生き急ぐ俺と、遠回りが一番の近道だと言い張るタクシードライバー
敵対する組織の幹部を、拳銃で撃った。
駅前の雀荘で仲間と雀卓を囲んでいるところに、単身で乗り込み、相手の隙を突き、眉間に一発ぶち込んでやった。即死だ。ざまあ見やがれ。
しかし、その刹那、同席する構成員に右肩を撃たれた。畜生、しくじった。銃撃戦の末、そこにいる全員を殺した俺は、撃たれた肩を左手で押さえ、地獄絵図と化した店内を出る。
ええい、くそっ。店の前に乗り付けたバイクで逃げるつもりだったが、これでは運転なんて出来ない。そもそも歩くことさえままならない。でも、ここでもたもたしていれば、追っ手に殺されてしまう。迷った挙句、駅前に停車していた一台のタクシーに乗り込んだ。
「こんばんは。ご乗車ありがとうございます」
初老の運転手が、挨拶をする。
「おい、オヤジ、何も質問するな。殺されたくなかったら一刻も早く車を出せ。とりあえず主要道路に出て、ひたすら走行を続けろ」
車内に転がり込み、運転手を恫喝する。バックミラー越しに血で滲んだ右肩を確認した運転手は、状況を察し、乗り場から静かに車を出した。
後部座席に深く腰を下ろすと、右肩に強烈な痛み。おかしなものだ、さっきまで、まるで痛みを感じなかったのに。
そうだ、兄貴に報告をしなくては。スマートフォンのタッチパネルを、震える指でなぞる。指先が血でネバネバして上手く操作が出来ない。イラつくぜ。
「お客様、主要道路に出ました。これから、どちらまで?」
「うるせえ。今からそれを確認するところだ、黙っていろ」
血痕だらけのスマートフォンを操作し、なんとか兄貴に電話を掛ける。
「兄貴、喜んで下さい。俺、やりました。命令通り、敵の幹部をぶち殺しました。え? 今ですか? うっかり肩を撃たれてしまい、タクシーで逃げているところです。兄貴、教えて下さい。俺、しばらく世間から姿を眩ませたい。これからどうすればいいですか? ……はい。……はい。……はい。分かりました、大至急向かいます。――おい、オヤジ、目的地を言うぞ。港にある巨大なスーパーマーケットだ。今すぐそこへ向かえ」
「え? でも、お客様、あのスーパーは、もう……」
「ガタガタ抜かすな。兄貴がそこで俺を待っている。俺が世間から姿を眩ます方法を教えてくれるらしい。急げ!」
「かしこまりました」
言うや否や、運転手は、曲がり角でハンドルを切った。
「お、おい、この道は、港とは逆方向じゃないか?」
「お客様、私は、この町のことを隅から隅まで知り尽くしています。この道は遠回りのようですが、渋滞を考慮すると結果的には近道なのです」
あてもなく直進を続けていた車が、目的地に向かって走り出す。俺は、ガラス窓にひたいを押し付けて、傷口から込み上げる痛みに耐えている。吐く息が直接吹きかかっているのだが、ガラスがまったく曇らない。暖かな五月の夜だからか、それとも、俺の体が、徐々に冷たくなっているからか。やばい。こうしてじっとしていると、気を失ってしまいそうになる。
「おい、オヤジ、何か質問をしろ」
ハンドルを握る運転手に、後部座席から話しかける。
「へ?」
「退屈だ。タクシードライバーなら、客に世間話のひとつでもしやがれ」
「でも、さきほど、何も質問をするなって――」
「さっきはさっき、今は今だ。俺に何か質問をしろ。頼む。俺を眠らせないでくれ」
「かしこまりました。お客様、見たところお若いですね。おいくつですか?」
「二十歳だ。文句あるか」
「若いなあ。……思い出します。私の息子が行方不明になったのも、二十歳でした。こんな不規則な仕事をしているせいで、いや、職種のせいにしてはいけませんね、単純に父親としての私の力不足で、家庭で我が子と向かい合うことが出来ず、思春期になると、息子はすっかりぐれてしまった。高校を卒業すると、働きもせず反社会勢力とかかわるようになり、二十歳を過ぎたある日、突然消息を絶った。もう十年も前の話です。今頃どこで何をしているやら。生きているのか死んでいるのか。後悔しています。もしもやり直せるなら、次は必ず息子と正面から向かい合いたい」
次の曲がり角で、またハンドルを切る。
「おい、随分と遠回りをしていないか?」
「遠回りが一番の近道です。私を信じて下さい」
「自信たっぷりだな。この仕事は長いのか?」
「ドライバー歴三十五年。手前味噌ですが、ベテランの域です。てへへ。ついでに言わせて下さい。実は私、今日で定年を迎えるのです。午前0時になったら、私のタクシードライバー人生は幕を閉じます。残りあと十五分です」
「気の毒に。最後の最後にとんでもない客を乗せてしまったな」
「どのようなお客様であれ、プロとして必ず目的地までお送りします。私は、今日まで無事故・無違反、ノントラブルの模範ドライバーです。てへへ」
激痛が全身を駆け巡る。冗談抜きで、何か話していないと悶絶してしまう。
「さっきからあんたばかり喋っているぞ。あんたの自慢話はもう聞き飽きた。もっと俺に質問をしろ」
「……右肩の血が止まりませんね」
「さっき、兄貴との電話を聞いていただろう。抗争する組織との銃撃戦で撃たれたんだ」
「どうしてそんな無茶を?」
「出世をするためだ」
「そうまでして出世がしたいですか?」
「当たり前だ。俺は人生の勝ち組になるんだ。幼い頃から、楽をすることばかり考えていたら、どいつもこいつも俺を避けるようになった。自業自得かもしれないが、親でさえ俺から離れて行った。気が付くと、俺の居場所は、反社会勢力にしか無かった。俺は親や世間を恨んでいる。この世界で出世をして、奴らを見返してやりたい」
「そんな理由で人を撃ったのですか?」
「そうだ。文句あるか」
「近道ばかりを探して、結果的に遠回りをしていませんか?」
「何だと!」
「申し訳ありません。定年間際のオヤジの戯言です」
また、あらぬところでハンドルを切る。
「おいおい、オヤジ。これ本当に目的地に向かっているのだろうな?」
「安心して下さい。着実にあなたの目的地に向かっています。ちなみに、あの巨大なスーパーマーケットは、先月で閉店していて、今は解体工事中。夜は工事用バリケードで閉鎖され、誰も近づけない筈なのですけどね」
「でたらめを言うな!」
「でたらめではありません。言ったでしょう? 私はこの町のことを隅から隅まで知り尽くしています。――しかし変ですね。お客様の上司は、なぜそんなひと気のない場所に、あなたを呼び出すのでしょうか?」
「なぜって、それは、俺が世間から姿を眩ます方法を……まさか、噓だろう、兄貴。俺を呼び出して、この世から消すつもりじゃ……」
「いやはや、極道の駆け引きは複雑ですね」
もう駄目だ。血が流れ過ぎている。話す気力も無くなってきた。いっそ眠ってしまおう。瞼を閉じかけた時、タクシーは、とある敷地の駐車場に停車をした。
「お客様、目的地に到着しました」
「……おい、ここはどこだ! 港じゃないぞ!」
「あれれ? しまった。目的地を間違えた。何たることだ。この道三十五年、無事故・無違反、ノントラブルを死守してきたというのに、定年間際に大失敗をしてしまった。しかも時計は午前0時を回っている。――申し訳ありません、お客様。私は、もう職を離れています。あらためてあなたを目的地にお送りすることが出来ません。もちろん、料金は頂きません。さあ、どうかここで車を降りて下さい」
窓ガラスから敷地内を見渡し、愕然とする。ふふふ。諦めと希望の入り混じった複雑な笑い声がこぼれた。
「ありがとう、運転手さん。金は払うよ。どうやら、ここが俺の目的地だ」
財布を取り出し、料金メーターに表示されているお金を渡す。
「それにしても、あんたは肝の据わった人だな。人を殺したばかりのゴリゴリの極道者に、よくもまあ、こんな離れ業を」
「次は必ず正面から向かい合う。そう決めていましたので」
「あはは。息子と俺を勝手に重ね合わせてんじゃねえよ。それに、あんたは最後まで俺に背中を向けて運転をしていたぜ。なにが正面から向かい合うだい。笑わせやがる」
「言われてみればそうですね。こいつは一本取られました」
タクシーを降りる。見上げると、からりと晴れた闇夜。
「とにかくあれだ、なんちゅ~かその……運転手さん、三十五年間、お疲れ様です」
「てへへ。ご乗車ありがとうございます」
目先の近道に惑わされ、随分と回り道をしてしまった。この道を歩き終えたら、極道から足を洗って、真面目にコツコツ働いて、親に感謝して、世間に感謝して、それから、え~と、それから……。
「何年で出て来られるかなあ」
「長い道のりでしょうね」
「でも、これが一番の近道なのだろう?」
「はい。遠回りが一番の近道です。運転も、人生も」
丸い赤色灯の灯る建物に向かって、俺は歩き出した。