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大聖女は聖騎士をさらって逃走しました  作者: 岩上翠
第一章

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イニス遺跡

 昼過ぎに、わたしたちはようやくイニス遺跡にたどり着いた。


 森の中に、サファイア色の水を湛えた大きな泉が広がっている。

 泉の中心には、ぽっかりと小さな陸地が浮かんでいて、その上に朽ちかけた石造りの神殿が建っている。

 けれど、その四角い建造物は、神殿というよりも、まるで―――。


「……なんつーか、牢屋みたいな建物だな?」


 オーウェンが頭を掻きながら、ずばりと言った。


「……大聖女の身を守るためだろう。聖戦後のローレンシアは、外敵は退けたが、国内に聖教会への不満分子を抱えていたと聖典にもある」ルーが穏当な意見を述べる。

「そうか? 大聖女の弟子が書いたっていう聖典の外伝には、聖戦後の大聖女は民衆に神と崇められて、大人気だった、ともあったぞ。どっちにしろ、こんなとこで孤独に聖典を書いてたなんて、なんかかわいそうになってくるな」

「大聖女には貴様のような単細胞の考えもつかない、崇高な志があったんだ。聖騎士ごときが愚弄するな」


 少し離れたところから、イドリスが嫌味を言ってくる。


「……ところで、この遺跡……どこから入るんだろう?」


 わたしがさっきから感じていた疑問を口にすると、全員が、泉の中心にぽつんと浮かぶ神殿を眺めた。


 橋や舟のたぐいは、どこにもない。


 昔はあったのかもしれないけど、千年の間にぼろぼろに朽ちてしまったのかもしれない。

 だけど、それじゃあ遺跡の中へは入れない。


「リネット、《転移術》を使って遺跡の中に移動することはできるか?」

「あ、うん。それはできるよ。ここにいる全員、転移させられると思う」

「大聖女さまってのは便利だな! じゃあ、さっさと行こうぜ」オーウェンが早速足を踏み出そうとする。

「いや、ここはリネットと私が行こう」ルーはわたしたちを見渡した。「全員で遺跡へ移動して向こうで不測の事態があった場合、身動きが取れなくなる。だがたとえばリネットが《転移術》を使えなくなっても、私は彼女を抱えて、泳いでここを渡れる」


 わたしはルーの意見に感心した。合理的な判断だ。

 それに、こちら側の岸から神殿までゆうに五百メートルはありそうなのに、わたしを抱えて泳げると言い切ったのもすごい。さすがは十聖の筆頭だ。わたしなら泳ぐどころか、すぐに足が攣って泉の藻屑になるだろう。

 他の人たちも、その意見に納得したようだ。


 ふふふ……でも、わたしだってさっきから絶好調なんだよね。

 ルーを連れてあの遺跡まで《転移術》で行くことはたやすいし、その後で《共振術》を使うことも、またこちらへ戻ってくるのも、今なら余裕でできる気がする。


 わたしはイドリスの方へ近づき、できるだけ穏やかに声をかけた。


「大聖女が聖典に何を書いたか確かめてくるから、待っててね?」

「…………ふん」


 イドリスは腕を組み、そっぽを向いた。

 ……まあ、誠意は行動で示せばいいよね。


「じゃあ、行こうか」


 ルーがうなずき、わたしは腰に差していた宝剣をシュッと抜いた。

「剣を抜く」なんていう動作も初めてで、ちょっと胸が高鳴る。


 その剣で、目の前の空間を楕円に切り裂く。

 たちまち揺らめきだしたオーロラの中へ、わたしはルーの手を取って、入っていった。




 *****




「……ここが、イニス遺跡の中……」


 転移した場所は、神殿の内部だった。


 内部は、思った以上にがらんとしていた。とても質素な礼拝堂のようなその場所には、古めかしい石の祭壇だけが鎮座している。窓は少なく、昼でも薄暗い室内はかび臭さが漂っている。

 礼拝堂の奥には簡素な厨房があった。小さな竈に、井戸に、石の調理台。

 そのさらに奥の部屋はこぢんまりとした寝室で、石の寝台の他には何もない。たぶん、元々は木製の机や椅子や箪笥があったんだろうけど、歳月を経て、跡形もなく朽ち果ててしまったのだろう。

 たった三部屋しかないこの神殿内には、各部屋に一つずつ窓が開いているけど、どれも相当高い場所に設置されていて、空しか見えない。


 ……なんていうか、聖戦で栄光の勝利をおさめた大聖女が、戦争後はたったひとりでここに暮らし、毎日毎日、ひたすら聖典をしたためていたのだと思うと、せつないような気持ちになってくる。

 閉塞感のある壁から目を背けると、ルーは神殿の入口近くに立って、扉を調べていた。


「ルー、何かあった?」


 わたしの声に、ルーが振り向く。


 どきりとした。


 一瞬、ルーの姿が、古めかしい鎧を着た赤髪の男性の姿と、二重になって見えたからだ。


 ―――だけど、よく見るとわたしの前にいるのは、銀と青の聖騎士の礼装が今日もほれぼれするほどよく似合う《金獅子》ルー゠ギャレス・クラドックだ。

 どう見ても、赤髪なんかじゃない。

 他の人のように見えたのは、どうやら錯覚だったみたいだ。


「鍵がかかっている」

「えっ?」

「……この扉は、外から施錠されているようだ」


 ルーを知らない人に見間違えてぼんやりしていたので、彼の言葉を理解するのに、少し時間がかかった。

 鍵がかかっている。外から。


「……それって、この神殿は、中からは開けられないということ、だよね……?」


 すぐには答えずに、ルーは扉を見た。

 重そうな石と鋼鉄の扉。隙間はなく、内側から操作できそうな錠や鍵穴も見当たらない。

 ルーは扉に手を滑らせて突起などがないか調べ、それから礼拝堂の窓をちらりと見ると、わたしに聞いた。


「外へ出てみても構わないか?」

「え? うん、もちろん。でも、扉は開かないんじゃ……」

「あそこに窓がある」


 窓。確かに礼拝堂の壁には横長の窓がくりぬかれていて、そこにはガラスも格子も嵌まっていない。でも、長身なルーの背よりもだいぶ高い位置にあるようですが……??

 困惑するわたしに、ルーがほほえみかけた。


「すぐに戻ってくるから、ここで待っていて?」

「……うん」


 うわあ、こんな風に優しく笑いかけながら言われたら、わたしはいつまでだって待てるよ。


 わたしの返事を聞くと、ルーは小さくうなずき、窓の下へ行った。

 ジャンプして、窓の縁に両手をかける。

 そして腕の力でぐっと体を持ち上げ、頭を窓に入れると、そのままするすると外へ出てしまった。


 わたしはぽかんと口を開けてそれを見ていた。

 あの服の下は結構な筋肉質だろうとは思っていたけど、あんなに高い場所にある窓から簡単に脱出してしまうなんて。

 これなら、ルーは本当にわたしを背負ってあの泉を泳ぎ切ってしまうだろう。


 薄暗い神殿の中に一人になったわたしは、改めて内部を見回した。


 こうしてぽつんとここに取り残されると、神殿のどこを見てもうすら寒さを覚える。

 冷たく分厚い石の壁、不必要なほど高い位置にある窓、装飾の何もない無機質な部屋。

 どう贔屓目に見ても、ここは人間が幸せに暮らせそうな場所には見えない。

 大聖女はどうして、こんなところに住もうだなんて思ったんだろう?

 聖典を書くために一人でここに籠ったと伝えられているけど、そんなに集中して書きたかったんだろうか。それとも何か、よっぽど人間嫌いになるような出来事でもあったのかな―――。


『……は…………の……?』


 きぃん、と耳鳴りがして、遠くからごくかすかに、人の声のようなものが聞こえた。


 わたしはハッとして耳を澄ませた。

 今の声は、たぶん、現実のものではない。今ここで、この場の空気の振動によって伝わった音のようには聞こえなかった。

 だけど―――わたしはまだ、《共振術》を発動させてはいないのに。




 法術の二、《共振術》を使えば、その場で過去に起きた出来事が、当時その場にいた人の感覚を通して見聞きすることができる。その人が当時抱いた感情が強ければ強いほど、術者が知ることのできる情報は多くなる。


 その術を、わたしはまだ使っていない。


『…………を…………て』


 まただ。また、あの声が聞こえた。不思議な声域をもつ、女の人の声。


 わたしの背中を冷や汗が伝った。

 わたしは絶対にまだ《共振術》を使っていない。

 だからこれはわたしの術ではなく、誰かに強制的にかけられている術だ。

 だけどそんな法術のかけ方、聞いたこともない。


 そして、そんな理論の範疇を超えた術を使えそうな、かつてこの場所にいた人など、たった一人しか思い浮かばない。


「…………大聖女エルベレス、あなたなの…………?」


 そう呟いた途端、わたしの視界が暗転した。

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