第7話 『クズ男、ビビる』
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「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
俺は自分の声で目覚めた。
視界に広がる、そこは自室ではない。
リビングだった。
「ゆ、夢だったか……」
恐ろしい夢だった。
だがその詳細は、一秒ごとに記憶から薄れていく。
十秒が経過した頃には、すごく怖い夢だったって印象しか残っていない。
俺は上半身を起こそうと、右手をついた。
「痛ッ!」
すると激痛が走った。
見ると、右手親指の付け根にひどい傷がある。
血は固まっていて、出血はもうない。
その傷のおかげで、少しずつ記憶が蘇ってきた。
俺は母さんを怒らせたのだ。
それも尋常じゃないほどに。
ゆっくりと立ち上がる。
すると、どうも下半身が気持ち悪い。
恐る恐る触れてみる。
なんと俺はおもらしをしていた。
小便どころか、大便まで。
「マジかよ……」
周りを見渡す。
そこはいつものリビングだ。
いつものリビングで、俺がおもらしをしている状況だった。
母さんとのことは夢だったのか、と思ってしまうほど、いつもの光景だ。
だが右手の傷が、非情な現実を俺に突きつける。
右手には、くっきり残っているのは、明らかに母さんの歯型なのだから。
ともかく、早くパンツを履き替えたかった。
気持ち悪くてたまらない。
俺はトイレと風呂で体に付着した排泄物を落とすと、汚れたズボンとパンツをゴミ袋に入れた。
自分で出したものながら、鼻が曲がるほどの悪臭だ。
念の為、ゴミ袋は三重にして、可燃ごみのボックスに捨てた。
新しいパンツとズボンを履いて、再びリビングに戻る。
確認しなければならないことがある。
俺は食器棚を覗き込んだ。
そこにあるはずのものは、やはりなかった。
母さんが大事にしていたコーヒーカップ。
それを置いていた場所には何もなかった。
やはり夢ではなかった。
俺は母さんを怒らせてしまったのだ。
父さんの形見を叩き壊して……。
救急箱から取り出した消毒液と包帯で、右手を治療した。
気絶するほど痛かったけど、その痛みが自分の罪の重さだと思った。
俺は甘んじてその痛みを受け入れた。
それで許してもらえるとは、到底思えないが……。
時計を確認する。
今は午前10時。
起きたのが7時だった。
つまり3時間ほど気絶していたことになる。
母さんはどこへ行ったのだろうか。
今日は平日の水曜日だ。
特に出かける用事もあるまい。
仕事はだいたい夕方の17時に出かけるはずだ。
一旦戻ってから仕事に行くのだろうか。
というか、母さんの昼間の行動なんて、知りはしない。
もしかしたら、いつも行っている場所に行っているだけなのかもしれない。
俺の方はと言うと、
学校は……行く気にならなかった。
部屋に戻って、携帯を覗いてみる。
クラスメイト数名から心配するグループRINEが届いている。
『風邪気味で今日は休むわ。佐竹っちにもそう伝えといて』
RINEを打ち終えて、ふとソファーを見る。
そこには封筒が一つ落ちていた。
拾って確認すると、中には3万円が入っている。
俺への誕生日プレゼントだ。
俺は封筒ごと丸めて、ポケットにねじ込んだ。
残り5万は諦めよう。
足りない分をくれだなんて、口が裂けても言えない。
そんなこと、言えるはずがなかった。
まさか母さんが、あんなに恐ろしい人間だったなんて……。
こうなったら謝るしかない。
どんなに怒られようが、必死に謝るのだ。
母さんはいつ帰ってくるだろうか。
でも今は会いたくない。
俺はブルっていた。
なので服を着替えて、外へ出た。
幸いにも、母さんからもらった3万円がある。
たまに行っていたネカフェで時間を潰した。
気になっていた漫画を読んでも頭に入ってこない。
ジュースを飲んでも美味しいとは思えない。
母さんのことが気になって気になって仕方がなかった。
22時。
ネカフェから出た。
外は真っ暗だ。
家に帰り着いたのは23時前だった。
そっと鍵を差し込み、ゆっくりと回す。
いつもは気にしないカチャって音が、やけに大きく聞こえた。
家の中の電気はついていない。
母さんはいないようだ。
ホッと息を吐く。
店に出勤しているのだろう。
母さんが仕事から帰ってくるのは、いつもだいたい午前2時。
つまり、後3時間で母さんとこの家で二人きりになってしまう。
あの恐怖の時間が、再び始まるかもしれない。
どうする? どうしたらいい?