第1話 『サプライズ』
取り返しのつかないことなど何もない。
どこかの偉い人だかが、そう言った。
だが、そんなの嘘っぱちだ。
取り返しのつかないことはある。
間違いない。
実際に俺は、17才のときに、身を持って思い知った。
どんなに反省しても無駄だ。
どんなに償いをしようとも挽回などできない。
どんな天国に住んでいようとも関係ない。
その瞬間に、地獄へ真っ逆さまだ。
そして恐ろしいことに、その取り返しのつかないことってのは、大層なことであるとは限らないのだ。
ほんの些細なことだったりするから、たちが悪い。
たとえば、そう。
それがコーヒーカップを壊すことだったり。
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俺の母さん――大倉瑛子は、よくおいしそうにコーヒーを飲んでいた。
ただコーヒーを飲んでいるだけなのに、とても幸せそうに見えた。
俺は、そんな母を見るのが大好きだった。
母さんはコーヒーを飲む時に、決まって同じカップを使っていた。
父からのプレゼントだ。
最初の結婚記念日に父から貰ったもの。
それがそのコーヒーカップだった。
もっといいものを貰えばよかったのに。
そう俺は言ったことがある。
「その時は、コーヒーカップを欲しかったのよ」
母さんはこう答えた。
恐らく結婚したばかりで、お金がなかったのだろう。
母のお腹の中に俺がいたってのも、お金がないことに拍車をかけた。
だから遠慮したのだ。
母さんは敢えて安いものをねだった。
優しく聡明な母さんらしい配慮だ。
その安物が、結果的にどんなプレゼントよりもお気に入りになっているのは、どういう理屈なのか。
きっとその理由は母さんにしかわからない。
俺は父さんのことを覚えていない。
俺が三才の頃に、病気で亡くなったからだ。
それからは母さん一人で俺を育ててくれた。
三つ子の魂百までというのは、どうも嘘らしい。
なにせ、三才の頃のことなど、かけらも覚えていないのだから。
父さんの写真はいくつかあった。
だが、それを何枚見てもピンとこない。
普通のお兄さんって感じだ。
どうやら俺は母親似らしい。
父親似に育っていれば違う未来になっていたのかも……。
まぁ、今更そんなこといっても仕方ない。
勘違いしないでほしいのだが、
俺は母子家庭だからといって、貧乏だったわけじゃない。
小さい頃は賃貸だが、人並みのマンションに住んでいた。
中学に上がると、一軒家に引っ越した。
食事だって、栄養バランスのいいものをお腹いっぱい食べていた。
それに誕生日には、いつも欲しい物をくれた。
だが、そのプレゼントが曲者だった。
いつもなにかしら仕掛けがあるのだ。
ここで心温まるエピソードをひとつ紹介しよう。
小学校二年の頃、俺は最新のゲームが欲しかった。
誕生日前には、露骨にアピールした。
テレビでCMが流れるたびに、いいなぁ、とか、欲しいなぁ、とか。
これだけ言えば、どんなに鈍感な人間でもピンとくるはずだ。
下準備は完璧だった。
そして迎えた誕生日当日――9月9日。
目覚めると、枕元に大きなプレゼントの箱。
俺は飛び起きた。
急いで包装紙を乱暴に開ける。
この大きさからして、きっと欲しかったゲーム機だ。
だが、破った包装紙の隙間に見えたのは、明らかに別のものだった。
ただの超合金の玩具――その外箱だった。
がっかりした。
あんなに必死にアピールしたのに、母さんには伝わらなかったのだ。
……まぁいいか。超合金も悪くないや。
俺は無理やり自分を納得させた。
仕方なく箱を開ける。
すると、箱の中身は、なんと俺の欲しかったゲーム機だった。
そのとき、母さんが俺の部屋に飛び込んできた。
そして、いたずらっぽい笑顔で、こう言ったのだ。
『サプラーイズ!』