第6話 探偵はバーにいる
ハリーは少しばかり仮眠を取ると、再びコートを羽織って外に出た。トントは既に寝ていたのでハリーは起こさないように静かに出発した。
念のためではあるが、ハリーは護身用にリボルバー拳銃を肩のホルスターごと装着していた。
どうも嫌な予感がする…。ハリーはドンの依頼から変な胸騒ぎを覚えていた。
外はすっかり夜も更けて遥か向こうのアップタウンのネオンの光が煌々と照っている。
ダウンタウンは昼間も治安が悪いが、夜は更に五割増しで悪化する。大通りはまだ人が多いのでそれほどではないが、一歩通りを外れると様相は一変する。
路上にはホームレスの一団、麻薬の売人と中毒者の取引、娼婦や酔っ払いにボッタクリバーの客引き、ギャングやマフィアとこの都市の澱みをこれでもかと集めたごった煮のような光景が見られる。
観光客は勿論のこと、地元民ですらダウンタウンの夜は出歩くなと都市の執政部から御達しが来ているほどである。
しかしハリーにとってはこんなカオスな光景は日常茶飯事である為、躊躇うことなく目当てのバーへと向かう。途中酔っ払いや客引きに絡まれるが、無視して歩を進めた。
ハリーが行きつけのバー、「バー・フリーダム」に着いたのは日付を越えた午前1時過ぎだった。馴れた様子でハリーはバーへと入り、入り口近くのカウンター席に座った。
「マスター、いつもの」
「あ~ら、ハリーちゃん。こんな時間に珍しいわね」
「本当はもう少し早く来たかったが、野暮用が出来てね」
「いいわよ、いつものね」
「すまない」
「トントちゃんは元気?」
「ああ、いつも通りさ」
バーのマスターであるゲイのトマスにハリーは親しげに話し掛けた。トマスはハリーにとっては数少ない親交のある人物であり、このダウンタウンでも老舗のバーの経営者である。
トマスはハリーの警察時代から知っており、婚約者のマリアのことも把握している。勿論、マリアの事件のことについても、だ。
「はい、いつものバーボンのロックとピスタチオね。ところでハリーちゃん、今日は一段と冴えないわね。ちゃんとご飯食べてる?」
「あんたは俺のママかよ。心配せずとも飯くらいは食ってるさ」
「ヤバイ状況だって、顔に書いてあるわよ」
慌ててハリーは自分の懐にある手鏡を見た。それを見てトマスがイタズラっぽく笑う。
「冗談よ、ハリーちゃん。真面目なんだから」
「はあ…心臓に悪いぜ、マスター」
ハリーが苦笑してバーボンに口を付ける。ピスタチオの殻を剥いて一粒ずつ食べながら明日からのドンの息子の捜索をどうするかハリーは思案する。
すると、マスターが外の方を向いて何やら見ているのにハリーは気づいた。
「どうした、マスター?」
「ハリーちゃん、何か店の外で揉めてるみたいなのよ。あんまり店の前で拗れてもらうと他のお客に迷惑が掛かるから何とかしたいんだけど」
「俺が様子見てこようか?」
「大丈夫なの?ハリーちゃん」
「気にするな、マスター。あんたには日頃から世話になってるしな」
ハリーはゆっくりカウンターから立ち上がると店の外へと出た。
どうせ酔っ払いか客引き同士のケンカだろう。ハリーは簡単な仲裁だと高をくくっていた。
…しかし、それは非常に大きな間違いだった…。