第46話 絶体・絶命
アリアが秘かに執政院から脱出を企てている頃、ハリーらは蔡大老の邸宅を出て劉が用意した潜伏先へ移動していた。
なお場所を悟られないようハリーにはズタ袋が被せられ、抵抗できないように後ろ手に手錠が掛けられた状態で車に乗せられている。
「…こんな真似をしなくても俺は何もしないんだが…」
ハリーがぼやくと横に座っている紫蘭が「念のためだ」と呟いた。トントはというと紫蘭に抱かれる形で一緒に乗っている。猫との扱いの差は何だとハリーは愚痴を溢すが、劉たちは構わず先を急いだ。
「着いたぞ」
しばらくして車が止まり、前の方から劉の声が聞こえた。ハリーは両脇を劉のボディーガードに抱えられる形で外に出される。そして連行されるようにある建物の中に入った。
階段らしき所を抜けて部屋に入るとハリーは椅子に座らされた。劉がボディーガードに合図するとハリーに被せられていたズタ袋は外され、手錠も解かれた。
「此処は…何処だ?」
ハリーが部屋の中をマジマジと眺める。ハリーの前には立派なソファーが置かれており、劉と紫蘭が座っている。部屋の内装は簡素でソファーが置かれている以外にテーブルと小さな棚があるだけだ。あとは格子のない窓があり、ビルの外の様子が見える。
「チャイナタウンにある蔡一門所有の雑居ビルの一室だ」
劉が口を開いた。紫蘭は膝に乗せたトントの毛繕いをしている。
「ケヴィンと接触するまで此処にいろ」
「お気遣いありがとよ」
「座敷牢に入れる予定だったが、紫蘭に反対された。礼なら紫蘭にいえ」
劉が吐き捨てるようにいった。ハリーは紫蘭に目をやると軽く頭を下げた。
「…すまないな、紫蘭。俺のために」
「気にするな、ハリー。お前のためというか、トントが怒るからそうしただけだ」
「…お、おう。ありがとよ、トント」
ハリーはひきつった笑顔でトントに礼をいった。トントは紫蘭から降りるとハリーに駆け寄った。
(お礼なら高級キャットフードを頼む)
「全て片付いたら買うよ」
(約束だぞ)
そういうとトントは部屋から出ていった。フーッとハリーが溜め息を付くと劉と紫蘭が立ち上がった。
「我々はそろそろ失礼する。あと此処から出れないように鍵と見張りを立てておく」
「…軟禁かよ」
「表向き我々が貴様を確保しているとケヴィンに伝えている。もし不用意に外に出て連中に襲われたら目も当てられないぞ」
「確かに劉の言う通りだ」
ハリーは納得して二人が出るのを見送ると、ソファーにゴロンと横になった。
さて…ケヴィンはこの誘いに乗ってくるかな…?アリアは何処にいるのだろう…?
ハリーは頭の中で思案したが、まずは時が来るまで体を休めることにして目を閉じた。
…………………
ハリー…ハリー…
…?何だ、何処からか声が聞こえる。夢か、幻聴か?
ハリー…ハリー…
いや、自分の名を呼ぶ声が確かに聞こえる。何処だ?何処なんだ?
ハリーはソファーの上でモゾモゾしながら周囲を見回す。
(ハリー…おい、ハリー!!)
叫び声のような大きな声が脳内に響き、ハリーは慌てて飛び起きた。ハリーの目の前には息を弾ませた一匹の黒猫が立っている。
「トントか!?どうした?」
(ハリー…妙だ。外の様子が静かなんだ)
「静か?」
(見張りの気配がしないんだよ。それに血の臭いがそこら中に充満している)
「…!?それってまさか…」
(侵入者がいる、ってことだな)
トントの言葉を受けてハリーは音を立てずに立ち上がった。そして壁に背を付けるとゆっくりドアの方に向かって歩く。
(ハリー、武器はあるのか?)
「いや、ない。劉に拳銃は取り上げられた」
(じゃ、どうする?)
「ヤバかったら逃げる」
ハリーはドアの前に着くと、ノブに触れてゆっくり回した。が、鍵は掛かったままだ。
「トント、お前はどうやって入った?」
(ドアに猫用の扉が付いてるだろ)
確かに猫用の小さい扉がドアには付いている。ハリーはしゃがむと猫用の扉を開けて外の様子を探った。
見える範囲は狭いが、何となくトントが伝えたいことは分かった。鼻につくような血の臭いと不気味なまでの静寂。そしてほんの僅かに見えた黒い影。
「…トント。今すぐ逃げるぞ」
(何処へ?)
ハリーは立ち上がると窓へ向かい、無理矢理窓枠ごと外す。音に気づいたのか、ドアの外からノブをガチャガチャ動かしているのが見えた。
ハリーは急いで窓の外へ出る。が、
「げっ!!」
窓の外は地上五、六階に相当する高さ。しかも柵のない、人一人がようやく歩けるような足場が出ているだけでバランスを崩せば真っ逆さまだ。
ハリーは窓を伝って慎重に隣の部屋を目指す。と同時に部屋のドアを蹴破る音が聞こえてきた。
「これはまずいぞ…下手したら人生最大のピンチかもしれん…」
ハリーがぼやいていると、先ほどまでいた窓から黒い影が顔を覗かせた。「蜘蛛の糸」の検問所近くでハリーを襲った影と同じ容姿をしている。
「いたぞ!!!」
影の叫び声に動揺したハリーが思わず足を滑らせてしまう。
「「あっ!!」」
ハリーと影がほぼ同時に声を上げた。




