第37話 『裸の付き合い』
「あの……俺、金が……」
「野暮なこと言うんじゃねぇよ。金なら心配すんな」
俺は強引にタクシーに乗せられた。
向かった先は、大きなスーパー銭湯だった。
受付に着くと山﨑は、
「大人二人だ。あとこいつの服を洗濯してほしいんだが」
受付係の女性に無茶を言った。
客の服を洗濯するなんてサービスは存在しない。
にもかかわらず、山﨑は女性を説得した。
そして驚くことに、その説得は成功したのだ。
女性の役職が高かった(副支配人と名札にあった)ことも幸いしたのだろう。
山﨑は子供のような笑顔で女性に礼を言うと、強引に一万円を握らせた。
「そ、そんな……困ります!」
「いいって、いいって。じゃあその分サービスしてくれよな」
「で、では館内の施設は、すべて利用できるように計らいます」
「ありがとな、姉さん。ここには床屋もあるんだろ? 風呂に入ったら行かせてもらうよ」
俺は感心した。
こいつ、こんなに人付き合いがうまかったのか。
今まで凶暴な一面しか知らなかったな。
「さぁ、とりあえず一っ風呂浴びるとするか」
∮
「ふーっ。真っ昼間から銭湯ってのもオツなもんだなぁ、おい」
山﨑が湯に浸かり、恍惚の表情を浮かべる。
俺は湯船の外に立っていた。
裸になった山﨑は、思った通りだった。
服で隠れていたのは、ボディービルダーのような見せかけの筋肉ではなく、格闘家のそれだ。
筋張った筋肉が、必要な場所に必要な分だけ、過不足なくついている。
思わず見惚れてしまうほど均整の取れた、そして完成された肉体だった。
俺は、こんなやつに殴られたのか。
勝てるはずないな、素人の俺なんかが。
よく死ななかったものだ。
「どうした? 坊主も入れよ」
「は、はい」
言われて、俺も湯船に入った。
「っ!?」
日焼けした皮膚にピリピリとした痛みが走る。
だが、それを上回る心地よさが全身を包み込んだ。
「風呂は久しぶりか?」
「はい、たまにネカフェでシャワーは浴びていたんですけど」
「そうか……。大変だったな」
「……はい」
――誰だ?
俺は困惑した。
――誰なんだ、こいつは。
俺の知ってる山﨑は、こんなに優しい口調で話すやつじゃなかった。
いや。
佐藤沙耶に話しかける山﨑は、確かこんな感じだった。
もしかしたら、これが山﨑の素なのか。
急に俺は、山﨑のことが知りたくなった。
「あの、山﨑さん」
「ん?」
「山﨑さんは、どうやって母さんと知り合ったんですか?」
「うん、そうだな。まずはそこからだな」
それから山﨑は、母さんとの馴れ初めを話した。
山﨑はいわゆる半グレだった。
ある日、本職の人間を的にかけて、山﨑は捕まってしまう。
散々拷問されて、後はどうやって殺そうかって話になったとき、事務所に現れたのが母さんだった。
母さんは、敵対勢力の組長(と手打ちについての話し合い)に同行していた。
なぜ母さんがそんな大役を?
そのことについて、山﨑は教えてくれなかった。
今にも殺されそうな山﨑を見て、母さんは拷問していた組員から事情を聞いた。
そして、二度と山﨑が仁義にもとる行いをしないことを条件に、解放を頼み込んだ。
『もしこの子が約束を違うようなことがあれば、ケジメはこの私がつけます』
山﨑を殺そうとした側の組長に、母さんはそう言った。
ここで言うケジメとは、山﨑の命と、そして自分の命のことだった。
俺は絶句した。
なんて度胸と覚悟だ。
俺には想像もできない世界だ。
俺みたいな小物が母さんに敵うはずがない。
山﨑が母さんを尊敬するのも当然だ。
「ってなわけだ。坊主がどれだけ無謀なことをしてたのか、理解したか?」
「……はい」
「瑛子さんは優しい人だ。人生に悲観して取り返しのつかないことをしたオレを、瑛子さんは放っておけなかったのさ。だからこそ、オレは不思議に思った」
「不思議にって……なにをですか?」
「どうして瑛子さんが、坊主に辛く当たるのかってことをさ」
「いや、だって、俺は母さんに暴力を……」
「オレの知ってる瑛子さんは、そんな小さなことを根に持つ人じゃない。坊主だってわかってるだろ?」
「……はい」
「そこでオレは一つの仮説を思いついた」
「仮説?」
「瑛子さんの行動が、すべて坊主の為だったって仮説だ」
「え? さすがに、それは……」
「まぁ聞けよ。オレが初めて会った頃の坊主はクズだった。それも、とびっきりのな。まさにクズ中のクズってやつだ。クズオリンピックがあれば間違いなく金メダルを取れるって逸材だ」
「それは……自覚しています」
「いいや、してない。坊主の認識はまだまだ甘い。お前はもうちょっとで同級生をレイプするところだったんだぞ? それを正当化するクズっぷりって、おまけ付きでな」
「それは……はい……」
「オレは裏社会でいろんなクズを見てきた。そのオレが断言するが、最底辺のクズってのは、真っ当な親に手を上げる坊主みたいな奴だ。理由がわかるか?」
「いえ……」
「一番感謝すべき親の恩ってやつを、笑いながら仇で返す奴だからだ。最低限の仁義すらわきまえねぇゴミクズだよ、そんなやつは」
「……はい」
「もちろん世の中にはとんでもねぇ親もいるさ。そんな奴らが自分の子供に殴られようが、殺されようが自業自得ってなもんだ。だが瑛子さんは違うだろ? 坊主に何か不自由をさせたか? 理不尽に当たり散らしたか?」
「いえ……母さんは立派な親でした」
「わかってるじゃねぇか。つまり坊主、お前はクズ中のクズだったんだ。他人を見下し、大したことのない自分を認めようとしないゲス野郎。それが高校生の頃のお前だ。そんなお前を殴るのに、何の躊躇も哀れみも良心の呵責もなかったよ、オレは」
「そう……ですね。だから母さんは俺を捨てたんだ」
「違うな。間違ってるぞ、坊主」
「え?」
「オレの見立てじゃ、瑛子さんは坊主を捨てたんじゃない」
「でも実際に俺は、家を追い出されて……」
「まぁ聞けよ。瑛子さんは坊主を導こうとしたんじゃないのか?」
「導く、ですか」
「あのままじゃ坊主は碌な人間にならなかった。いや、それどころじゃねぇな。坊主はもうちょっとで死ぬところだったんだぞ?」
「死ぬ? 俺がですか?」
「さっきも話した通り、瑛子さんは裏の世界じゃちょっとした有名人なんだ。その界隈にファンも多い。おっと、勘違いするなよ。瑛子さんは、息子のお前に恥じるようなことは何一つやっちゃいねぇ。真っ当に成り上がったんだよ、あの人は」
「……あの母さんが」
「本来なら、オレなんざ声もかけられねぇほどの人だ。坊主はそんな人を殴っちまったんだ。ボコボコにな。その意味がわかるか?」
「あ……」
「そうだ。坊主は裏社会の連中に殺されてもおかしくなかったんだよ。だから瑛子さんは殴られたことを一部の人間にしか言わなかった。その一人がオレってわけさ」
「俺はとんでもないことをしたんですね……」
「人道的にも、任侠的にもな。お前が息子だからって関係ないぞ? 世の中にはそんな理屈が通用しない相手がわんさかいるんだ。困ったことに、瑛子さんのファンはそう言った連中だらけなんだ。つまり、坊主は瑛子さんに命を守られてたんだよ。慰謝料の300万ってのは、方々への口止め料や根回しに使った金だ」
これぞ衝撃の真実ってやつだ。
俺は母さんに命を救われていた。
わざわざ大金を使ってまで、クズな俺なんかを……。




