第35話 『誕生日(20才)』
※こっから第3章っす。
それでは張り切ってどうぞ。
高校を中退してから2ヶ月が経った。
佐藤沙耶と顔を会わせたくなかった俺は、居酒屋のバイトをとっくに辞めていた。
かといって、他の仕事はしていない。
もちろん、働こうとはした。
でも、働けなかった。
働く場所がなかった。
何度か行った面接は、ことごとく不採用だった。
まぁ、そうだろうな。
退学になったショックからなのか、俺は満足に食事も摂れていなかった。
鏡を見て、我ながらひでぇ顔だと思ったもんだ。
しかも高校中退ホヤホヤときた。
そんな男を誰が雇う?
俺が雇用主なら、絶対に採用しないね。
手持ちの金と、ゲームなどを売った金で、10月分までの家賃と慰謝料の支払いはできた。
そして11月30日の朝。
俺は母さんに土下座をしていた。
「お願いします……。今月分の家賃と慰謝料の支払いは待ってください……」
「待つって、具体的にいつまでかしら?」
「それは……」
「あなたが働けない理由はわかるわ。そりゃあんな目に遭えば、心が病気にもなるでしょうよ」
「じゃあ……」
「でも、だからなに?」
「え……?」
「あなたが心の病気になることと、私の生活になんの関係があるの?」
「…………」
「あなたがこの家にいられるのは家賃を払っているからなの。何度も言ってるように、私はお金が欲しいんじゃないわ。あなたを援助するのが死ぬほど嫌なだけなのよ」
「…………」
「お金を払う限り家に置いてあげるっていうのは、私の最大限の譲歩なの。だからお金を払えないあなたには出て行ってもらうわ。ちなみに警察や役所に訴えようなんて考えてるんだったら、どうぞご勝手に。ただし、あなたを刑務所に送る証拠を、山ほど握ってるってことは、忘れないでちょうだいね」
「……どうしてもダメなのか?」
「家族でもないニートを飼うほど、私はお人好しじゃないの」
そして俺は、本当に家を追い出された。
家を出た俺は、その日のうちに、電車に乗った。
誰も知り合いのいない遠い遠い街へ逃げたのだ。
∮
一つだけ、わかったことがある。
家のない奴が生きるなら、なるべく都会がいい。
理由は明白。
街が栄えていればそれだけ飲食店の数が多く、廃棄される食料も多いからだ。
働く気力もない俺は、ボランティアの配給や、残飯で生きていた。
日中は、公園のベンチや、図書館などの公共施設で、日がな一日ぼーっとしている。
夜は駅の連絡通路で、段ボールのベッドを作って眠った。
つまり、今の俺はホームレスだ。
俺のように若いホームレスは珍しいらしい。
だからなのか、市の職員やボランティアらしき奴らが現れては、
「君はまだ若いんだから」
「君には未来がある」
「立派な体を持っているんだから」
「前向きに考えなさい」
とかなんとか言ってきた。
俺はそいつらを無視した。
働くことなんて考えられなかった。
前向きな気持ちになんて、どうやったらなれる?
そもそも前向きって、なんだ?
前ってどっちだ?
どこへ向かえばいい?
ずっと前向きに生きてきた結果が、今の俺なんだ。
〝前向きな未来〟なんて糞食らえ。
俺は誰とも会話せず、ゴミを食らって、ただ生きながらえた。
生きる屍。
その頃の俺は。まさにその言葉がぴったりだった。
そんなある日の昼間。
俺はいつものように公園のベンチに座っていた。
照りつける太陽は、ジリジリと皮膚を焦がしていく。
俺の皮膚は真っ黒だ。
暑さに強くなったとはいえ、今日の日差しは強烈過ぎる。
先月拾った帽子がなければ、熱中症になっていただろう。
とはいえ、他に行く場所もない。
冷房の効いた施設は、すでに先輩ホームレスで溢れかえっている。
このまま、陽が落ちるまで、ここで耐えるしかない。
幸い、公園にはトイレも水もあるから、死ぬことはない。
しかし暑い。
拾った新聞によると、今は9月らしい。
ということは、あと2ヶ月もすれば秋がやってくる。
そうすれば気温も下がり過ごしやすくなる。
なんの気力もない俺だが、それだけは楽しみだった。
あと数時間で日没となった頃、俺の目に人姿が写った。
俺の座っている場所は、滅多に人が通らない。
そんな場所に一体何をしにきたのか。
ま、どうでもいいことだが。
その人物は女性だった。
日傘で顔は見えない。
高級そうな服からして、裕福な人なのだろう。
俺にはまったく関係のない人種ってわけだ。
ところが、女性はまっすぐにこちらへ歩いてくると、俺の前で立ち止まった。
「久しぶりね、正弘」
名前を呼ばれたのは、実に2年ぶりだった。
俺はゆっくり顔を上げた。
そこにいたのは、2年前、最後に俺の名前を呼んだ相手だった。
その女性の名は大倉瑛子――俺の母さんだ。
∮
ここは、実家から、飛行機の距離ほど離れている。
ありえない。
いるはずがない母さんが、目の前にいる。
このとき俺はこう思った。
(だからどうした)
どうでもよかった。
母さんが現れたからって、クソ暑い日差しが消えるわけでもない。
ご馳走が現れるわけでも、柔らかいベッドで眠れるってわけでもないのだ。
俺は母さんの顔を、ただぼんやりと眺めていた。
「随分見違えたわね。2年ぶりに会ったのよ? 何か言うことはないのかしら?」
「…………」
「うふふ、どうやらかなり壊れてるみたいね」
「…………」
「今日が何の日かわかる? どうせ答えないわよね。正解はあなたの誕生日よ。記念すべき20回目のね」
「…………」
「無反応ね……。つまらないわ。せっかく誕生日のサプライズで登場したのに」
「…………」
「サプライズついでに、あなたが踏み倒した慰謝料を取り立ててやろうかと思ったけど、その様子じゃ無理そうね」
「…………」
「落ちぶれたあなたを見れば、さぞ痛快だろうと思ってたわ。でも、そんなことないわね。とんだ無駄足だわ」
「…………」
「はぁ……こんなに簡単に壊れるだなんて、つまらない男ね。これじゃ私の計画が台無しだわ」
「…………」
「もういいわ……。壊れたあなたとは、二度と会うことはないでしょうね。さようなら、正弘。つまらない結末をありがとう。本当に……本当につまらないわ……本当に……本当に……」
そう言い残し、母さんは去っていった。
どうやら俺は母さんの計画とやらを台無しにしてしまったらしい。
知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしたな。
「不出来な息子でごめんなさい。ごめんなさい、母さん。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
俺はブツブツと謝り続けた。
気がつくと、日はかなり傾き、茹だるようだった暑さも和らいでいる。
ようやく地獄の時間が終わろうとしていた。
明日は今日より暑くならないといいが。




