第2話 ハリーの災難
ハリーの住む「メトロポリス」は巨大な商業都市であり、3000万人以上の人間が生活している世界最大の都市である。都市のど真ん中には運河が流れており、河を隔てて大きく二つの地区に分かれる。
一つは超高層ビル群が建ち並ぶ選ばれし上流階級の住むアップタウン。いわばメトロポリスの支配層や裏社会を牛耳るマフィアのファミリーも含まれる。
そしてもう一つが下流層や貧困層が暮らすダウンタウン。犯罪のメッカであり、極めて治安は悪い。メトロポリスの人口の大半はこのダウンタウンで生活している。多くの住人は川向こうにそびえる超高層ビル群を眺め、いつか自分たちも上流階級の仲間入りすることを夢見ている。
都市の治安維持のため警察もダウンタウンの浄化に躍起になっているが、それは表向きである。実のところマフィアと警察の上層部はズブズブの関係であり、汚職や賄賂は日常茶飯事で必要とあらば偽証や司法取引も横行している。警察官の中にはマフィアからの賄賂で生計を立てる者もいる。
ハリーもダウンタウン側の人間であり、元々は警察官の職に就いていた。配属当初は正義に燃えていたが、すぐに警察の腐敗した体制に流される形で悪徳警官の仲間入りをしていた。
そんな擦れた日常を送っていたハリーだが、一人の女性との出会いがハリーの人生を変えた。
その女性、マリアは自殺を図ろうとしていたところ、偶然ハリーに助けられ二人は恋に落ちた。貧困に喘ぐ日々の中でささやかな幸せと守る者を得たハリーは少しずつ真っ当な警官として生きる道を選び、マリアにプロポーズした。思えばこれがハリーにとって人生最良の時だったのかもしれない。
しかし、その幸せな生活はマリアがある殺人事件に巻き込まれたことによって脆くも崩れ去ってしまう。当初は通り魔か暴漢による犯行と見られたが、捜査は一向に進まぬまま一年近くが経過した。
挙げ句、上層部からの圧力や証拠の揉み消し、捜査妨害によってうやむやなまま警察は捜査を打ち切ったのである。
ハリーは警察の腐敗っぷりに完全に失望し、職を辞すると安アパートに私立探偵事務所を興して独自にマリアの事件を追うことに決めた。今から二年前のことである。
黒猫のトントはマリアが生前飼っていたのをハリーが引き取った。トントは八歳になる雄でハリーに懐いている。マリア亡き後、トントと触れあうのがハリーにとって数少ない楽しみとなっていた。
…そしてその頃からハリーの脳内に「トントの声」が聞こえるようになった。まるで独り言のように”トント”と会話するハリーの姿に周囲の人々も避けるようになり、ハリーは自然と孤独になっていった。
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仕事を探すためにアパートを出たもののハリーに行く当てはなかった。アパートの家賃も滞納しているので、そろそろ工面しないとトントと共に路上生活を余儀なくされる。
どうしたものかとハリーが溜め息を付いて大通りを歩いていると不意に高級車がハリーの横に止まった。
ふとハリーが見ると中から屈強なスーツ姿の男が三人降りてきてハリーを囲んだ。
「えっ…えっと何かご用ですか?」
男たちに全く心当たりのないハリーは動揺して声が上ずる。男たちはハリーの顔を見ると、目配せして頷いた。すると突然男たちはハリーの頭にズタ袋を被せると、後ろ手に手錠を掛けて車に押し込んだ。
「な、なにをする!!離せ!」
いきなりのことに慌てて叫ぶハリーを他所に男たちは車に乗り込むと発進させた。