第8話 『母の帰宅』
念の為に、俺は武器になるものを探した。
包丁は……ダメだ。
こんなの使ったら、取り返しがつかない。
いや、持っているだけで、親子の関係は修復不可能となってしまう。
なら何がある?
刃物ではなく、何か殴るもの……そうだ!
名案を思いついた俺は、リビングの押入れを開けた。
たしかここに……あった!
俺はそこにあった工具箱を引っ張り出した。
金属の上蓋を開き、中身を確認する。
そこに目当てのものは……見つけた。
金づちだ。
正確にはゲンノウというのだろうか。
片方がやや尖った金づちだ。
俺はそれを取ると、工具箱を元の場所に戻した。
そして、二階にある自室へ入る。
内側から鍵をかけて、念の為に、洋服ダンスをドアの前に置いた。
ドアは廊下側に開くので、ドアが開けば洋服ダンスの上から顔が見えることになる。
そんな状況は考えるだけで恐ろしかった。
豆電球だけつけて、明かりは消した。
起きていることを知られたくはない。
俺はベッドに座ったまま、布団にくるまった。
両手で金づちを握りしめた。
じっと手元のスマホを見つめる。
友達や恋人からRINEが来ているが、とても返事をする気分じゃなかった。
ただ画面の時計を見つめる。
23:30……0:00……0:30……1:00……1:30……そして、2:00。
ドッドッドッドッドッド……。
うるさいほど心臓が早鐘を打つ。
一分一秒がこんなにも長く感じるなんて思いもしなかった。
2:01……2:02……2:03
いつもなら眠気で目を開けていられない時刻だ。
なのに少しも眠くない。
ネカフェで数時間眠ったからだろうか。
いや、違う。
この家で眠ることが怖いのだ。
俺は考えた。
もしあの狂った状態の母さんが、俺の寝ている枕元にやってきたら……。
ブルッ!
思わず身震いした。
もしかしたら、そのまま目が覚めないかも。
……ありえる。
あの状態の母さんならやりかねない。
そう考えると、眠ることなんてできない。
部屋の鍵なんて、ただの気休めみたいなものだ。
入ろうと思えば、バールの一本もあればいい。
そんなことを延々と考えていたら、車のエンジン音がした。
「お疲れさまでした、瑛子ママ」
「ご苦労さま。安全運転で帰るのよ?」
「はい、ありがとうございます! 失礼します!」
バタンと車のドアが閉まる音。
そして遠ざかるエンジン音。
帰ってきた。
母さんだ。
耳を澄ませる。
スリッパで歩く音。
冷蔵庫を開ける音。
ドアを開ける音。
とくに異常はない。
いつもの母さんだった。
俺は拍子抜けした。
と、同時に腹が立ってきた。
どうしてこの俺が、母さんごときに怯えなくちゃならないんだ?
体は俺のほうが比べ物にならないくらい大きいし、力だって強い。
喧嘩になれば、100%俺が勝つ。
なのに、こんなにビビるなんて、馬鹿らしい。
このまま下に行って、文句を言ってきたら、一発ぶん殴ってやろうか。
本気でそう思った。
だが、待て。
今の母さんはアルコールが入っているはず。
アルコールの力で、今朝以上に狂ってしまう可能性もある。
それに、酔っ払いは痛覚が麻痺してるから、ゾンビのように向かってくるかも。
俺はブルっと身震いした。
母さんと会うとしたら酔いが覚めた頃がいい。
つまり朝。
そうと決まれば、早めに寝るに限る。
俺は覚悟を決めて、ベッドで横になった。
下から物音がするたびにビクッとした。
だが、疲れていたのか、気がつくと眠りに落ちていた。