春の到来2
後ろからかけられる声に、ジェシカの言葉が搔き消された。決して大きな声をあげているわけでもないはずが、耳馴染みがよく、柔らかで温かみのある声だ。
「サイラス殿下! それにルーカス様!?」
椅子から立ち上がったジェシカが目を丸くしている。タイミングのよろしくない出会いだが、ジェシカの近くにいるときは高確率で見目の麗しい男性と遭遇する。
そのことを把握しているから、あまり人気の多くない裏庭のテラスを選んだのだが、今日の私は最悪の引きの強さを持っていたらしい。振り返って、即座に最上級の礼をする。
「いや、公式の場ではないから、そう畏まらないでほしい。ここでは私も一介の学生の立場だ」
「ですが」
「美しい花々が笑っているところが見えたものだから、つい声をかけてしまった。私たちにもぜひ聞かせてくれないかな」
人気のない裏庭とは言え、席はあちこちに置かれている。さらに、私とジェシカしか使っていないから、すべてが空席なのだが、殿下の誘いを断るわけにもいかない。
新緑の君と呼ばれるサイラス第二王子はその名の通り、至宝のごとき新緑の瞳を持つ美丈夫だ。金糸のような髪は美しく風に靡き、その場に立っているだけで一枚の絵画のような美しさを感じさせる。
ただ美しいだけでなく、常に学年トップの成績を収め、すでに国王の代わりに公務につくことも多い優秀な王子だ。一方でフランチェスカ第一皇子は色欲の溺れ怠惰に過ごしていると噂されており、サイラス王子が次期国王であることは、誰の目にも明白であった。
レティシアはその幼少期に、二人の王子の婚約者候補を決めるために開かれた王宮の茶会で、サイラス王子と深く関わり合う機会はなく、フランチェスカに目を付けられていた。
しかし国王としては当時からよい噂のないじゃじゃ馬令嬢であったレティシアを、王族の婚約者候補とするわけにもいかない。そのため、致し方なくルーカスをあてがったのだ。
「私的な場で顔を合わせるのは、初めてだね。レティシア公女」
私の隣の椅子に座ったサイラスが、柔和な笑みを浮かべて声をかけてくる。無難に言葉を返しながら、無言で反対の隣の席に坐したルーカスから意識を反らした。
「ジェシカとレティシア公女が親しい仲だったとは知らなかった。クラスも違うのに、ジェシカは一体どうやって彼女と親交を深めたのかな? ぜひ私にも教えてほしいものだよ」
優雅に会話を楽しむサイラスとは違い、ルーカスは無言だ。給仕に出されたティーカップに口をつけている。
凱旋後、ルーカスからはたびたびデートの誘いのようなメッセージを受け取っているが、全て適当な理由をつけて断っている。そのような経緯から、学園でも極力顔を合わせたくなかった。
ジェシカも少し前までの私との会話を思っているのか答えに悩み、ちらちらと私とルーカスの顔色を窺っていた。
「レティシア様が、私の入学を手助けしてくださって……、そのお礼をと私から声をかけたんです」
彼女はたっぷりと思い悩んでから、たどたどしくサイラスの問いに答えた。特におかしなところはない、私とジェシカが話をするきっかけとなった出来事だ。
「それはそれは。公女は素晴らしい人格者だね。噂には聞いているよ。特別クラスに編入してもおかしくないほど優秀な生徒がいる、と。しかし、それとなく教師が編入を促しても、頑なに固辞するのだそうだ。何か特別の理由があるのかな」
特別クラスに編入するようなことがあれば、ゲームの攻略対象者に囲まれて気の休まる場がますます減ってしまいそうだからだ、などと正直に答えられるはずもない。
はらはらとこちらを見守るジェシカに微かに笑みを向けて口を開いた。
「人格者などというのは、恐れ多い言葉ですわ。実際、私は魔力が少ないですので、特別クラスに所属するようなことになれば、授業についていくことができないかと思われますし」
「そうか。しかし私の記憶の中の公女は、強い魔力を持っていたように思うのだけれど、記憶違いかな?」
持って生まれた魔力が消えるというのは、滅多に起こらない悲劇だ。ゆえに、貴族社会では神罰や両親の不貞を疑われるため、この件について触れようとする者はほとんどいない。しかしそれが、この国を統べる一族であれば、こうして話題にあげることもあるようだ。
和やかな雰囲気が漂っていたその場が、ぴしりと凍り付いた。サイラス殿下が切れ者であることは充分に理解していたのだが、まさか真っ向からこのことに触れられるとは思いもしない。
思い当たる節があるとすれば、それは私の魂がレティシアに入ったことだ。しかしそれを素直に伝えても、頭がおかしくなったと思われかねない。評価を落とせば父やルーカスの今後にも差し障りがある。
「それは――」
「サイラス殿下、あまり淑女を怯えさせないでほしい」
ここまで無言を貫いていたルーカスが、私の言葉を遮ってゆったりと声をあげた。思わず視線がルーカスへと向かってしまう。彼は相変わらず表情を崩すことなく、ちらと私の顔を見遣ってすぐに視線を逸らした。
「殿下にとっては単純な興味でも、オルティス公爵令嬢には脅迫のような言葉だ」
ルーカスが第二王子と懇意にしていることは知っていたが、こうして臆することなく意見できる立場にあるとは知りもしなかった。
改めて、ルーカスがこの国の未来を背負う人なのだと実感させられる。ジェシカの周りに存在する男性たちはいつも優秀で、遠く光る星のような輝きを放つ人ばかりだ。
ルーカスがそのうちの一人であることは、誇らしくもあり、やはり少し寂しくもある。
「ああ、そうか。悪い聞き方をしてしまったかな。私は魔力の性質についての研究を進めていてね。公女のような魔力量の変質があった者に興味があるだけなんだ。遠回しで、かえって傷つける物言いになってしまったようだね」
殿下はルーカスの言葉に特に反発することもなく、申し訳のなさそうな顔で胸に手を当て、軽く頭を下げた。
王族に名を連ねる方に謝罪をさせるなど言語道断だ。
「い、いえ! サイラス殿下、そのようなことはおやめください」
「いやいや。申し訳ない。ただ私は公女にもアカデミーの執行部に入ってもらえないだろうかとスカウトの機会を窺っていたんだ」
「執行部、ですの?」
「私の研究への協力は、また別の話さ。……学年でもよく慕われている公女こそ、執行部の役員にふさわしいと感じているのだけれど」
執行部にはジェシカを含め、ルーカスやダグラスなど、この国の未来を背負う錚々たるメンバーが揃っている。
まさに、ゲームの舞台にはもってこいの組織だ。
害意がないことを示すためにも学園内で好き勝手に人助けをしていたためか、関わるつもりのない組織に組み込まれようとしているらしい。
この言葉にはジェシカも目を輝かせている。しかし、私やここの座るほか三人も、来年の春に魔法学校の卒業を控えている身だ。
「お言葉ですが、殿下。わたくしも来春にアカデミーを退く身ですし、この時期から携わるというのも、いかがなものかと……」
「はは、そう思うよね。私もかなり前から公女をスカウトする気でいたんだけれど、どうにも妨害しようとする者が――」
「交渉は決裂のようだ。サイラス殿下、戻って仕事に取り掛かりましょう」
言うが早いか、立ち上がったルーカスが無言で殿下を見下ろしている。
ルーカスは私の面白みのない話をひたすら聞き続けることができるほど忍耐強く、気が長いはずだ。
しかし、今はこれ以上私と会話することを望んでいないと言わんばかりの態度だ。珍しい行動に、思わずルーカスの顔を凝視してしまった。
「やれやれ。仕方がないな」
「まだ今日中の書類の確認が終わっていない」
「わかっているよ。……では、厳しい妨害者が目を光らせているようだし、私は行くとするよ。ジェシカは公女とのティータイムをたっぷり楽しんでいいからね」
殿下の言葉に、ジェシカはブンブンと首を振って頷いている。その様を見た殿下はゆったりと笑みを浮かべて椅子から立ち上がった。
「おっと、落としてしまったかな」
立ち上がり際に、殿下の制服のポケットから落ちてしまったのだろうか。私の足元に彼のハンカチがひらりと舞い落ちた。最上級の布で作られているのだろう。美しい獅子の刺繍が入ったハンカチをそっと掴んで顔をあげると、よく知った人の匂いが香った。
「落とし物くらい自分で拾え」
ルーカスは低くつぶやきながら、私が掴みあげたハンカチを取って殿下に押し付けた。
まるで、私と殿下がこれ以上近づかぬようにと警戒しているかのような言葉だ。私に逞しい背を向けて、殿下の姿を遮っている。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか。私とお前の仲だ」
「殿下がわざとらしく物を落としたりしなければよい話だ」
決してわざと落としたようには見えなかったが、ルーカスはそう思わないようだ。鋭く咎めるような声をあげているが、わざわざ説教をしなければならない場面でもなかったはずだ。
わけもわからず焦ってその背中を見つめていると、私と同じく険悪になりつつある雰囲気を察したジェシカが声をあげた。
「わ、私もちょーっと執行部の仕事がしたくなってきたなあ~! サイラス殿下、私たちは先に行きましょう!」
「ジェシカ……!? ちょっと待ってくれるかな」
「いえいえ! 今すぐ行きましょう!」
「わかったわかった! 公女、執行部の件はいつでも歓迎するよ!」
「はいはい! 行きますよ~!」
ジェシカはわざとらしく大声を上げて、サイラス殿下の腕を引っ張りながら歩いていく。
女性とは思えぬような筋力で殿下を引きずっていく後ろ姿に呆然として、振り返ったジェシカにウインクをされてから、状況を思いだした。そっちはよろしくとでも言わんばかりの合図だ。
「……レティシア」
ルーカスはごく稀に、私の名を敬称をつけずに呼ぶことがある。
これだけの期間、毎月顔を合わせ続けている間柄であるから、もっと親しげな名で呼び合っていてもおかしくはないが、何度呼ばれても慣れることなく胸がざわめく。ルーカスが何を考えて、次に何を発言しようとしているのか、いつもわからない。




