2-09 キャッチアンドリリース
ガサガサと目の前の茂みが揺れる。
それに反応したセフィは剣を抜き、レオンはいつでもインベントリを展開できるように身構える。
そうした緊張感で包まれた状況の中、茂みの中から姿を現したのは見覚えのある茶色い毛玉であった。
レオンの幼少期のライバルにしてタンパク源、通り魔ウサギという別名もあるはた迷惑な魔物ハンマーラビット。
相変わらず野生のくせに探知能力が低いのか、レオンたちを見て愕然とした表情を浮かべていた。
しかし切り替えが早いのもこの魔物の特徴、その目が赤く光るとスッと細まった。
そして次の瞬間……
一気に跳びだして頭突きを繰り出したハンマーラビットであったが、それをセフィがあっさりとキャッチしてしまった。
「あいたたた……。駄目ですよ、急に人に跳び掛かっちゃ。相手が怖い人だと斬られちゃうこともありますからね」
そういってハンマーラビットをそっと下に降ろすセフィ。
するとハンマーラビットは受け止められた衝撃から立ち直れなかったのかしばらくそのまま硬直していたのだが、突然ハッとした表情を浮かべて再起動を果たすと、そのまま前方へと走り去って行った。
「……………………」
レオンはそれをなんとなく釈然としない気持ちで見送った。
少年時代に命懸け……といえば言い過ぎかもしれないが、レオンとしては結構本気で死闘を繰り広げた相手ハンマーラビット。
その中でも食らえばただでは済まないと思っていた突進頭突き攻撃を、セフィはさも当たり前のように片手でキャッチしてしまい、ちょっと痛かった程度で済ませてしまった。
もちろん状況が違うことは分かっている。
当時のレオンはただの子供であったのに対し、セフィは幼少期から訓練を受けて来た成人で戦闘系ギフト持ち、才能も技量も雲泥の差であろうし、そもそも強化も含めた身体能力が圧倒的に違う。
だから当然といえば当然の結果であったのだが、あまりにも自分と違い過ぎるハンマーラビットとの初戦に、天賦の差というものを見せつけられた気分であった。
走り去って行くハンマーラビットを何とも言えない表情で見送っていたレオンであったが、そこにセフィから声がかかった。
「びっくりしましたねー。ダンジョンだとあんな小動物でも襲ってくることがあるんですね。レオンさん、あの動物のこと知っていますか?」
「…………うん、一応知っているかな」
思わず言葉に詰まってしまったレオンであったがなんとか返事を返す。
だがさすがにこのままにしておくのはまずいのでちゃんと説明することにした。
「でもセフィ、ただの小動物はあんな凶悪な頭突きはしてこないよ」
「えっ?でも…………。もしかして……あれって魔物なんですか?」
「うん、ハンマーラビットっていう名前のれっきとした魔物だよ」
「そうなんですか!すみません、私てっきり動物だと思って逃がしてしまいました」
「それは知らなかったんだし仕方ないよ。10等級でしかも最弱と言われる部類の魔物だからね」
「でも……すみません、次からはきっちり倒しますね」
そう言って決意に満ちた表情を見せるセフィを見てレオンは少しホッとした。
ハンマーラビットをあのように逃がしたことから、もしかしたら殺せないと言い出すのではないかと心配していたのだ。
だが彼女の様子を見るに、魔物だと聞くときっちり切り替えてくれたようなのでそれはレオンの杞憂に終わったようだ。
事実、この後彼女と遭遇したハンマーラビットは優しい手のひらではなく剣の先端で受け止められることなり、レオンのインベントリの中に収納されることとなった。
むしろこの時はレオンの方が動揺していた。
なぜなら新たに現れたハンマーラビットと、先ほど逃がしたハンマーラビットの毛並みが似ているように見えたからだ。
セフィを見た時の動揺具合も先ほどより大きかったように見えたし、突撃の勢いもこころなし弱かった。
ただそれは気のせいだ。
逃がしてもらったハンマーラビットは今もたくましく生きているに違いない。
レオンはそう思うことにして、このことは心の奥底にそっとしまっておくことにした。
ちなみにセフィばかり戦っているように見えるが、別にレオンはさぼっているわけではない。
単純にセフィが前衛、レオンが後衛という役割上セフィが先に接敵して、レオンが手を出す前に倒してしまっているというだけの話であった。
それにセフィは魔物との戦闘経験が少ないとのことであったので、経験を積ませたいという事情もあった。
そのためレオンは戦闘をセフィに任せ、採取に力を入れることにしたのだ。
とはいえ実際にこの平原エリアで採れる調合の素材は、まばらにしか生えていないキュアリーフと言われるポーションの材料だけだったので、取れ高はあまりなかった。
他にも薬の材料や食用となる植物なども生えているそうなのだが、それらはレオンの専門外なので知識がなく採取していなかった。
今後はそういったものも勉強していこうとは思っているが、少なくともこのエリアにあるものはさほど金にもならないとのことなのであまり採取することもないだろう。
それにレオンは採取と並行して別の作業も行う必要がある。
それは調合の素材探しだ。
ゴーレムの核やスライムゼリーを見つけたように、まだ知られていない調合の素材というのは、いくらでもあるはずだとレオンは思っている。
実際ベギシュタットで暮らす数年のうちにいくつか見つけていた。
だからこのダンジョンの中でもレオンは常に新しい素材を探し続けていた。初めて見るものを見つけては、手を触れて調合の魔力を流し込むという作業を繰り返していたのだ。
もちろんそのことはあらかじめセフィに伝えてある。
だがそんなレオンを見守るセフィの視線は妙に生暖かった。
あっちこっちに座り込んで新しい物を見つけては手を触れるというレオンの行動。それは傍から見ると、まるで道草をする好奇心旺盛な子供のようであった。
決して不審者に見えたわけではない。
そんなこんなで狩りと採取を続けていたレオンとセフィであったが、探索者たちの通る道からかなり離れたところで、ついに別の魔物と遭遇することとなった。
しかも相手はこの平原エリアで最も厄介だと言われている魔物、グラスハウンドであった。
その名の通り草原に現れる猟犬のような魔物で、体長は1メートル前後。
緑色の毛並みをしており気配を消すのも上手いので、草原に潜んでいると非常に見つけづらく接近を許しやすい。また集団で狩りをするという点も厄介で、襲ってくる時は少なくとも3匹、多いときは10匹以上で現れると言われている。
だがその反面あまり賢い魔物ともいえず、せっかく集団で襲って来てもあまり連携の取れた動きはして来ない。
獲物を目前にすると奪い合うかのように我先にと跳びかかってくるらしい。
今回レオンたちの前に現れたグラスハウンドは5匹、最少ではないがまだマシな部類であった。
だがレオンには少し心配なことがあった。
このグラスハウンドにはある習性があるからだ。
『グルメドッグ』
それがこのグラスハウンドの習性を表す別名である。
実はこのグラスハウンド、肉食ではあるのだがかなり好みにうるさく、なんと霜降り肉を好んで食すと言うのだ。
レオンもこれを聞いた時はさすがに冗談だと思ったのだがおおむね事実であるらしい。ただし実際のところ彼らが好むのは、霜降り肉ではなく脂肪分そのものらしい。
つまり男性より体脂肪率の高い女性が狙われやすく、鎧の上からでも脂肪分の多い箇所を的確に見抜いて食らいつこうとする。
ちなみに探索者たちはこの魔物のことを『グラスハウンド』とも『グルメドッグ』とも呼ばない。
ただ『エロ犬』と呼ばれている。
現れたグラスハウンドたちは一斉にセフィの胸元へと跳びかかっていった。