、禁断の果実みたいなもんだからな。近づくな、触れるな。惚れるなんてもってのほかだ」
一方的に断じるような言い方に、反論しようと思って口を開いても何も言うことができない。ほんの数日前にルーと出会ったばかりのわたしに、一体何が言えるというんだろう? オーウェンの言葉に反発を感じながらも、そこには何か計り知れない真実味があるようで、気になって仕方がないんだけれど、本人のいない場所でこれ以上詳しい理由を聞くことも躊躇われた。
そんな風にまごついているわたしを見て、オーウェンは満足気に続ける。
「…………とは言っても、あんたは既に《金獅子》と一瞬で恋に落ち、『この愛は不滅なり』と叫びながら居並ぶ王さまたちをカエルにしちまったんだっけな!」
ははははっ、と大笑いするオーウェンのすねを、腹が立ったわたしは思い切り蹴ってやった。銀色の硬いすね当てにつま先が当たり、とても痛かった。痛がるわたしを見て、オーウェンはさらに笑った。
そのときルーが戻ってきた。
「満室だったが、特別に、物置として使っている二部屋を貸してくれるそうだ。時間外だが食事も用意してもらえる」
金色の髪から雨の雫を滴らせているルーは、やっぱり目を奪われるような色男で、対応した宿屋の人は女性に違いないとわたしは確信した。




