第32話 『まさかの事態』
岡崎早苗からきたメールの通り、俺はホテルにやってきた。
ここ帝京ホテルは、いわゆる一流ホテルだ。
てっきり、どこぞのラブホテルに呼ばれるかと思っていたが。
つまり相手は、よほどの金持ちなのだろう。
正直いうと、俺は楽観視していた。
若くて童貞の俺は、有り余る性欲を発散できるのであれば、大概の女は我慢できる。
それが20歳上だろうと、余裕で抱ける。
そう思っていた。
まぁ、さすがに30以上は辛いが。
10階の1012号室。
指示された部屋の前で俺は深呼吸をした。
一応フォーマルな感じでコーディネイトしたのだが、おかしくないだろうか。
意を決し、ドアをノックする。
カチャ。
鍵を開ける音がしてドアが開いた。
――はぁ?
出てきた人物と目が合ったとき、俺は部屋を間違ったのだと本気で思った。
「君がTAKAくんだね。待っていたよ。聞いていた通り、素敵な体だ」
間違いじゃなかった。
まさかの事態だ。
俺の相手は女性ではない。
どうやら、このオッサンのようだ。
年は40代後半から50代前半。
脂ぎった顔に、薄い髪。
腹は出て、おまけに息は臭い。
硬直する俺に、オッサンは封筒を手渡した。
「金を確認できたら、中へ入ろうか?」
震える手で封筒を確認すると、中には10万の現金が入っていた。
俺は唾を飲み込んだ。
10万。
たった数時間我慢するだけで、これだけの大金が俺の手に。
それに岡崎早苗の言葉も不気味だった。
信用を潰すような真似はするな、と彼女は言った。
鈍い俺でも容易にわかる。
あれは警告であり、脅迫だ。
もしここで引き返せば、オッサンが岡崎早苗へクレームを入れることは想像に難くない。
岡崎の顔を潰した俺が、一体どんな目に遭うのか。
俺に選択肢はなかった。
ここにきた時点で、退路はすでに断たれている。
俺は心を無にして、オッサンの言葉に従った。
部屋に入ると、オッサンは酒を勧めてきた。
「今日のために用意したんだよ。78年物のル・パンだ」
オッサンは自慢げだが、この酒にどれほど価値があるか、俺にはわからない。
それに何が入ってるか、わかったものじゃない。
「すみません。お酒は全く飲めないんです」
高校生だから、とは言わなかった。
俺は20才ってことになってるからだ。
「そうか。それは残念。とても美味しいのに。だがワインに負けないくらい、君も美味しそうだね」
オッサンがペロリと唇を舐めた。
ゾワゾワ。
俺の全身が粟立つ。
「じゃあ、さっそく始めようか」
オッサンは、慣れた手つきで部屋の照明を暗くした。
窓からの街灯の光では、オッサンの姿はぼんやりとしか見えない。
――いや、違う。
――目の前にいるのはオッサンじゃない。
――絶世の美女だ。
誰がなんと言おうと美女なんだと、俺は必死に思い込んだ。
「早苗さんから聞いたんだが、TAKA君は初めてだって? 」
オッサンのしゃがれ声が、俺の努力を台無しにした。
どう考えても、目の前にいるのは、やはり汚らしいオッサンだった。
「心配することはない。全て私に任せるといい」
オッサンが俺の体を弄り始めた。
また鳥肌が立った。
だが我慢だ。
俺は目を閉じた。
俺の口に、やわらかいものが押し当てられる。
オッサンのキスだ。
信じられないほどの悪臭が鼻を突く。
最悪だ。
佐藤とのキスが極上のスイーツだとしたら、このキスは肥溜めに溜まった糞だ。
それでも俺は我慢した。
10万のため……いや、輝かしい未来のため。
俺の我慢は、そこまでだった。
オッサンが俺のズボンのベルトを外した瞬間、俺の忍耐は限界値を一気に突き破った。
「やめろっ!」
俺は、力一杯オッサンを突き飛ばして、叫んだ。
「キメェんだよ、ジジィ! 気安く俺に触んじゃねぇ!」
「な! わ、私は客だぞ! 客に対して、なんて口を利くんだ!」
「テメェの金なんざいらねぇよ!」
ポケットにしまっていた封筒をオッサンの顔に叩きつけた。
暗い中、あちこち体をぶつけながら、俺は部屋の外に逃げ出した。
我慢できなかった。
好きでもない、しかもあんな汚らしいオッサンが初めての相手なんて、到底無理な話だった。
このまま逃げよう。
岡崎早苗は、俺の名前も家も知らないはずだ。
知っているのは携帯番号だけ。
このまま逃げても、捕まることはないだろう。
電話が来ても、無視すればいい。
俺はエレベータに飛び乗って、ゴシゴシと口を拭った。
どんなに拭っても、どんなに拭っても、オッサンの臭いが残っている気がした。
最低だ。
すこぶる気分が悪い。
「くそ、くそっ! あのジジィ、ふざけやがって! ぺっ、ぺっ!」
口を拭き、唾を吐き続けているうちに、一階へ到着した。
ホテルを出て、すぐにタクシーを拾おう。
そして家に帰るんだ。
エレベーターの扉が開く。
ギョッとした。
目の前に黒いスーツの男が二名、俺を通せんぼするように立っていたのだ。
両名とも体格が良く、スーツの上からでも筋肉質なのがわかる。
そんないかつい二人が、俺を睨みつけている。
「やってくれたわね」
女の声がして、男たちが体をずらす。
そこには岡崎早苗がいた。
「は、放せ!」
俺は男たちから両腕を掴まれた。
岡崎早苗もエレベーターに乗り込み、10階のボタンを押す。
「お詫びとして、今日のサービス料はお返しすることになったわ」
「す、すみません! やっぱり無理です! 俺には無理なんです!」
「あら、ダメよ。やってもないのに、決めつけちゃ」
「ごめんなさい! すみません! 勘弁してください!」
「貴方ついてるわね。あのお客さまは、人に見られていると興奮するタチなの。だから今日はワタシたちが付いててあげるわ。失礼なことをした分、存分にサービスしてあげなさい。いえ、サービスしてもらう、の間違いかしらね、ふふふ」
「ひっ! た、助けてください! もう辞めます! 家に帰してください!」
俺の言葉を三人は無視した。
俺は引きずられるようにして、再び1012号室に入った。
「やぁ、また会ったね、TAKAくん」
明るい部屋に立つオッサンは、なんと全裸だった。
股間には巨大なものがそそり立っている。
「ひっ」
俺は言葉を失った。
あんなモノが俺の……。
「電話でお話しした通り、ワタシたちが責任を持ってサービスを完遂させていただきます。それでは存分にお楽しみくださいませ」
岡崎早苗が頭を下げた。
「クフフ、岡崎さんに見られながらなんて、興奮するなぁ」
「撮影オプションもサービスさせていただきますが、どうされますか?」
「それじゃお願いしよう。くれぐれも私の顔は映さないでくれたまえよ?」
「かしこまりました。――あら? このワインは……」
「クフフ、さすがお目が高い。そいつは78年物の――」
「ル・パンですわね。いただいても?」
「もちろんだよ。お互いじっくり楽しもうじゃないか」
それからは地獄だった。
オッサンは荒い鼻息で、俺の服を脱がせていった。
黒服に、後ろから首を押さえられた俺は、なにも抵抗できなかった。
もう一人の黒服は、カバンから取り出したビデオカメラで撮影を始めた。
屈強な男の助けもあり、オッサンが俺を好き勝手するのは、造作もないことだった。
「いやだ、いやだ、いやだっ! やめろぉっ! やめてくださいっ!」
腕を捻じ上げられて、ベッドに寝かされた俺に、オッサンがまたがる。
俺の尻に冷たいものが塗りたくられ、そして……。
「ひっ……ぐっ……う、うわぁぁぁぁっ!」
「あぁ……いいよぉ……フッ! すごくいい感じだ……フッ! TAKAくん、君は最高だ……フッ! フッ! フッ! フッ! ……」
犯され、泣き叫ぶ俺を、岡崎早苗は楽しそうに見ていた。
78年物のル・パンを飲みながら、とても楽しそうに。




