特技:恋愛音痴
「私、実はこの婚約、破談にしたいのよね」
「キングストン卿を見つめるお嬢様はとっても楽しそうでしたけれど」
「それは……、それはそれよ」
三日三晩付きっきりで世話をしてくれたケイシーは、父に願い出て私の侍女として迎えることにした。紅茶を淹れるケイシーは、私の突拍子のない言葉に驚くことなく間髪をいれずに言葉を返してくる。
今の私に必要なのは、間違いを指摘してくれる友人だ。私の前世は十八歳で終わっている。そのうえ、病に倒れてほとんどの時間をベッドの上で過ごしていたため、処世術というものがまったく備わっていない。
レティシアの身体に残る記憶のおかげで貴族社会の在り方や振る舞い方などは理解できるが、婚約者候補の関係をそれとなく解消に向けるなどという高度なテクニックを持っているはずもない。とにかく、この現状に向き合ってくれるよき相談相手が必要なのだ。
その相手として信頼できそうな女性が、今目の前に立っているのだが、果たしてどのようにして説得するべきか――。
「ばっどえんどるーとに突入して、らすぼすえんどを迎えてしまうのが恐ろしいということですか?」
「なぜそれを知っているの!?」
呆れてため息を吐いたケイシーが私の目のテーブルに紅茶を差し出してくる。
「お嬢様が熱に魘されながら何度も説明してくださったじゃないですか」
「私が?」
「お嬢様は今後キングストン卿に恋をするとすっぱり振られたショックで闇の魔法に手を出し、世界を滅ぼす『らすぼす』となって、キングストン卿ともども『ばっどえんど』してしまうのですよね?」
黒髪をきっちりとまとめたケイシーから、前世の言葉が紡がれることに違和感が拭えない。
「……こんなおかしな話を信じてくれるの?」
「そうでなければ、あれほど楽しみにされていたお嬢様が、婚約を進めたいとのご連絡をいただいて熱を出すはずがありません」
冷静な分析が突き刺さって、思わず苦笑してしまった。ケイシーの言う通りだ。少し前までの私であれば、この知らせを手放しで喜んだに違いない。ルーカスと縁を結ぶことができれば、恋する相手と婚姻することができるだけではなく、父の期待にも応えることができるのだ。だからこそ、レティシアは必要以上に顔合わせで美しく着飾ることに力を入れていた。
もちろんそのようなことで、父やルーカスの興味をひくことができるはずもないのだが。
「お父様をまた失望させてしまうわね」
王命に応えれば、国に重用される可能性も高まるだろう。父は王妃の護衛としてこの国に来た隣国の騎士だったと聞いたことがある。恋に落ちた相手がこの国の公爵令嬢であったことから、母国に帰ることなくこの地に留まり、やがて公爵の地位を得た。
ところが母は私の出産後、肥立ちが悪くすぐに儚くなってしまった。残されたのは、爵位を引き継いだ隣国の騎士である父とその娘の私だけだ。
このような経緯から、父はこの国への忠誠を示すためか、仕事一辺倒で昼夜を問わず国のために身を粉にして働いている。
父が望むように、この国への忠誠を示すため、この婚約者候補の関係を良好なものとして婚姻につなげる事こそが私の使命だということは充分に理解しているのだが。
「構うものですか。お嬢様が健やかに日々をお過ごしになることの方が大切です」
きっぱりと言いきったケイシーに、しばらく唖然としてしまった。しかし、特に言葉を訂正する気のない侍女が「何か?」と言うのを聞いて、お腹の奥からおかしさがこみあげてくる。
「お嬢様、よろしいですか? 人は、大切にしてくれる人だけを大切にする生き物です。お嬢様のことを大切にしていない旦那様のお気持ちを汲んで差しあげる必要はありませんわ」
「そんな恐れ多いことを言ってはいけないんじゃない?」
「私とお嬢様しかおりませんもの」
ケイシーは確かにこれまでもあれこれと世話を焼いてくれる存在ではあったが、これほどまでに毒舌だっただろうか。くすくすと笑いながら見上げていれば、気恥ずかしそうに視線を逸らしたケイシーがもう一度口を開いた。
「……お助けくださり、ありがとうございました。お嬢様がいらっしゃらなければ、私はおそらく、この世にはおりません。給金をいただいている以上、もちろん旦那様のご意向に従いますが、それよりも私は、私の命をお救いになったお嬢様のために、命ある限り尽くしてまいります」
ゲームでは、ケイシーというキャラクターの死は、レティシアの苛烈な性格を印象付けるための一つの装置に過ぎなかった。真偽のほどは確かではないが、あのゲームの中では、ケイシーはレティシア・オルティスに毒殺されている。決して忠誠を誓われるような行いではない。しかしケイシーは、私の懸念などあっさりと吹き飛ばしてしまうかのように満面の笑みを浮かべた。
「お嬢様がそのげえむとやらで、どのようなことをされてきていたとしても、お嬢様はその『げえむのお嬢様』とは違います。私の命を助けてくださり、旦那様の心を慮ろうとする優しいお嬢様です。少しやりすぎてしまうこともありますが、……私が側でサポートいたします。そのばっどえんどを回避しましょう。……私では、力が足りませんか?」
茶化すように笑うケイシーに慌てて首を横に振った。ケイシーは現在十八歳だ。人生経験もたくさんあるだろう。
何よりも、おかしなことを言いだしているのに、疑うことなく心から信頼してくれている侍女を前に、頼らないという選択肢はない。
「ありがとう……。ケイシーも困ったことがあったら、私に相談してちょうだいね」
「ええ。私の困りごとは大抵お嬢様のことですから、素晴らしい淑女であってくださればそれで充分です。……それよりも、そのおとめげえむ、なるもののことを、すべてお聞かせください。そのうえで、お嬢様がばっどえんどを避けるために取るべき手を考えましょう」
「そうね。そのゲームは……」
頼もしい言葉にうなずき、覚えている範囲ですべてを語る。
前世の記憶はすでに薄れつつある。自身が闘病しながら妹のゲームをプレイしていたことは覚えているのだが、それ以外のことはもやがかかっているかのように記憶が確かではない。
どちらかというとレティシアとしての過去の記憶の方が頭の中に残っているのだ。
簡単に前世の説明を終えて『聖女の信愛』のあらすじと私が唯一プレイしたルーカスルートのバッドエンドの話を細かく話した。ケイシーは話の合間に質問をしながら何度も頷いている。
「つまり、お嬢様はその乙女ゲームの攻略対象者のうちただ一人、キングストン卿の、それもバッドエンドのルートだけしか見たことがないということですね?」
「え、ええ」
「それも、聖女様視点でプレイしている間、毎回選択肢を誤ってお嬢様がラスボスになり、キングストン卿が相打ちになるという凄惨なルートにしかたどり着けなかった重度の恋愛音痴、ということですね?」
「あまり強調しないでほしいわ」
「重要なところです」
「はい」
次々と繰り出される確認の言葉に頷きつつ、すでに状況を把握している優秀な侍女に置いて行かれぬようにと必死で記憶の箱をひっくり返している。ケイシーはいくつかの質問を繰り返したうえで、探偵のように顎に手をそえて、何かを考え始めた。