星が瞬く夜に2
私たちがキングストン公爵領に足を踏み入れるころにはすでに日が落ち始めていた。しかし、公爵家の馬は魔法によって脚力が強化されているため、これでも到着が早い方らしい。キングストン公爵領は魔法の力がなければ、王都へ出向くだけで三日間もの時間を要する。
この世界の平民たちは、貴族のための高等教育とされている魔法学を学ぶことができないため、魔法を扱うことができない。
しかしながら、こうした辺境の不便を解消しようと立ち上がったキングストン公爵の計らいによって、キングストン公爵領に住まう者は数年前から魔法学を学ぶ機会を得ており、今では全ての領民が一日で王都にたどり着けるまでに至ったのだという。
独自の発展を遂げるこの領は、何らかの理由により高等教育を受けても王都に留まることを許されず、流浪の身にあった魔術師たちの受け皿にもなり、現在は最も魔法が発展している都市となった。
その領内で行われる祭だ。煌びやかで豪勢な宴であることは間違いない。
「お嬢様、とっても素敵ですよ〜!」
「え、ええ。ありがとう」
領地に踏み入れるや否や、キングストン城に向かうことなく祭が開催されるサレドナという町に下ろされた。
降り立ったその瞬間から宙に浮くランプの光に圧倒され、呆然と眺めているうちにあれよあれよと仕立て屋へと導かれて言葉を挟む隙もなく、服を替えさせられた。
あっという間に着替えさせられた服は、どこかの町娘が着ていそうな青色のシンプルなエプロンドレスだ。
腹部の締め付けもそれほど厳しくなく、非常に軽い生地だ。着慣れないからか、どこか落ち着かない。前世はほとんどの時間をパジャマで過ごしていたはずが、すでにこちらでの厚着の生活に慣れてしまったようだ。
恐る恐る試着室から出て、椅子に腰かけるルーカスの姿を見つめる。
彼は白いシャツに黒い細身のパンツを穿いている。私よりも先に着替え終えていたらしい。
次期公爵とは思えぬ極めてシンプルな服装だが、体格のよい彼が着ると様になる。ロマンス小説から飛び出してきた主人公のようだ。ようだ、ではなく、本当にヒーローのうちの一人なのだが。
「レティ」
勇ましい姿をまじまじと見つめるうちに、窓の外を眺めていたはずのルーカスに名を呼ばれ、ばっちりと視線が絡んだ。隠れて見つめているのが気づかれていたらしい。
「……はい。ルーク、様」
領内に足を踏み入れるにあたって、素性に気づかれぬよう互いを愛称で呼ぶようにと言われていた。
もちろん私たちの見えないところで、キングストン家の騎士が護衛についてくれている。ルーカス自身も剣技だけでなく魔法学でも優秀な成績を収めているため、高等な魔術を使うこともできるようだが、この点において私は全く役に立たない。
彼は私と彼自身に、他の者から見ても私たちが公爵家の人間であることが分からない認識阻害の魔法と、明日になると私たちを見た者が、その場に存在していた私たちの記憶を全て忘れるという忘却の魔法をかけている。
二つとも上級魔法であるため、この魔法の行使には魔法省の承認が必要になるが、ルーカスは魔法省を飛び越えて、サイラス殿下から承認を得たらしい。
王家に勧められた縁談であることを思えばおかしなことではないが――。
「よく見せてくれ」
こちらへ近づいてきたルーカスは私の姿をじっくりと見下ろし、満足そうに頷いた。
「あなたはどのような服でも似合うな」
「……そうでしょうか?」
熱っぽく囁かれると、気恥ずかしくてたまらなくなる。
「ああ。この姿を覚えていられるのが俺だけになるのだと思うと、たまらないな」
こうも躊躇わずに愛を囁くようになったルーカスが、一体どのような言葉でサイラス殿下からの承認を得たのか。知りたいような知りたくないような、複雑な心境だ。
返す言葉に困って顔を見上げると、いたずらを成功させた子どものような笑みを浮かべたルーカスが見えた。
「からかっていますね?」
「いや。……少し浮かれているようだ」
苦笑するルーカスに手のひらを差し出される。
「手を繋いでも?」
気を取り直すように顔を覗き込みながら伺いを立てられ、彼の笑みにつられて小さく笑ってしまった。
いつも何を考えているのかわかりづらい表情ばかりしているのに、今日の彼の表情は雄弁に見える。
「はい。もちろん」
大きな手に、そっと指先を重ねる。彼は優しく私の手を握りしめて眩しそうに目を眇めた。
「どこへ行きたい?」
店を出てゆっくりと歩き始めたルーカスに問われ、思いつくままに口を開く。
「昔、ルーク様がくださったような、魔法のお土産を見て回りたいです。邸の皆への分と、それからロージーやジェシカ様の分も。クラスの皆さんにも何か差し上げたいです。それから」
はじめての遠出だ。
留守を任せてきたケイシーや、友人たちの顔がいくつも浮かぶ。贈り物をしたい相手を指折り数えながら歩くうちに、ルーカスが笑い声をあげるのが聞こえて思わず顔をあげた。
彼が声をあげて笑うのは非常に珍しい。ほとんど見たことがない。
隠すことなく笑う姿を呆然と見上げ、何故笑われているのか分からず首を傾げる。私の反応を見下ろしたルーカスは、やはり笑みを浮かべながら言った。
「あまりにもあなたらしい言葉で、つい、な」
「私らしい、ですか?」
「ああ。……では、あなたの頭の中に住み着いている大切な方々へのプレゼントを先に選ぶことにしよう。そうしたら次こそ、あなたがしたいことを教えてくれ」
宙に浮く幻想的なランプが、夕暮れの町に美しい光を漂わせている。彼はその光の中をゆっくりと歩き、私をいくつかの見世物屋へと連れて行ってくれた。
昔ルーカスが贈ってくれた土産とは、酸化する速度を落とし、美しく咲いた状態を数年保つことができるという魔法の花だ。
高等な教育を必要とする魔法とは、貴族の者たち以外が使うことができないものであり、娯楽品に用いられることはなかった。
しかしここキングストン領では広く学びの機会が設けられているため、こうした娯楽品を作り上げるまでに魔法が発展し始めている。
以前ルーカスにもらった魔法の薔薇は、寝台の横のチェストに飾って、毎日大切に眺めていた。思い出深い花に視線を奪われ、出店の前へと一歩を踏み出す。
「いらっしゃい。お嬢ちゃんには劣っちまうかもしれねえが、綺麗なもんだろう? 一輪どうだい?」
「ええ、本当に素敵です」
私がルーカスに貰ったのは薔薇の花だったが、それ以外にも様々な花が加工されているようだ。
美しく色とりどりに咲く花にうっとりとため息を吐く。やはりケイシーとロージーへの土産は魔法の花にしよう。一人こっそりと意気込んで、真剣に花を吟味する。
「こっちの二つの花は特に人気さ。なんせうちの英雄ルーカス様と聖女様の瞳と同じ色の花だ」
「まあ! 確かに、よく似ているわ」
キングストン領の人間であれば、ルーカスとジェシカの活躍はよく知っていることだろう。この領地で育った二人が国の脅威を取り払ったのだから、当然のことだ。
誇らしい気持ちでちらりと横に立つ彼を見上げる。ルーカスは心なしか少し困ったような、照れくさそうな表情を浮かべていた。
彼は常に素晴らしいことをしているのに、いつも謙虚で、どこか一歩引いていることが多いのだ。
「ですって、ルーク様」
追い打ちをかけるように声をあげると、彼はやはり少し表情を崩してから、気恥ずかしそうにこめかみのあたりを掻いた。珍しい姿に胸が甘く痺れる。
――いつもたくましくいらっしゃるのに、可愛らしさも兼ね備えているのだわ。
「……では、私のお友達にはその、聖女様の瞳と同じ色のお花を一輪いただくわ。それから、英雄様の瞳と同じ色の花は――」
「それは彼女に捧げたい。一輪用意してくれ」
ここまで連れてきてくれたルーカスへの感謝の気持ちとして捧げるはずが、少し前まで困り果てていた彼に先を越されてしまった。
店主は一瞬目を丸くし、ルーカスの瞳を見上げて合点が行ったとでも言うように大きく頷いた。
「おお、そこのお兄さんもルーカス様に似た瞳だなあ。いやいや、よく見たら男前じゃねえか。……はは、たしかにこいつはお嬢ちゃんの今日の服にも似合いだな」
微笑ましそうに私とルーカスを交互に見遣った店主が、彼に青い薔薇を差し出す。
「レティ」
代金を渡して丁寧に受け取った彼が、柔らかに声をかけてくる。その声に抗えずゆっくりと身体を向けて、薔薇を持つ彼と顔を合わせた。
「あなたの髪に挿してもいいか」
青薔薇と同じ、奇跡のような青い瞳が私だけを見下ろしている。
「私からの贈り物にするつもりでしたのに」
相変わらずルーカスの甘やかな言葉に慣れることができず悪態をついてみるも、彼は特に気にもせずに首を傾げた。
「レティが俺の隣にいてくれるだけで、充分すぎるほどに素晴らしいギフトだ」
ぎろりと睨み上げるだけで相手の行動を意のままに操ることさえできてしまいそうな人が、私の言葉を待って、乞うように願いを口にしてくる。おかしな現実に目が眩んでしまいそうだ。
「レティ?」
「……だめではない、です」
しどろもどろになりながら答えると、彼はその唇に小さく笑みを浮かべ、丁寧に私の髪に指先を伸ばした。優しい手つきで髪に触れた手が、壊れものを扱うようにそっと薔薇の花を挿す。
摘みたての花のように濃厚な薔薇の香りがする。記憶の中にある彼からの贈り物と同じ香りに包まれて、自然に笑みがこぼれた。
「この色もあなたによく似合うようだ」
ルーカスに言われて、ようやく彼がこの色を選んだ理由が分かった。
青はルーカスの瞳の色だ。このドレスも、花も、すべてルーカスが選んだ。
「……ありがとうございます」
自覚して、ますます頬が熱くなる。
熱を隠すように両手で触れながら視線を逸らすと、その先に立つ店主も私と同じように顔を赤くしながら頬を掻いていた。




