特技:恋愛音痴6
過呼吸を起こしているようだ。私の存在に苛立ったのか、強いストレスで発作を起こしてしまったのだろう。
「フォーンハイム卿……!」
慌てて近寄ると、弱々しく手を突っぱねて拒絶を示される。しかし、呼吸の乱れは酷くなるばかりだ。人気のない廊下に他の誰かが来る可能性も低い。焦りながら嫌がるダグラスの背中を摩った。
「落ち着いてくださいませ。……呼吸はゆっくり、鼻から吸って、時間をかけて口から吐き出すのです」
「……っ、離っせ……!」
「落ち着いたら離れますわ。ですから、ゆっくり、落ち着いて呼吸をしてくださいまし」
よほど苦しいのか、彼の紫紺の瞳には涙が滲んでおり、美男子の痛々しい姿にこちらも胸が苦しくなってくる。
初めは強い抵抗を見せていたダグラスも、私が繰り返し声をかけながら背中を摩り続けると、とうとう抵抗が無駄だと察したのか、呼吸を落ち着かせることに集中しはじめた。
そうしてなるべく優しく撫でることを心掛けるうちに、ようやく彼の身体から力が抜けた。
「お上手ですわ。その調子で」
「……っ、もう充分だ」
「ですが、貧血のような症状も……」
「収まった」
言うが早いか、ダグラスは素早く立ち上がって、顔を背けた。耳が赤くなっている。倒れ込んでいたところを見られたのがよほど恥ずかしいか、もしくは嫌っている女に触られたことに羞恥心を感じているのかもしれない。
しかしながら、確かにダグラスの顔色は良好になっている。優秀な魔法の使い手は、自身の体調コントロールも簡単なのだろうか。何にせよ、あまり関わらないほうがよい相手だ。
「……ご体調がよろしいようでしたら、安心いたしました。それではわたくしはこれで」
カーテシーをして、すぐに踵を返す。
まさか私とルーカスの関係がダグラスに知られているとは思いもしなかったが、この様子ではむやみやたらと周囲に吹聴することもないだろう。
「まて」
安心して一歩を踏み出したそのとき、後ろからもう一度声をかけられた。
家格としては、同じ公爵家だ。しかし、古くから宰相として力を尽くしてきたフォーンハイム公爵家と、隣国の騎士であった父が取り仕切るオルティス公爵家では、やはりフォーンハイムのほうが力が上だ。
「……はい。どうなさいましたか?」
振り返り見ると、ダグラスは盛大に顔を顰めて私を見つめていた。
「なぜ平然としている」
「ご体調も回復されたようですから」
「そうではない。あれほどの侮辱を受けて、なぜ平然としている」
湯気が出そうなほど顔が真っ赤だ。ダグラス・フォーンハイムが、これほど表情豊かであるとは知らなかった。いつもは氷のように冷たい表情を浮かべているのだ。
答えを忘れて見つめていれば、ダグラスの表情にはますます焦りが浮かんだ。
「あなたは……、長年関係を続けている相手との仲を否定され、あまつさえ、他にふさわしい相手がいるとまで言われているんだ」
そのようなことは、あえて言われなくとも知っている事実だ。そもそも、ルーカスの相手となるのはジェシカで間違いがない。当然の指摘に対して、怒りが湧いてくるはずもないのだ。
どう説明するべきかと黙り込んでいるうちに、ますます混乱しきったダグラスが、こちらに距離を詰めながら言う。
「だいたい、婚約者候補の関係を隠すとは、何を考えている? ルー兄……、ルーカスだぞ? 何が不満だ? 何が目的だ」
興奮しきった様子だ。これでまた過呼吸を起こしてしまったりしないだろうか。
慌てて首を横に振れば、またしても鋭く睨みつけられる。私の答えを聞くまで、全く引く気がないらしい。黙していても、ますます気にさせるだけだろう。
あまり上手な説明は浮かんでいないが、仕方なく口を開いた。
「その、聖女様とルーカス様のご関係は存じております」
「それなら!」
「わたくしも、フォーンハイム卿と同じ考えですので」
「……同じ考え?」
ルーカスは、なかなか婚約者候補の解消を願い出てくれない。
ゲームではレティシアが十八の誕生日を迎える二か月前に、三か月間の遠征を終えたルーカスから、謝罪と共に関係の解消を願い出られる。
その期間を早めたいと思っているのだが、ルーカスは私がどれほど奮闘しても、目を合わせないだけで根気強く関係を継続しているのだ。
「ルーカス様には、聖女様がふさわしいかと。……家格のことからして、わたくしから申し出ることはできかねますが、そのお話があれば、いつでも受け入れるつもりでおります」
「ジェシカ様は、あなたとルーカスの関係性を慮って、このアカデミーに入学することができずにいる。それを知らないわけではないだろう」
「……まあ、そうなのですか!?」
信じがたい言葉で、思わず大きな声が出てしまった。慌てて口を噤むも、ダグラスも呆然としている。気恥ずかしくなって咳払いすると、私をまじまじと見つめていたダグラスも姿勢を正しなおした。
「そ、そのような気を遣わせてしまっていたのですね。……ご助言、ありがとうございます。すぐにでも、ルーカス様にそういったご配慮は必要ないことをお伝えいたしますわ」
ゲームの進行ばかりを考えていたが、私の行動が変わっている分、ジェシカやルーカスの考えが変わっている可能性は十分にある。
そもそも、この世界はゲームによく似た世界とはいえ、傷つけば痛みを感じるし、体調を崩せばやはり苦しいものだ。ロージーやこの学園でできた友人のおかげで、この世界がただのゲームではなく、生きた世界であることを思い知らされた。
ジェシカはキングストン公爵家に恩義を感じて、学園に通いたい気持ちを口にできないような心の優しい女性だ。おそらくその本質は変わっていないだろうから、私がこの魔法学校に通っていることを知れば遠慮してしまうかもしれない。
学園の楽しさに浮かれて、そのことに少しも考えが及ばなかった。大失態だ。
「ジェシカ様をどうにかするつもりか」
「……そうですわね。ジェシカ様はまだ爵位を持っていらっしゃらないですし、恐ろしい目に遭う可能性もありますわね」
ジェシカが学園に来られるのは、彼女の聖女としての功績が認められたあとだ。
彼女はそこで男爵としての爵位を賜るのだが、成人を迎えるまでの間は母を代理の当主として、キングストン公爵家以外の貴族の家との関係を作ることを名目に、十七歳でようやく学園に現れる。
「でしたら、わたくしの爵位を一つ、お渡しいたしますわ」
慈善活動によって、国王からは一代限りの爵位をいただいている。後ろ盾としては足りなくとも、オルティス家の恩情の印であることがわかれば、手出しをする者も出ないだろう。
国王も聖女への譲渡については拒否するはずがない。さらに、ジェシカはキングストン公爵家とも懇意にする関係だ。
「いざとなれば、ルーカス様がお守りくださいますし」
考えてみれば、これ以上によい解決策もない。
ジェシカが学園に来れば、ルーカスとの仲が深まることは間違いない。しかも招いたのが私であれば、嫉妬心を持っていないことを表すこともできる。常時ジェシカが側にいるようになれば、彼と視線が絡むこともなくなる。
そうすれば、この胸が騒ぐこともないのだ。
「妙案ではありませんか?」
好かれていないことが分かっていても、目で追ってしまう。ルーカスが美しい男性であるから仕方がないことでもあるだろうが、己の目が彼の姿を無意識に探していることには、気づき始めている。
よい解決策に我ながら満足して、顔がほころんだ。私を見つめるダグラスが、息を呑んで視線を逸らす。
目も当てられないほど狂暴な笑みを浮かべていたのだろうか。内心慌てて表情を引き締めた。
「……なぜそこまでされるのですか。聖女様とは、お会いされたこともないはず」
私によほど警戒心を持っているらしい。レティシアは子どものころから傍若無人な態度を取っていたようだから、どこかでそれが見られていたのかもしれない。
「わたくし、このアカデミーがとっても気に入ったんですの。……学ぶことは尊いことですわ。何人たりとも、その権利を奪ってはならない、とそのように思うのです」
身分に関係なく友人を作ったり、かけがえのない思い出ができたりする大切な場だ。ゲームの中のジェシカもプロローグでは入学の喜びに浮足立っていた。
聖剣での戦いは熾烈を極める。それがどれだけ大変な戦いであるのかは画面越しにも理解できた。そのような厳しい運命と戦うジェシカに心安らげる場を作ることができるのなら、その時は早いほうがいいに決まっている。
「……そう、ですか」
「ええ。では今日にでもご連絡をしてまいりますわ」
善は急げだ。妙案を忘れぬうちにともう一度挨拶を済ませて、今度は来た道を戻ろうと足を踏み出した。
放心するダグラスの横を通り過ぎるそのとき、彼の手がこちらに伸びた。
「……もう少し、待ってほしい」
「は、はい」
私の動きを制止するように、目の前に手のひらを出され、ぴたりと足を止めた。横を振り返り見て、複雑そうな表情を浮かべるダグラスと目を合わせる。
「その……、貴女の手で、もう一度僕に触れてくれないだろうか」
「……ええ、と?」
「――ダグラス、何をしてる」
ダグラスの口から、信じがたい言葉が出た。狼狽えきって呆然としているうちにさらに信じがたい声が聞こえて身体が強張った。




