声
よろしくお願いします。
わたしは十六歳で死んだ。
小さい頃から体が弱くて、学校で過ごす時間より、病院にいる時間の方が長い位だった。
それでもせっかく高校に入れたんだから、一度くらいはみんなと同じように高校生ライフをエンジョイしたかったけど、受験で無理をしたせいかそれとも天命か、わたしの体は、もうそれ以上はもたなかったみたいだ。
高校の合格発表の直後に体調を崩したわたしは、もう何度目かわからない入院をして、卒業式にも入学式にも出られなかった。
そして、そのまま退院をすることは出来ずに、短い生涯を閉じた。
「がんばったね」という、涙でくぐもった両親と病院の先生の声が、最後に聞こえた。
お父さん、お母さん、ごめんね。
たくさん心配させて、迷惑かけて、結局死んじゃって、ごめんね。
わたしも治りたかったけど、がんばったけど、駄目だったよ。
もっと生きたかった。
もっと遊びたかった。
高校にも行きたかった。
友達も作りたかった。
恋もしたかった。
でも、もしかしたら――。
あれは唯一の、恋だったのかもしれない。
*****
死を迎える二、三年前から、わたしは不思議な夢を見るようになった。
知らない男の人の声が聞こえてくる夢だ。
その人の声はとても温かくて優しくて、聞いているだけで嬉しくなってしまうような声だった。
呼びかけてくる声にわたしが答えると、最初、その声は驚いていたようだったけど、すぐに返事を返してくれるようになった。
何度かたわいのない会話を交わすだけで、夢は突然終わってしまう。
夢の中の風景はおぼろげで、やわらかな光に包まれていて、具体的なものは何も見えない。もちろん、その人の姿も一度も見えなかった。
そんな曖昧な状況なのに、わたしはその人に好意を抱いていた。
だって、声が本当に優しくて、いい声なんだ。
落ち着いた低い声で、相手への思いやりに溢れている。
それに―――あなたを待っています、と言ってくれた。
どこに行けば会えるのかと聞くと、その人は、聞きいたこともない長い地名を口にした。
病気だから行けないかもしれないと言うと、その人は力強く答えた。
大丈夫、必ず会えますから、と。
両親には一度も話さなかったけれど、起きてからも耳に残っていたこの人の声が、その頃のわたしに生きる力を与えてくれていたのは間違いない。
あの人に会いたい。
夢じゃなく本当に会って、もっともっと、たくさんのことを話したい。
けれどわたしは死んでしまった。
そういえばその人は、変わった呼び名でわたしのことを呼んでいた。
わたしはなんて呼ばれていたんだっけ。
なんだかおおげさで仰々しくって、ちょっと笑っちゃうような―――。
ああ、そうだ。
その人は、なぜかわたしを「大聖女さま」と、呼んでいたのだ―――。
*****
「……さま………………大聖女さまっ!!」
「…………え……?」
夢から醒めたように、感覚が少しずつ体に戻ってくる。
誰かの声が聞こえる。
あの人じゃなく、別の、知らない男の人の―――ちょっと怒ったような、怖い声。
ここはどこだろう。わたしは何かを両手で握っている。ひんやりとして重い。長い棒状のもの?
まだ視覚が戻ってこない。
いや、違う。
目は見えている。
視界が遮られているんだ。
わたしは、目隠しをされている。
「さあ、大聖女さま! 儀式の遂行を!」
再びさっきの声がした。
儀式の遂行? 何のことだろう。
「……あの、これは……」
戸惑いながら、一体何が起こっているのか聞こうとして、愕然とした。
―――わたしの口から、全然知らない女の子の声がする!!
「え? あれ? なんで?」
わたしは半分パニックになり、片手で目隠しを取ろうとした。細長い布は頭の後ろできつく結ばれていて、なかなか取れない。
「な……何をなさるのですっ!?」
男がすっとんきょうな声を出し、止めようと慌ててわたしの手を掴んだ。
けれど、わたしが目隠しを剥ぎとる方が早かった。
「………………な…………」
周囲を見渡して、言葉を失う。
そこは、外国の映像でしか見たことのないような、古くて壮麗な大聖堂の中で。
ステンドグラスの光が差し込む広い礼拝堂の中には、西洋風の豪奢できらびやかな衣装や冠を身に着けた、ザ・貴族、とか、ザ・聖職者、といった格好の男女がひしめいていて。
その人たちの厳しい視線が、一斉にわたしに注がれている。
そしてわたしはといえば、刺繍とレースと宝石と金属でできた、ドレスと鎧が混ざったような、だけど露出は多いというセンスの突き抜けた衣装を着て、頭には何やらずっしりと重い宝冠のようなものをかぶり、手には黄金と宝石で作られた細い剣を持ち、大聖堂内の華やかで陰気なギャラリーと、わたしの目の前で跪いている人を前に、ただただ呆然としていた。
そう、目の前には、まさにこれから処刑される人のように、目隠しをされた一人の男性がわたしに向かって跪いていた。
金色の髪をした、若い男性だ。
筋肉質の体に、中世の貴公子のような、清廉さと雅やかさを絶妙にマッチさせた銀と青の宮廷服のようなものを着ている。
帽子は着けていないから、わたしと同じように目隠しの布が頭の後ろで結ばれているのも、日に焼けたうなじも、よく見える。
わたしの隣で、司祭っぽい豪華な服を着た小柄なおじさんが、さっきと同じように怒りながら、小声で耳打ちしてきた。
「大聖女さま、何をぐずぐずしておられるのです! 今は千年に一度という厳粛な聖祭の、それも、最も重要な生贄の儀式のまっ最中ですよ!? さあ、早く《金獅子》の心臓に刃を突き立てるのです!!」
「へっ?」
「この騎士の心臓に、刃を、突き立てるのです!!!!」
わたしが間抜けな声を出すと、司祭は頭の悪い生徒に苛立つ教師のように、顔を赤くして唾を飛ばしながら怒鳴った。
本当に全く意味がわからない―――何、これ? 夢?
でも、そういえばわたし、死んだはずじゃなかったっけ―――?
見物している高貴そうな人たちが、何事かと怪訝な顔でざわつき始める。
跪いている騎士は、普段から平常心を保つ訓練でもしているのか、そのままの姿勢で微動だにしない。
司祭は無理矢理わたしの両手に剣を握らせ、騎士の背中を指さした。
「さあ、心臓はここです!」
「で、でも……そんなことをしたら、この人、死んじゃいますよ……!?」
わたしが涙目で言うと、司祭はついにブチ切れた。
「だからっ!! これは、供儀を殺して大聖女に捧げる儀式なんだっ!!!!」
観客のざわめきがいよいよ大きくなった。
呆れ、驚き、嘲笑、失望。
それらがすべてわたしに向けられている。
恥ずかしさと困惑に全身が熱くなったけれど、どうすればいいか全然わからない。
どうしてこんな衆人環視の中、見知らぬ男性を、剣で刺し殺さないといけないの!?
そのときだ。
それまで動かなかった騎士が、すっと顔を上げ、わたしの方を向いた。
目隠しをしていても、ものすごくきれいな顔立ちをしているのがわかる。
騎士は、落ち着き払って、まるで小さい子どもをなだめるように、わたしに語りかけた。
「……大聖女さま、私はずっとあなたを待っていました。この聖祭で供儀となることは私の運命であり、私自身が選んだことです。だから、あなたが気に病むことなど、何もない」
大聖堂内が、水を打ったように、静まり返る。
わたしも、呼吸すら忘れて騎士を見ていた。
その人の声が、わたしが何度も夢の中で聞いた、あの声だったからだ。