無能な社員
どんなに使いづらい道具でも、使える人が使えば便利な道具へと変貌します。正しい使い方をしてやれば、その人にとって最高のパートナーになることもあるかも知れません。
例えば、周りから「無能」なレッテルを貼られた人間でも......。
これはとてつもなく無能な者の上司をしている男の物語である。
男の職場での一日は、クレーム処理から始まる。これは、彼の部下宛てのものだ。営業に行けば、決まって何かをやらかす部下がいるのだ。
取引先のお偉いさんに失言をしたり、送るはずの書類が送られていなかったりは序の口。なぜそうなるのかは分からないが、お茶をこぼして社長令嬢に火傷を負わせたり、専務が大切にしている指輪を無くしたりと、彼の部下は運も持ち合わせていなかった。
しかし、勤務態度はいたって真面目だった。当然、遅刻をしたことは一度もないし、他の社員のように休憩時間を少しだけ多く取ったりすることも無い。それ故、男もクビにすることができないから、余計に質が悪い。
言えば残業もしてくれるだろうが、勿論、仕事を頼む者はいなかった。
彼はあらゆる上司にたらい回しにされたその部下を哀れに思い、自分のところで引き取ることにしたのが運の尽き。予想をはるかに超える無能っぷりに、毎日イライラさせられていた。
唯一の救いは、彼がまだ年を取っていないことから、年功序列によって誰かの上司になったり、責任を取る立場になっていないことぐらいだろうか。
男は、そんな部下にも「何かできることは無いだろうか」と日々悩んでいたが、中々いい使い方が見つからないでいた。部下をうまく使えることも、良い上司の条件だと思っていた彼は、どうにかして彼を有能な社員に育て上げたかった。
そんな中、ある会社との契約の話が上がった。男の会社の会長の親戚がやっているその会社には、以前から黒い噂が立っていた。あまり会社では知られてはいなかったが、男は独自に調べていたのだ。そして、今すぐにでも警察に逮捕されてもおかしくない奴らがごろごろいることを知っていた。
「汚い方法で金を稼いでいる奴らと、うちの会社をつなげてはいけない」
そう思った男は、自ら志願してこの契約に臨むことにした。男の上司も、彼を優秀な人間だと認めていたので、この商談を任せることにしたのだ。勿論上司は、重役の親戚の会社だから、失礼のないように契約を結べればよいと思っている。
一方で男は、何としてでもこの契約を阻止せねばいけないと考えていた。
「しかし、相手はどんな手を使ってでも契約を結ぼうとしてくるだろう。どうしたものか......」
男は、あらゆる場合を想定するが、こちらも乗り気で行く体なので、うまく断るような文句が見当たらなかった。
「そうだ、あいつに任せるか。こんな適任はいない。あいつはこれまで一度たりとも、俺の思い通りに動いたことがないんだ。毎回、契約は取ってこれないし、今度だって相手をひどく怒らせてしまうに違いない」
結局、その無能な部下に商談を任せることにした。
「これが最後のチャンスだ。これを失敗したら私もさすがに庇いきれない。ただ相手に合わせているだけで成立する商談だからな」
男は部下にそう告げる。部下は引き締まった表情を見せ、やる気に満ち溢れているように見えた。そんな様子に安心して男は、一人笑顔でパソコンに向かう。
「こんなに良い方法があったとはな。今後、断りにくい仕事は全てあいつに任せればいい......」
商談当日。
「今頃、何かしらやらかしているところだろう。いいぞ、このまま思い通りになれば、俺もあいつもこの会社の英雄だ」
そんなことを思いながら、笑顔が隠し切れない男の下に、部下から電話が来る。彼はそれを瞬時に取り、部下の言葉を待った。
「すいません......」
「どうした」
「相手の会社の社長さんとぶつかってしまい、鼻血を出させてしまいました......」
男は吹き出しそうになったが、何とかこらえた。しかし、身体はこらえきれずに、思いっきりガッツポーズしていた。そしてわざとらしく、「社長は無事なんだろうな?」と語気を強めて聞く。
「特に病院に行くことも無いみたいです。しかし、かなり怒らせてしまって......」
男はさらに笑顔になるが、なんとか表情をこわばらせて、
「わかった戻って来い。お前に言うべきことがある」
と冷静さを装って告げる。
「待ってください、見捨てないでください、確かに社長に怪我を負わせたことは事実ですが、ちゃんと契約は取りました!」
その言葉を聞いた男の表情には特に変化は無かったが、心境は全く真逆のものになっていた。
「僕も契約が破談になるかと焦りましたが、何とか結べました。帰り際には僕も許してもらえて、本当に良い人でした。......先輩?......もしもし?」
男は無意識のうちに電話を切ってしまっていた。そして喜びから一気に絶望に落とされた彼は、光が宿っていないかのような目で、飲みかけのコーヒーに歪む男の顔を見つめる。そのコーヒーを持つ手は震えていた。そして、全て飲み干して空になったマグカップを置き、小さく呟く。
「なんて無能なんだ......」
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