第16話 『別れてほしいの』
昼休み。
俺はパンを食べていた。
日曜日にスーパーで買ったものだ。
値引きの弁当は持ってこなかった。
流石にそれはかっこ悪すぎる。
弁当じゃないことを辻圭介に突っ込まれたが、ここは素直に母親と喧嘩したと説明した。
「わかる。母親って口うるさくてムカつくよな。まぁ、相手は大人なんだし、何日かしたら向こうから謝ってくるさ」
圭介は知らないのだ。
母さんが謝ってくることはない。
母さんは一度決めたことを絶対に曲げはしない。
「ハハハ、そうだな」
そんなこと、圭介に言っても仕方ないので、適当に話を流した。
ただし〝母親がムカつく〟ってところだけは同感だ。
ふと斜め後ろを見た。
佐藤沙那が一人で弁当を食べていた。
こいつの弁当はやけに美味そうだった。
底辺のくせに生意気な女だ。
食事を終え、隣のクラスへ行った。
目当ての人物を、すぐに見つけた。
麗華の美貌は、やはり際立っている。
俺は周りのやつに見せつけるようにして、麗華に話しかけた。
「よぉ、RINEの返事ができなくて悪かったな。それが携帯を壊されちまってさ。それで……」
「ねぇ、今は忙しいから、話は放課後じゃダメかな?」
麗華は、なぜかそっけない態度だった。
しかし無理もない。
なにせ、ずっと連絡が取れなかったのだ。
放課後にハンバーガーでも奢って謝ろう。
「……そうか。じゃあ放課後な」
そう言って自分の教室へ戻ろうする。
ゾクッと悪寒がした。
振り返る。
ある男が俺をジッと見つめている。
古い知り合いだ。
その男の名は、古波蔵和道。
俺と小学校が同じで、俺をイジメていた奴だ。
別の中学へ行った古波蔵と俺は、高校の入学式で再会した。
まさか高校が一緒になるとは思わなかった。
古波蔵が俺に話しかけてくることはなかった。
大方、体が大きくなった俺にビビっているのだろう。
話しかけられたところで、どうということもない。
俺のステータスは奴より高いからな。
成績だって俺のほうが上だ。
最高の彼女だっている。
古波蔵の長所といえば、親が金持ちってところだけだ。
古波藏自身は、すべてにおいて俺よりレベルの低い人間だ。
そんなやつが、ニヤニヤと俺を見つめている。
以前の俺なら、すぐに突っかかって行っただろう。
だが、今の俺は慎重になっていた。
母さんのせいだ。
まぁ、相手が何かしてくるなら容赦はしない。
どんな勝負でも、俺が古波蔵に負けるはずがない。
そう思っていた。
∮
「……別れてほしいの」
開口一番、麗華は言った。
「は!? ど、どういうことだよ!」
俺は立ち上がり、ハンバーガショップ中に響き渡るほどの大声を上げた。
雑然としていた店内が静まり返る。
「ちょっと、止めてよ。恥ずかしいでしょ」
麗華が顔を真赤にして囁いた。
ハッなった俺は、周囲の視線に気づいた。
熱くなった顔を下に向けて、腰をおろした。
しばらくすると、店内はガヤガヤと平常の状態に戻る。
「別れるってどういうことだよ?」
務めて冷静に俺は訊ねた。
「……好きな人ができたの」
「は? なんだよ、それ!?」
「ちょ……声が大きいってば」
「す、すまん……誰なんだ、そいつは? 俺の知ってる奴なのか?」
「うん……同じクラスの……古波蔵くん……」
俺はドン底に突き落とされたような気分になった。
彼女を取られた?
しかもあんな低レベルな男に?
バカな!
そんなの認められるか!
「先週、マサくんと連絡が取れなくなったじゃない? そうしたら古波蔵くんから、なんかRINEが届いて、それでメッセしてたら、なんか盛り上がっちゃって、それで日曜日に遊びに行ったの」
「な、なんであんなやつと……」
すると麗華の眉がピクリと動いた。
「あんなやつ? マサくんは古波藏くんのことを、どれだけ知ってるっていうの?」
「で、でも、俺のほうが、あいつなんかより……」
「確かに、マサくんのほうが勉強もできて、運動も得意でしょうね。でも、だからなに?」
「なにって……」
「ねぇ、マサくん。どうしてマサくんは、あたしと付き合ったの?」
「そ、それは、お前が好きだから……」
麗華が目を閉じ、首を横に振った。
「嘘よ。マサくんは、あたしを連れている自分が好きなだけ」
「は? お前、何言って……」
「デートの時、マサくんはあたしを見てくれた?」
大きな目で俺をじっと見つめる
まるで心を見透かされているようだ。
「あ、当たり前だろ!」
「嘘。いつも周りを気にして、あたしのことなんか見てくれやしなかったわ」
「そんなことない! 俺はいつもお前のことを……」
「わたしが髪を切ったときに気づいてくれた? 新しい髪飾りをつけていったときに褒めてくれた?」
「そ、それは……」
「古波藏くんは気づいてくれたわ。デートのときも、ずっとずっとあたしを見てくれた」
俺は麗華から目を逸らした。
俺が麗華の変化を誉めるのは、いつも麗華の自己申告の後だった。
言われてみると、俺から麗華の変化に気づいたことなんて一度もなかった。
でも、だからといって、諦められるか!
ようやく、あと少しでヤレるってところまで来たんだぞ!
「そ、そうだ! お前の欲しがっていたバッグを買ってやるよ! だから、もう一度チャンスをくれないか!」
「だからヤラせろって?」
ドキッとした。
またしても心を読まれた気がした。
「そ、そんなこと言ってないだろ!」
「……あたしだって、ずっと付き合ってたマサくんに悪いと思ってたのよ。だから少し意地悪な条件をつけちゃったけど、初めてをマサくんにあげようって思ったの」
「なら、どうして?」
「ある人から怒られたの。同情で初めてをあげるなんてしちゃダメだって。絶対後悔するからって」
「ある人?」
「マサくんのお母さんだよ」
脳みそを直接ぶん殴られたような衝撃を受けた。
ここでも、また母さんなのか。