第17話 『最低だね』
「会ったのか……母さんに……?」
コクンと麗華は頷いた。
「サングラスと化粧で誤魔化してたけど、ひどい怪我だったわ。あれ、やったの、マサくんだよね?」
「…………」
「あんなに小さくて綺麗な人を……。どうして? どうして、あんなひどいことができるの? ねぇ、どうして?」
「あいつが……あいつが俺のプレゼントしたカップを割ったんだ……それでカッとなって」
「そう。マサくんのプレゼントしてくれたバッグを、あたしが壊しちゃったら、あたしも殴られちゃうんだね?」
「そんなことするもんか!」
「でも殴ったじゃない。マサくんはお母さんを」
「それは……」
「それに欲しかったバッグは、もう持ってるの」
「は?」
「古波藏くんが買ってくれたの。それもマサくんに言ったやつより、もっと欲しかったバッグなの」
「もう、どうやっても無理なのか……?」
「うん。ごめんね……」
俺は麗華の顔を見た。
ずっと見ていたつもりだった。
こんなに睫毛が長かったなんて知らなかった。
こんなに、唇が柔らかそうだなんて気づかなかった。
こんなに魅力的な女性だったなんて、今初めて気づいたのだ。
それが別の男――古波藏和道のものになるだなんて。
古波蔵見たいな底辺にキスをされて、それから抱かれるなんて……。
そう思った瞬間、俺の中の何かがプツンと切れた。
「そうか。まぁ、お前みたいな女、こっちから願い下げだがな」
「え? え? ま、マサくん?」
「結局は金だろ? お高いバッグひとつで、ホイホイ他の男に股を開くわけだ。そんな尻の軽い女、こっちから願い下げだって言ったんだよ」
バシャ。
麗華が俺の顔にジュースをぶちまけた。
俺は驚いて麗華の顔を見た。
麗華の大きく綺麗な目には、大粒の涙が浮かんでいた。
「最低だね……」
麗華はそれ以上何も言わずに立ち去った。
俺は動けなかった。
周りの目も気にならなかった。
大きな喪失感に潰されそうな気持ちを、必死に堪えていた。
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「おかえりなさい。どうしたの? 遅かったわね?」
「……ただいま。仕事はどうしたんだよ?」
リビングに入ると、母さんがいつものようにソファーに座っていた。
「まだ無理ね。のんきな学生さんと違って、この顔は商売道具なの。壊れた道具じゃ仕事にならないのよ」
「……ごめん」
「あら、今日はえらくしおらしいじゃない。でも謝らなくてもいいのよ? あなたの謝罪には何の価値もないんだから。それに、休んだ分は補償してくれるんでしょ?」
「契約書にあった300万のことか」
「それでも負けてあげてるのよ?」
「……なぁ、どうして麗華に会ったんだ?」
「その様子じゃ、麗華ちゃんに振られちゃったみたいね。ふふふ、ご愁傷さま」
「答えろよ!」
「助けてあげたかったのよ。麗華ちゃんを、あなたみたいなゴミからね」
「ゴミ……だと?」
「猿と言ったほうがいいかしら? 二言目にはヤラせろヤラせろって、なんなのあのメッセージは? 麗華ちゃんの気持ちなんて全然考えてないじゃない」
「読んだのか? メッセージを全部?」
「ええ。かなり笑わせてもらったわ」
「…………」
「あと他人を下げてマウントを取ろうとする癖は直したほうがいいわね。痛々しすぎて見てられなかったわ。もっと人の長所を見ないと、次の子も誰かに取られちゃうわよ?」
「取られ……ま、まさか……古波藏の件も母さんが……」
「その答えを教えてあげるほど、私はあなたに優しくないの」
「あいつは小学校の頃、水商売の母さんをバカにしてたんだぞ?」
「知ってるわ。でもお父さんに怒られて考えを改めたのよ。三学期には悪口も止まったでしょ? いい子ね、和道くんって。どこかの誰かさんと違ってね」
衝撃の事実だった。
たしかに小学校六年の三学期になると、急に古波藏の態度は変わった。
それは母さんが手を回していたからなのか。
「そうかよ、クソババァ……」
「ジュースを顔から飲んで気持ちが悪いでしょ? さっさとお風呂に入りなさいな。クソガキちゃん」
ジュースのことまで……。
どこまで知ってるんだ、母さんは。
言い返す気力もなく背を向けた俺に、トドメとばかりに母さんが言い放つ。
「あと、担任の佐竹先生と、久しぶりにお会いしたの。もちろん偶然よ? 先生は母子家庭で、苦労されたらしくて、今でもお母様と仲がいいそうよ。うちとは大違いね。それで、話の流れで、顔のことを聞かれたから、つい正直に話しちゃったの。そうしたら、先生ったら『母親になんてことを……』って大層お怒りになられてたけど、なにかおっしゃってたかしら?」