特技:恋愛音痴7
「ルー兄……!?」
「戻りが遅いと殿下が案じていた」
「あ、うん……。申し訳ない、です」
「今朝から調子が悪かったのだろう。無理をするな」
「いや……、それは今、すっかり治った」
私を抜きで会話する二人の声に、やましいことは何もないはずがどうしてか心拍数が上がる。
ルーカスはあくまでもダグラスの顔を見ながら、歩みを進めてくる。近づくたび、言い知れない感覚が身体中を這いまわって、ついに視線が下がった。
「オルティス公爵令嬢」
「は、い」
視界にルーカスの革靴の先が映る。とうとう名を呼ばれて、ゆっくりと顔をあげた。この学園にいる間、彼に名を呼ばれることは一度もなかった。それどころか、今日までは視線が絡むこともなかった。
「あなたも顔色が悪い」
「い、いえ……、お気遣いいただくほどのことでは」
「帰りの馬車はもう手配しているのか」
「いえ、まだ……。少し図書館で、勉強をしてからと」
「では我がキングストン家の馬車を使ってくれ」
これほどまでに自然に会話が続いたことはあっただろうか。あきらかに喋りすぎているルーカスに、言葉を飲みこんでしまった。
それを了承と取った彼が、恭しく手を差し出してくる。
「ルーカス様、ここは学園ですし、そのようなお気遣いは……」
「体調を崩しているご令嬢に手を差し伸べない騎士はいない」
やんわりと回避したつもりが、逃げ道を塞がれてしまった気分だ。助けを求めるようにダグラスに視線を移しても、慌てて逸らされてしまった。
「レティシア」
「わ、わかりましたから」
これほどまでに婚約者候補の関係であることを隠そうとしないルーカスを見たことはない。強硬手段に出たくなるほど、具合の悪そうな顔をしているのだろうか。
ダグラスへの挨拶もそこそこに、無言のルーカスにエスコートされて人気のない廊下を歩く。ほとんどの生徒が帰宅したあとでよかった。安堵しながらちらりと見た姿見には、普段通りの顔色の自分がいる。
『お嬢様は重度の恋愛音痴ですからね』
ケイシーの言葉をもう一度思い返して、はっとする。
またしても自分に都合のよい捉え方をしそうになった。まるで、ダグラスに嫉妬をしているかのように見えたのだ。しかし、そのはずがない。
ルーカスはダグラスと良好な関係を築いている。つまり、私のような危険分子を側に置きたくなかったのだろう。
約束通り、キングストン公爵家の家紋が刻まれた馬車に乗せられ、一息つく前に目の前の席にルーカスが座り込む。
「出せ」
言葉少なく合図を出したルーカスの声に従ってゆっくりと馬車が動き始めた。
まさか、このままオルティス家まで送り届けるつもりであったとは思わなかった。流れるような動作のせいで、断る隙もない。
ルーカスとの沈黙には慣れているはずが、今日はどうしても気まずさが勝った。
「フォーンハイム卿とは、親しいご関係なのですね」
あまり彼の交友関係については詮索しないようにしていたつもりだが、今日は他に話題にできそうなことが一つも思い浮かばなかった。
私の言葉を聞いたルーカスは、窓の外を眺めていた視線をこちらに動かして、真意を覗くように私の瞳を見据える。
「あ……、の、不躾な質問でしたわ。忘れてください」
「……ダグラスがまだ幼いころ、夏は避暑のために、よくこちらの領地に来ていた。その縁だ」
「そう、なのですね」
「あなたの気に障るようなことは言われていないか」
彼がわざわざ確認してくるということは、ダグラスが普段から私に対して好意的な印象を持っていないということを、ルーカスも把握していたのだろう。
確かに、癇癪持ちが聞けば許しがたい言葉だったのかもしれないが、私からしてみればただの事実だ。
「いえ。少し体調を崩されて過呼吸に陥っていたようですので、落ち着くまで背中を摩って、少しお話しただけですわ」
「背中を?」
「はい」
おかしなことをしたつもりはない。害意がないことを示したかったのだが、ルーカスは珍しく私の弁明に興味を示した。
これほどまでに視線が合い続けることも多くない。しかも、よりにもよって逃げ場のない馬車の中だ。
どうにかして疑惑の目を遠ざけようと思考を巡らせて、もう一度慌てて口を開いた。
「そういえば! 聖女様のお話を伺いましたわ」
ジェシカの話は、ルーカスの短い相槌の中で僅かに語られるだけで、私にはあまり馴染みがない。
ルーカスも、私が彼女の話を聞いて激高しないか見極めているのかもしれない。それであればこちらから話題にしたほうが、害意の無さをアピールできるかもしれない。
「わたくしがルーカス様の婚約者候補であることで、アカデミーへの入学を躊躇われている可能性があるのでは、と心配しておりますの。わたくし、そのようなことで学びの場を失くしてしまう方がいらっしゃるとすれば、とても悲しいことだと思いますわ。……ですから、もしもアカデミーへの入学を希望されているのでしたら、お詫びの印に、私が陛下にいただいた爵位をお渡ししようと思っております。それであれば聖女様も憂いなくアカデミーに入学できるのではありませんか」
「あの方はアカデミーに通う意向など見せていない」
「ですが、そのお気持ちはおありかもしれませんわ。ぜひ、伺ってみてはいかがでしょうか」
「……仮にその意向があったとして、なぜあなたが支援する」
「この国の未来を背負う方の意向にそえるならば、この手に持ち得る限りのすべてを差し出すべきですわ。違いますか」
実際に、ルーカスならばそうするはずだ。まっすぐに問えば、ルーカスは暫く黙り込んだのち、静かに首肯した。
「あなたがそこまで言うのなら、伺いを立てるが……。爵位の用意は必要ない。必要があればこちらで手配する」
ルーカスは嘘をつかない人だ。満足して頷くと、今度こそ目が逸らされた。
もはや、逸らされているほうが心が落ち着く。窓の外を眺める横顔をちらと見上げて、もう一度口を開いた。
「……もしも聖女様がアカデミーへ入学されたら、そのときはぜひ、私のことはお気になさらず、ルーカス様がお付き添いくださいませ」
それくらいで癇癪を起したりはしないということを暗に伝えたつもりが、ルーカスはどうしてか自嘲的な笑みを浮かべた。
彼が笑うところを見せるのはかなり珍しいが、その中でもこのような笑みは初めて見る。
「あなたは本当に、寛大な人だな」
それがどのような意図で呟かれたのかは、いまだによくわかっていない。
「ルーカス様?」
「俺からも一つ、あなたに願いがある」
「はい、どのようなことでしょうか?」
「あまり不用意に他者に触れようとしないでほしい」
一瞬、ほんのわずかに、嫉妬をされたのかと勘違いをしそうになる。理由を聞けば、ルーカスは躊躇うことなく話してくれるだろう。しかしそれは、私が想像したような甘い理由ではない。
ルーカスは私が想像する以上に、私への警戒を緩めていないらしい。
「……気を付けますわ」
この日から、気を付けると言った割に、困った人がいると手を差し伸べてしまい、ルーカスには何度かこの注意を受けることとなる。
そして、ジェシカは私の読み通り、魔法学校への入学を希望して、ゲームよりも一足早く、十六歳の夏のうちに私の前に現れた。
ジェシカはゲームの主人公のとおり、明るく快活な性格の女性だった。もちろんクラスはルーカスと同じ、特別クラスだ。彼女はルーカスから私の話を聞いていたらしく、私が爵位を用意したいと申し出たことなどに、感謝の言葉を言いに来てくれた。
出会うつもりのない相手ではあったが、今は図書館でよく会う友人の一人だ。
そうして、婚約者候補の解消に向けて、着実に準備が進んでいた。
私は父に勘当されても生きていけるよう、商会を立ち上げて、個人資産もそれなりに潤沢になっていた。ケイシーの助言に頼って行動したことばかりだが、これほどまでにうまく行くとは思ってもいない。
相変わらず、学園ではルーカスと婚約者候補の関係であることは隠し、月に一度のお茶会では、私が学内で体験した話や友人とのできごとを語るばかりだ。
学内では親しい友人も増え、何人か慕ってくれる生徒もできた。すべてがうまく行っている。あとはルーカスから解消を申し出られるのを待つだけだと信じ込んでいたのだ。
ゲームの通り、西部で邪悪な力が強まっているという嘆願を聞いたジェシカは、ルーカスを伴って三か月の遠征に出た。
遠征前、ジェシカは執拗にルーカスとは何の関係もないということを口にしていたが、彼の魅力があれば、三か月で恋に落ちる可能性は充分にある。
私のことは気にしないでほしいと後押しして、なぜか呆れた顔をするジェシカを送り込んだ。そうして帰ってきたルーカスから呼び出されたのだから、婚約解消を申し出られるものだと思うだろう。
『あなたは今日も麗しいな』
そのはずが、どうしてこうなってしまったのだろうか。




