前世の死と謎の復活3
「料理長からも聞いておりましたよ。お嬢様が分からずやのケイシーにいたずらをしたいから、人参を多くしてあげてとおっしゃったのでしょう? それを後悔するくらいなら、面と向かって文句をおっしゃればよいのです」
「人参……?」
さっきから、話がかみ合わない。おろおろと怯える私を見つめるケイシーは、涙で濡れる私の頬にハンカチをあてて安心させるように言った。
「どうされたのですか? まるで私が死んでしまうような慌てっぷりでしたね。ですが、ただあまり得意ではないだけで、普通に美味しくいただけます。食べ物を粗末にしてはなりません。わかりますね?」
「人参……、そう、だった、かしら」
とにかく、意識が曖昧なのだ。安心させようとゆっくり語るケイシーを見つめながら、過去を思いだそうと思考を巡らせる。私の知るレティシアは、確かにこの日、毒を盛ってケイシーを死に至らしめた。
しかし、薄らと思いだされる記憶の中の私は、ちょっとしたいたずらのつもりで料理長に彼女の苦手な食べ物をふんだんに使って料理をしてほしいと頼み込んでいた。
「落ち着かれましたか?」
「……ええ」
「では、私の昼食を返してください」
「それはだめよ」
「――何をしている」
シチューのプレートを持って、泣きながらメイドと会話している娘を見れば、誰もが同じ言葉を発するだろう。しかし誠に残念なのは、その言葉を発したわが父が、決して私を心配しているはずがないことだ。
ちらりと振り返って、氷のように冷たい表情を浮かべる父と、その後ろに立つルーカスの姿に、血の気が引いた。婚約者候補との顔合わせの日に、その場から逃げ出し、あまつさえ、使用人の部屋で癇癪を起すような令嬢を、ルーカスはどのように思うだろうか。
「あ、ええ、と」
まさか、意識が混濁して人を殺しかけていたと勘違いし、メイドの休憩を邪魔しに来たと言うわけにもいかない。
困り果ててシチューを抱えながら俯く。意を決して謝罪しようと顔をあげたそのとき、部屋の外にいたはずのルーカスが、音もなく私の目の前に立っていた。
「な、」
「これはどなたの食事ですか」
「え、ええ? これは、彼女の……」
「毒の臭いがする」
十四歳とは思えぬ眼光の鋭い視線がちらと私を見遣ってからジョナスへと向けられる。この一瞬のうちにシチューに毒が混入していることに気づく嗅覚に吃驚してしまった。さらに、やはり毒が含まれているらしいことを知り、恐ろしさで指先から力が抜けた。抱えていたシチューが、床にべちゃりと音を立ててこぼれ落ち、広がる。
「これを調理した者から事情を聴取すべきだ」
はっきりと声をあげるルーカスが、シチューから私の身体を遠ざけるように私の目の前に立った。
彼はすでに騎士団長の子息として騎士団で剣の稽古を積んでおり、幼馴染の関係にある聖女の護衛も引き受けている。毒物にもそれなりに知識があるのだろう。
「レティシア嬢、怪我はないか」
「ええ、はい。ございません、わ」
「そうか。しかし危険があってはならない。下がっていてくれ」
「は、はい」
頼もしい言葉だ。責任感あふれる背中に守られて、胸が熱く痺れる。さすがルーカスだ。ほんの少しの会話だけで、胸がざわめく。
そうして呆気にとられるうちに騎士団が呼ばれ、現場の状況と使用人たちの証言により、料理長がケイシーに毒を盛っていた事実が発覚した。
「自白魔法による発言から見るに、あの男は俺があなたの婚約者候補となるのを阻害するためにあなたの侍女殿を殺害し、その犯行をあなたが行ったものとしたかったようだ」
顔合わせどころではなくなってしまったが、ケイシーに大慌てでドレスを替えさせられ、慌ただしい庭の片隅でティータイムを取っている。
父はこの犯行の対応に追われているころだろう。少し離れたところに立つケイシーが、ルーカスに見えないところで拳を握っている。彼女なりにエールを送ってくれているようだ。
「公爵家同士の縁を結ぶとなると、やっかみが多くなる。俺自身も騎士として聖女様をお守りする立場だ。あなたが婚約者候補となれば、今日のようなことが起こる可能性も、少なくはない」
ケイシーには申し訳がないが、和やかな会話には程遠い。曖昧な笑みを浮かべつつ、紅茶を口に含んだ。
今日のレティシアの選択が、ゲームの通りであったとしたら、レティシアは出会ってすぐに、ルーカスに軽蔑される立場にあったのかもしれない。あのゲームの中で、ケイシーはレティシアに殺されたものとされていたが、現実はそのようなものではなく、多くの権力が絡み合った陰謀にレティシアが巻き込まれていただけだった。
「なぜあなたが毒の存在に気づいたのか、よければ聞かせてくれないだろうか」
それを問いたいならば、自白魔法を使うこともできただろう。しかし彼はそうすることなく、個人的な問いかけとして私に聞いた。私が真実を話すことを信頼しているような、清らかな瞳が向けられる。
今日一日、わけのわからないことばかりでひどく疲れた。死んだと思っていたはずが、どうしてかレティシアの身体に入り込んでしまったのだ。
今後、破滅しかないラスボスになる未来も、愛されることのない婚約者候補のことを考えるのも、少し疲れた。――つまりその時の私は、半ばやけくそになっていたのだ。
レティシアには悪いが、私なら愛してくれない相手を思い続けるよりも、好き勝手に公爵令嬢としての人生を楽しんだ方がよいような気がする。確かに今日のルーカスは魅力的ではあったが、彼にはジェシカがいるのだ。恋愛音痴が一番やってはならないのが横恋慕だろう。
そう、思い込んで、躊躇いなく口を開いた。
「……夢、のようなものを、見ました」
「夢?」
「はい。その中では、私が彼女の昼食に毒を盛るように、と命じていたのです。……急にそれが恐ろしくなって、彼女を止めに行きました」
間違いなく嫌われるような言葉だ。頭のおかしな娘だと思われる可能性もある。苦笑しつつちらりと横に座るルーカスを見上げれば、表情を崩すことなく、物思いに耽る横顔が見えた。
「……先夢の力か」
「さきゆめ、ですの?」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、思わず首を傾げてしまう。まさか、真面目に取り合ってもらえるとは思いもしない。
「夢によって、この先の未来を知ることのできる人間が、まれに生まれると聞いたことがある。あなたの悪夢は、それの一種かもしれん。顔を合わせたときも酷く青ざめていただろう。恐ろしい夢を見たあとだとは知らず、悪かった」
「いえ! そんな……!」
「その力があることが露見すれば、間違いなく危険な目に遭う。このことは、いたずらに口外しないほうがいい」
そもそも、ただゲームの内容を知っているというだけなのだが、真剣なルーカスに気圧されて、深く頷いた。
私の瞳を見下ろしたルーカスが同じように頷いてその場に立ち上がった。彼のティーカップはすでに空になっている。それを見つめているうちに、ルーカスは片膝をついて私の前に手のひらを差し出した。
まるで、求愛する男性のようなポーズだ。唖然としているうちに、ルーカスが真顔で言う。
「……改めて、正式に挨拶を」
ルーカスが今の会話の流れで、どうして挨拶をしようと考えたのか、その時の私は全く理解できていなかった。
願われるまま、そっとレースグローブに覆われた手の甲を差し出して、彼の手に指先をそっと掴まれる。彼が俯く仕草と共に美しい黒髪がさらりと揺れた。そのさまに見惚れているうちに、彼の唇が手の甲に寄せられた。美しい所作に視線を奪われて、呼吸をすることさえ忘れる。
「ルーカス・キングストンだ」
永遠にも感じられるような一瞬が過ぎ去って、指先が離れた途端、ようやく呼吸を思いだした。
「レティシア・オルティス……ですわ」
それが、私とルーカスの顔合わせの日だ。
断られるだろうことを予測していた私は、キングストン公爵家の家紋が捺された手紙に、正式な婚約者候補として私を迎えたいという言葉が書かれているのを見て、高熱を出してしまった。
「これって、もしかして、バッドエンドルートに突き進んでいるんじゃないの……?」
「お嬢様、何をおっしゃっているのですか? とにかくお休みください」
「うーん……、うーん、バッドエンド……、回避しなくちゃ……、ラスボスが……」
「駄目だこれ」
呆れたケイシーの言葉を聞きつつ、悪夢にうなされた私が次に目を覚ました時、レティシアに意識が戻っている――というわけもなく。
私はようやくここで、レティシア・オルティス公爵令嬢として生き、バッドエンドを回避しながら、天寿を全うすることを誓ったのであった。