第15話 思い出のマリア
ハリーとアリアはアパートまでの道中を慎重に進み、何とか警察に見つかることなく部屋まで辿り着くことができた。
帰ったときには既に昼になろうとしており、新聞紙が玄関脇のポストに挟まれていた。
ハリーはドアを開けてアリアを先に入れる。アリアはハリーの部屋を見て呆然と立ち尽くしていた。汚い部屋だから?それとも初めて見るところだから?
「狭く汚いけど、それなり住みやすくしてるんだ。奥にソファがあるから遠慮なく座ってくれ。俺はコーヒーを淹れる」
「あ、…ありがとう…」
アリアの返事がたどたどしい。ハリーは彼女の態度を見て仕方ないと溜め息を付いた。すると足元にトントがすり寄ってきた。
(まー、こんな男だらけのむさ苦しいところじゃ彼女も嫌がるだろうね)
「他に選択肢はなかった。かといってホテルに行くわけにもいくまい」
(じゃあ彼女は暫く此処にいるということか?)
「ま、そうなるだろうな。なし崩しだがな」
(ハリー…今やましいこと考えてないか?)
「はあ??」
ハリーはトントの言葉に思わず大声を上げる。アリアが驚いてハリーの方を向いた。ハリーは慌てて何でないと弁解する。
(マリアに先立たれてから女日照りだろ?一応お前さんも健全な男なら多少は考えてしまうだろ?)
「トント…お前は何をいっているんだ?」
(ま、いいさ。私はお前さんがいつまでもマリアを引きずっているのが不憫でならないだけだから)
「…余計なお世話だ…マリアのことも…」
ハリーがトントに対してシッシッと手を振ると、トントはやれやれといった表情で去った。全くわが飼い猫ながら…
ハリーがぼやくと、狭いキッチンにアリアがやってきた。アリアは怪訝な表情を浮かべていたが、トントがすり抜けていくのを確認すると何となく納得したらしい。
「ねえ、頼みがあるんだけど」
「なんだ?」
「シャワーか風呂を貸してくれない?」
「いいよ、狭いけどユニットバスになっている。遠慮なく使ってくれ。あと入っている時は鍵を閉めてくれ」
「ユニットバス…?」
「あー、トイレと一緒になってるのさ」
「そんなところ大丈夫なの?」
「まあ、女王様には刺激的か…」
ハリーはやれやれと肩を竦めた。アリアはゆっくりとシャワーへと向かう。
「覗かないでよ」
「誰が覗くか!」
アリアは振り向き様にいたずらっぽい声で呟いた。多少は警戒が解けたのだろうか。
と思っていると暫くしてまたアリアがハリーのところへと来た。アリアはタオルで胸元を隠している。
「忘れてた、着替えとかないかしら?…いえ、此処にある訳がないわよね…」
アリアがフーっと溜め息を付く。するとハリーはアリアの言葉を受けて無言で部屋の奥の方へと向かった。アリアが慌ててハリーに付いていくと少し狭めのベッドルームに辿り着いた。
「ここは…?」
ハリーが入ったベッドルームは乱雑に物が置かれた他の部屋とは違って綺麗に掃除されており、塵一つ落ちていなかった。小さな机と衣裳タンス、そしてベッドが一つポツンとあるだけのシンプルな内装である。そして机の上には写真立て一つが置かれていた。
ハリーは何もいわずに衣裳タンスから何枚か服を取り出すとアリアにソッと渡した。アリアはハリーの変わった様子に戸惑う。
「…使い古しだが、洗濯はしている」
「ありがとう…って…貴方一人暮らしじゃなかったの?」
「今は一人だ」
アリアがハリーから受け取った服を広げるとキレイなワンピースと女性物の下着類だった。アリアはハリーの悲しげな表情で察したのか口をつぐむ。
アリアがチラリと写真立てを見ると優しそうな若い女性が此方を向いて微笑んでいる写真が飾られている。女性は栗色で長い髪をふわりとさせ、シンプルなチェックのシャツに身を包んでいた。
「この人は…?」
「婚約者だ。もういないけどな」
「…じゃあ、この部屋は…」
「あんたが気にすることはない。俺はキッチンに戻る」
そういうとハリーは部屋から出た。残されたアリアは写真立ての隅に小さく『ハリーよりマリアへ愛をこめて』の文字が書かれているのに気づき、じっと写真を眺めていた。




