星が瞬く夜に
一泊二日の旅ではあるが、キングストン公爵家が治める領地は、私たちが住む王都のタウンハウスからかなりの距離がある。
ルーカスは魔法学校が長期の休業となる期間は常に領地に戻っていたが、私への定期的な挨拶や殿下の相手のような特別の用事があるときだけ、王都に通っていた。
こうして実際に馬車に揺られてみると、そのときのルーカスがどれほど時間をかけて私に会いに来てくれていたのかがよくわかる。
初めからルーカスは、いつも私のことを大切にしようとしてくれていた。誠実な人なのだ。だが今は、それだけが理由で、私を大切にしているわけではないこともわかっている。
ルーカスは今も予定のない休日は領地に戻り、キングストン公爵から直々に領地経営を教わっているようだが、私は父に王都から出ることを許されず、生まれてから今に至るまで王都以外の土地に足を踏み入れたことがない。
この二日間の外泊は、彼の婚約者候補としての誠実さが認められて、叶えられたのだ。
「乗り心地は悪くないだろうか」
「はい。大丈夫ですわ」
私を邸に迎えに来たルーカスは、今日も当然のように完璧なエスコートをして馬車まで私を導き、やはり当たり前のように私の隣に座った。
キングストン公爵家の馬車は非常に頑丈な造りになっているため揺れは少ないが、たまに私がふらつくたびにさりげなく身体を支えられる。
「馬車に揺られるあなたを見るたびに思うが、……あなたは華奢だから、少し力を加えられただけで壊れてしまいそうだ」
真剣な声に囁かれて、思わず目を丸くしてしまった。いつも彼は真顔で、そのようなことを考えていたのか。
驚いて見つめているうちに、彼がもう一度口を開く。
「あなたのような可憐な花は手折られやすい。姿を見るたびに俺は、あなたが何にも手折られぬよう、こうして支えたいと思っていた。その思いが強くなりすぎるがゆえに、あまりあなたを見ないようにしていたが……。やはり、もったいないことをしたな」
これまで、馬車の中では目が合うことが少なかった。それどころか、こうして会話をすることも多くはなかったのだ。
そのはずが、思いを全く隠す気の無いルーカスは、語りながら私の表情を見下ろして柔らかに笑った。
「……壊れたりは、しませんわ」
「そうか。それなら、もう少し強く腰を抱いてもいいか?」
誑かすように耳元に囁いてくる。少し浮かれたような声色が頭の中に響いて、言い知れない感覚に背筋が震えた。
私の肩に回っていた手が、ゆっくりと腰に下ろされる。
「ル、ルーカス様っ!」
試すような指先に慌てて声をあげると、彼はおかしそうに笑ってすぐにその手を私の肩に置き直した。
今日のルーカスは、最近の彼にも増して少し意地悪だ。
「今日はあなたの怒った顔も見てみたいところだな」
「え、ええ?」
「あなたはアカデミーでも、常に品行方正であろうとしているだろう。だが、今日はそうある必要もない。あなたのしたいことだけをする。嫌であれば怒ったり、苛立ったときには、悔しがったり、……あなたの自然な姿を見せてほしい」
私はここまで、レティシアとして、やりたいことをし続けてきた。人助けをすることも、勉学に励むことも、自分自身がやりたくてしてきたことだ。だが、常に悪い人間だと思われないように気を使い続けるのは、容易なことではなかった。
ルーカスは私の様子をずっと見守ってくれていたのだろうか。
甘やかな視線に耐えかねて、視線を逸らしながら声を上げる。
「だから、怒らせようとしてさっきのようなことをおっしゃったのですか?」
「いや。あれは単に、そうしたかっただけだ。言っただろう。俺はあなたに触れたいし、誰よりも近づきたいんだ」
話を茶化して、早まる鼓動をどうにかしようとしていたのに、ルーカスの淀みない返事で結局胸を射抜かれてしまった。
昨夜のケイシーの言葉が頭を過る。あと二日しか、側にいられないかもしれないのだ。
「レティシア、あなたはいつも何かを思い悩んでいる」
考え込みかけていたところでルーカスに頭の中を覗き込んだかのような言葉を投げかけられ、目を見張った。私の動揺に、彼は安心させるように唇に弧を描いて、私の髪に触れた。
「その惑いを無理に打ち明けろとは言わない。無論、憂うあなたも美しいが……、たまにあなたであることを忘れて、楽しんでみないか?」
「私であることを、忘れて……?」
「今日一日、あなたはオルティス公爵家のご令嬢ではなく、ただのレティシアだ。どこまでも駆けていけるような軽い服を着て、胸が苦しくなるほど甘味を食して、平民の祭りで気兼ねなく、ステップも何も気にする必要のないダンスを踊るんだ。夜は満点の星が輝く湖に足を浸して、星を数える」
それは昔、領地の子どもたちに混じってルーカスとジェシカが祭りに行ったという話を聞いたとき、私が気まぐれに語った、できもしない夢の一日の話だ。
何の気兼ねもなく、そんな一日が過ごせたらどれだけ楽しいだろうと何の考えもなしに、思う通りにぽろりとこぼした。くだらない話の一つだ。
「覚えていてくださったのですか」
「……いつか連れてきたいと思っていた」
私がこれまで話してきたくだらない理想を、ルーカスはすべて心に止めておいてくれていたのだ。
『お嬢様、今まで、私がやりたいようにするべきだとお伝えして、悪い方向に向かったことはありましたか?』
またしてもケイシーの言葉が思い出されて、ついに肩から力が抜ける。
好きな人といられる最後の時間になるかもしれないのだ。
これほどまでに私を大切に思ってくれているルーカスに真実を話せば、どれだけ傷つけるだろうか。
だが、言わずに離れれば、きっと彼はもっと深く傷つくだろう。
いつも、ゲームの行方に怯えていた。
恐ろしい人間であると思われぬように、しかしゲームの中の主要な人物たちを邪魔しないように、振り回されて流されて、いつも目立たない道を選んできた。
レティシア・オルティスとして許される小さな範囲の中だけで、必死にもがいていた。
しかし、もしも私の手で、この先の道を選ぶことができるのなら、私は――。
「……でしたら、私からもお願いが一つ」
「一つと言わず、いくらでも願えばいい」
恐る恐る口にしているのに、ルーカスは気にも留めずに言葉を返してくる。
困り果てて笑うと、彼はなおいっそう楽しそうに笑みを深めた。
「星を数えながら、私の秘密を聞いてほしいのです」
覚悟を決めて囁くと、ルーカスは宝物を見つけた子どものように目を輝かせた。
「ああ。必ず聞くと約束しよう」




