第62話 バランスの崩壊
ハリーと紫蘭がリバーサイドパークからアップタウンの総合病院に着くまで実に一時間余りを有した。
というのも道中警察によって交通規制が敷かれ、渋滞に巻き込まれたためである。交通規制の先には目的地の病院があった。
一度車を乗り捨てることも考えたが、ハリーが指名手配されている身である以上、極力警察の目に触れるのを避けることにした。
「この渋滞は一体何だ?」
「病院の方からだ。何か事件が起きたような物々しさだな」
「まさか…アリア…」
「ハリー、とにかく警察に見つからないように身を隠しておくんだ」
紫蘭に諭されるようにハリーは座席に身を屈めるが、アリアのことを考えると気が気ではない。ハリーが悶々とする中、幾つかの検問を越えた後、ようやく病院に到着した。
しかし病院の正面玄関口は警察と新聞記者、そして野次馬でごった返しており、とても中に入れる雰囲気ではない。
「ハリー…幾つか出入口があるから裏へ回ろう」
紫蘭に促されてハリーは病院の裏口へ回ろうとした。が、突然紫蘭に黒装束の服を渡された。
「それを着ろ。今の服では目立つ。少しは警察の目もごまかせるだろ」
「あ、ああ…すまない」
服を着替えたハリーは改めて紫蘭らと裏口へ回るが、警察に質問する新聞記者の言葉が耳に飛び込み、思わず足を止めた。
「飛び降り自殺ですか?」
「それについてはまだ身元など情報が出てないのでお答えできません」
「確か女性でしたよね?即死と聞きました」
「だからまだお答えできません」
「先程逮捕されたのはプレッティーノ・ファミリーの構成員ですよね?自殺した女性との関係は?」
「だからお答えできないと…」
自殺?女性?即死?ハリーの脳裏に最悪の展開が過る。劉の元へ行こうとするも足が震えて進めない。だが、このままでは不審者として警察に疑われかねない。見かねた紫蘭がハリーの手を引いた。
「急げ、こんな所で立ち止まってたら怪しまれる」
「し、しかし…」
ハリーの顔色は優れないが、紫蘭によって無理やり病院の中へ入った。するとハリーとすれ違い様に見たことのある顔が警察に連行されていった。
白いジャケットの男と赤スーツの男…ハリーがアップタウンに渡る際に一緒に行った連中。そしてアリアを襲っていた連中だ。
二人はハリーに気づくことなく、ただ酷く項垂れたまま警察によってパトカーに乗せられていく。
「あいつら…やはりプレッティーノ・ファミリーがアリアを…!」
ハリーはやり場のない怒りを覚えつつ、劉の元へと急いだ。劉の病室の前に着くと警察官と親衛隊が居り、何やら事情聴取を受けている様子であった。横から紫蘭がドアの近くにいた警官に袖の下を渡すとあっさり劉の病室へ通された。
「父上!」
開口一番紫蘭が叫ぶ。すると劉の枕元に座っていた一人の女性が口元に手を当てて、シーッというジェスチャーをした。
「ごめんなさい、さっき寝たばかりなの」
「…あんたは確か…」
女性を見て紫蘭が口淀むと、後ろからハリーが叫んだ。
「アリア!?」
「ハリー!」
互いに名前を呼び合うとハリーとアリアは駆け寄って抱擁を交わした。アリアはハリーを抱き締めながら涙を流す。
「ハリー…もう会えないかと思ったわ…」
「アリア…無事で良かった…」
二人とも再会できた喜びで周りが見えていない様子であった。この状況に紫蘭がコホンと咳払いする。するとようやくハリーとアリアは我に返り、慌てて離れた。
「イチャイチャするのはいいが、此処は父上の病室だからな」
「ああ…すまない紫蘭」
「あとアリア。父上に何かしたのか?」
「とんでもない!寧ろ助けてもらったのよ。ただ…傷を負わせてしまって少し休んでいるの」
「傷?」
紫蘭が怪訝な表情を浮かべる。ハリーは紫蘭を宥めつつ、アリアに何が起きたのかを聞こうとした。そのとき、劉のベッドの下からトントが顔を覗かせた。
(私から説明させてくれ)
「トント!」
(実はハリーたちが此処を出た後、マダム・プレッティーノたちがアリアを狙って襲ってきたんだ)
「マダムが…!?」
「やっぱり私たちの懸念通りだったか」
ハリーと紫蘭が顔を見合わせる。
(マダムたちによって屋上まで追い詰められたんだ。幸い劉が加勢してくれたお陰で何とか撃退はできた…が…)
「が?」
トントがアリアをチラリと見る。アリアは先程の襲撃を思い返し、俯いていた。余程怖い目に遭ったのか少し震えているように見える。
(マダムとアリアが取っ組み合いになった際に弾みでマダムが屋上から落下した)
「「何!?」」
ハリーと紫蘭が同時に驚く。二人の声を聞いてアリアが体をビクッとさせた。
「じゃ、じゃあ…下で新聞記者たちがいっていた転落死した女性というのは…マダム・プレッティーノ…ってことか?」
ハリーの言葉にトントが無言で頷く。ハリーは思わず膝をつき、呆然とした。
(一応プレッティーノ・ファミリーの構成員は手負いの劉を襲撃したとして皆逮捕された。マダムは劉暗殺に失敗したことによるショックで屋上から身を投げたということにして警察は納めようとしているようだ。無論劉によってアリアのことは秘匿されている)
「…アリアが無事で良かった…が、まさかマダムが死ぬとは…」
「ハリー…これは非常にまずいぞ」
紫蘭が真剣な表情でハリーとトントを見つめる。ハリーは生唾を飲み込み、紫蘭の言葉の意味を読み取った。
「マダムの死は五大ファミリーの均衡を崩すことになる。しかもドンが死んだばかりでモルトシオネもまだ磐石ではない。更にアンブロアが執政院と組んで他のファミリーを出し抜こうと暗躍している。間違いなく抗争が激化することは必死だ」
「…私のせいなの…」
紫蘭の説明にアリアが俯いて呟く。みるみる内に涙を溢し、ついに臥して号泣した。
「私、私…またも取り返しのつかないことをした…!でも、でも…どうしても…どうしても…!」
アリアの言葉はこれ以上続かない。本人としてもマダムを死に追いやってしまったことは不本意だったようだ。ハリーは慌ててアリアを抱き締めて慰める。
「泣くな、もういい。もしあのままマダムにやられてたら、アリアの命の方がヤバかったんだ。マダムは自業自得と言わざるを得ないが、これは正当防衛だよ」
「本当…?」
「それに遅かれ早かれ抗争は始まろうとしている。ケヴィン・モルトシオネによって」
「…!?」
アリアがケヴィンの名を聞いて固まる。紫蘭は溜め息を付きながらハリーとアリアの元に近づいた。
「確かにハリーのいう通りだ。もうエリック・モルトシオネとスカルスノフは手を組んで執政院との戦争準備を始めたからな。どうやら真正面から徹底的にやり合うつもりだ」
「戦争…」
「俺たちはその渦中に巻き込まれたのさ」
ハリーは運命に身を委ねるような呟きを口にした。




