第6話 『悪夢』
どれくらいそうしていただろう。
あらかたの破片を集め終えた母さんが、ゆっくりと立ち上がった。
先程までの絶叫は、今は止まっている。
恐ろしいほどの静寂だった。
その静けさは、なぜか絶叫よりも数倍恐ろしかった。
俺は足が震えて立ち上がれない。
ゆらり。
ゆっくりと、母さんは立ち上がった。
表情は、髪に隠れてわからない。
ただし、血にまみれた唇だけは、ハッキリと見えた。
それが俺の血なのか、母さんの血なのか、わからない。
そして、どうして、こうなったかも。
わからない。わからない。わからない。わからない。
母さんが大事そうにカップの破片を持つ手。
そこから血が流れている。
ポタポタポタポタポタポタ……。
静寂の中、血の落ちる音だけが聞こえている。
永遠と感じるほどの数秒。
そして血にまみれた口が動いた。
「許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない……」
言いながら、母さんが顎を上げた。
血走った目で、俺を見下ろしている。
その目からは、化粧なのか、黒い血のような涙が流れていた。
「お前を絶対に許さない。許さない。許さない……ブツブツブツ」
「ひっ……ひぃぃぃっ!」
腰が抜けたのか、俺は這ったまま、逃げた。
いや、逃げようとした。
実際には、一秒で数センチしか進んでいなかった。
怪物から逃げようとするのに、全然前に進まない。
たまに見るそんな悪夢のことを、その時の俺は思い出していた。
当然だ。
今まで見た映画や夢の、どんな怪物よりも、目の前の母さんが怖かったのだから。
母さんは、その場から動かなかった。
ゆっくりと逃げる俺を、ただじっと見つめたまま、立ち尽くしていた。
「逃げなさい。どこまでも逃げなさい。でも無駄よ。私はお前を逃さない。絶対に逃さないわ。絶対に、絶対に、絶対に……うふふ、うふふふふふふ……」
母さんは狂っていた。
いや。
俺が狂わせたんだ。
狂人の声を聞きながら、俺は意識を失った。
∮
俺は両手をベッドに縛り付けられていた。
いや、両足も固定されている。
大の字になった体は硬直したように動かせない。
「目が覚めたかしら?」
突然聞こえた声。
見ると俺の右側に女が立っていた。
女の顔は髪で隠れてわからない。
だが、俺はこいつを知っている。
なのに思い出せない。
こいつは誰だ?
女は右手に何かを持っていた。
首すら動かせないので、それが何かわからない。
「さぁ、お仕置きの時間よ」
女が右手を持ち上げた。
その手にはナイフが握られている。
あれは……サバイバルナイフだ。
中2のときに、俺が欲しかったやつだ。
女はナイフの先端を、俺のシャツの襟に当てた。
「よいしょ……と」
そして一気にシャツを引き裂いた。
何の抵抗もなくシャツは両断された。
まるでカミソリのような切れ味だった。
「うふふふ、さて、かわいいかわいい〇〇君には、私の手品を見せてあげましょう」
女はそう言うと、ナイフの先端を俺のみぞおちに当てた。
チクリと痛みが走る。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……。
俺は尋常じゃないほどの早さで呼吸をした。
声はまったく出せなかった。
俺の口は、ただ浅い呼吸音を発するのみ。
「なんと、今からご覧いただくのは、ナイフの刃が消えるという手品で~す! 拍手は……残念ながら、できないわねぇ。うふふふ」
女はニタリと笑った。
俺はバチバチと、必死にまばたきをした。
まばたきで、意思表示をした。
止めて、止めて、止めて、止めて、止めて、止めて、止めてぇッ!
だが女は、それを誤解した。
「あら、瞬きで拍手をしているのかしら? うふふ、じゃあ、お○さん、張り切っちゃうわよ。えい!」
刃を俺の腹に沈めていった。
ゆっくりと、ゆっくりと……。
「さぁ、どんどん消えていくわよぉ。ずぶずぶずぶずぶずぶずぶずぶ」
「………………ッ!!!!」
死んだほうがマシなほどの激痛が、俺の腹を襲う。
小便を漏らし、大便を漏らし、よだれを鼻水を涙を流す俺を見ながら、女は楽しそうにこう言った。
「サプラ~イズ」
後書き)
まだまだ全然続きます。
あとブクマしてくれるとうれしいっす。うっす。