許される思いならば2
「浮かない表情ですね」
「……そう?」
自室にたどり着いた途端、我が侍女に淡々と指摘されて思わず苦笑する。努めて笑みを浮かべているはずが、ケイシーには悟られてしまうようだ。
想いを通じ合わせられるはずもないと諦めていたルーカスが、どうしてか振り向いてくれた。それどころか、私と思いを通じ合わせようと心を尽くしてくれている。
義務的な関係だと割り切っていたはずが、この縁談が父の不器用な優しさによって見守られているものであることを知った。
何一つ邪魔にならない。
このまま関係を深めていけば、ルーカスと仲睦まじい夫婦となることが約束されている。――私が、このまま私として生きて、ラスボスにさえ、ならなければ。
「キングストン卿から、花の贈り物をいただいておりますよ」
報告するケイシーは、少し呆れたような声色をしていた。
寝台の脇に飾られている花は、毎日夕方ごろに届けられるものだ。これは私がルーカスと外出をしている日にも送り届けられるものだから、今や邸中が花だらけだ。
ゆったりと近づいて、花に差し込まれたメッセージカードを手に取る。
“別れのそのときから、すでにあなたが恋しい”
そのメッセージから、少し前に見た私の髪に触れるルーカスの表情が思いだされてすぐにかき消した。
「本当にお嬢様のことを深く思っていらっしゃるのですねえ」
「……ケイシー、私はこれまで、ルーカス様に嫌われるために頑張ってきたのだけれど」
「あら? そうなのですか? さすが恋愛音痴ですね。ルーカス様はすっかりお嬢様に夢中ですもの」
いけしゃあしゃあと口にするケイシーのほうを振り返って、ため息を一つ。
ケイシーは私をサポートすると言いながら、ルーカスからデートを申し込まれるようになってからは少しもアドバイスをしてくれなくなってしまった。
私の思う通りにすればいいというのが、ケイシーの主張だ。
「そうなってはいけないから、ケイシーに相談しているのに」
「すべて計画通りですよ、お嬢様。ご心配なく」
「だけど、今のルーカス様のご様子は……」
「ええ。レティシア様の溺愛ルートに入ってしまったのですね。おめでとうございます。これで愛されず、失恋に苦しんで闇の魔術に手を出すようなお嬢様を見ずにすみます。平穏無事にバッドエンドルート回避成功ですね」
ケイシーの口から淀みなく語られる言葉に、目が点になる。吃驚する私の表情を見遣ったケイシーは、心底可笑しそうに笑っていた。
「……作戦が違うわ」
「ええ。お嬢様は恋愛音痴ですから、そもそも駆け引きなど向いておりませんし、さらに、思いを隠すような高度な技も習得していらっしゃいません。出会ったその日から好ましく思っている貴公子を、好きにならずにいられるはずがないのです」
ゆっくりと言い聞かせるように語るケイシーの視線は、私の手元に向けられていた。視線を辿って自身の手先を見遣り、その手が大切そうにルーカスから贈られたメッセージカードを持っているのを見て、思わず口を噤む。
「よろしいですか、お嬢様。私は申したはずです。私にとっては、お嬢様が日々を健やかにお過ごしになることが最も重要なのです。ですから、お嬢様が大切に思う方とのご縁を応援しない理由など、どこにもありません。お嬢様はラスボス化することを恐れていらっしゃいます。ですが、ゲームのレティシア様とお嬢様は別人です。これはゲームのルーカス様と現実のキングストン卿がまったく違う方であることと同じです」
「だけど……」
「まだ、本物のレティシア様が現れるのを不安に思っていらっしゃるのですか」
毎日欠かすことなく日記を書き続けている。いつかレティシアが戻ってくることがあったとき、彼女にこれまでのことを知ってもらうためだ。
レティシアがどれだけたくさんの人に大切にされているか、事細かに書き記している。少しでも、彼女の孤独をなくすために。
「私はすでに死んでいるはずだから。……いつかレティシアが戻ってきたとき、見知らぬ人が伴侶となっていたらきっと驚くわ。それにルーカス様もこのような話をされればお困りになるでしょう。思う相手が、本物のレティシアじゃないんだもの。それに、私が何かの拍子に闇の魔術を発現させる可能性だってあるよ」
「ですが、今私の目の前にいらっしゃるお嬢様も、この世界を慈しみ、まっとうに生きていらっしゃいますわ」
どうして死人のような考え方をするのかと、ケイシーには何度も注意をされていた。魔法学校へ行くことを悩んでいた時も、親しい友人を作ってもよいか考え込んでいた時も、ケイシーには何度も同じ話をされている。
「たとえこの先がどのような未来でも、今を生きる権利が与えられているのはお嬢様です。前世のお嬢様は、不遇な身の上だったのです。でしたら今世こそ、我儘に、強欲に幸せになろうとなさるべきです。その後のことなど、気にする必要はありません。私がどうにかします」
ケイシーはいつもこの冷たい邸でただ一人、私を大切にしてくれる。眩しさに目を眇めてしまった。
「あと二日しかないのですよ。お嬢様、本心を打ち明けるべきです。不安があるならすべてをお話すればよいのです。キングストン卿はそれを受け入れる度量ある素晴らしいお方なのでしょう。去る可能性があるからと隠しておく方が間違っているのです。これほどお嬢様を慈しむ方が、お嬢様の不安に気づけずにいたことを嘆かずにいると思われますか?」
「それは……」
「お嬢様はこれまでたくさん周りの皆様に、お節介をしてきたはずです。たくさんの方が、お嬢様に感謝していらっしゃいます。善意を尽くした分、お嬢様は許されてよいのです。違いますか」
誰もがこの関係を認めてくれている。私もルーカスもゲームの中のキャラクターとは違う。生身の人間だ。
「お嬢様、今まで、私がやりたいようにするべきだとお伝えして、悪い方向に向かったことはありましたか?」
いつも魔法にかけられているかのようにすべてがうまく行った。この世界の全てが優しく、美しく温かかった。愛おしい思い出ばかりが増えて、レティシアでいられなくなることが、恐ろしくなった。
「……ないわ」
「では、キングストン卿にも素直にお話ししましょう。そのうえで、お嬢様のお心を打ち明ければよいのです。ご安心ください。間違いなく、ハッピーエンドになりますから。ルーカス様はこの国の英雄ですよ? それに、聖女様もお嬢様のご友人です。不測の事態があっても、皆様が助けてくださいます。……お嬢様はそうされてよいほど、愛されたお方なのです」
どれだけ惹かれても、手を伸ばしてはならないと思っていた相手だ。手の届かないところにいる人だと思い込むことで気持ちを抑えようとしていた。
「それに、これほど振り向いてもらおうと必死になる殿方を袖にするなんて、そもそもお嬢様にできるはずがありません」
安心させるように柔らかく微笑むケイシーを見て、体から力が抜ける。ケイシーと本当の姉妹であったら、どれほどいいだろうか。
いつもさりげなく、私の背中を押してくれる。
ここまでルーカスには、もう何度もつれない態度を取ってしまった。前世の記憶があり、さらにここがゲームの世界に似ているなどと言ったら、彼はどのような反応をするだろうか。
少し考えただけで真剣そうに私の話に耳を傾ける姿が頭に浮かんで、くすくすと笑ってしまった。
「恋愛音痴を発揮して、嫌われてしまわなければいいけど」
「そういう考えこそが、お嬢様の恋愛音痴さを物語っている気がしてなりませんね」
真剣に不安を打ち明けたはずが、ケイシーはどうしてか、私と同じように、くすくすと笑っていた。




