2-01 新たな扉
迷宮都市ベギシュタット、昼下がりの城門前広場。
到着した乗合馬車から乗客たちが次々と吐き出されていく。
その中に一組の男女がいた。
「うわぁ……凄い活気ですね」
キョロキョロと興味深そうに辺りを見回しながら歓声を上げる若い女セフィ。
彼女はとある貴族家出身の令嬢だが、その身分を捨てて探索者になるためにこの迷宮都市ベギシュタットにやって来た。
「そうだね、この街はいつ来てもこんな感じかな」
それに身体を伸ばしながら応えたのは貧乏商家出身のレオンシオ・トーレス、通称レオン。
彼も商人の身分を捨てて探索者になる予定である。
もっともレオンの場合はセフィと違い、何度もこのベギシュタットを訪れているし、探索者紛いの活動も既に繰り返し行っている。
「それでセフィ、本当に俺の使っている宿でよかったの?」
「はい、せっかくパーティーを組むんですし同じところに泊まった方がよいかと。それにずっと使っているということはレオンさんは気に入っているんですよね?」
二人はこの都市にくる途中で初めて出会ったのだが、道中で盗賊に襲われて共闘したことにより信頼関係が生まれ、今後も一緒に活動することで意見が一致していた。
「まあ確かに部屋は清潔に保たれているし店主さんたち夫婦もとてもいい人たちだからね。ただちょっと変わった料理を提供する店でもあるから、変な目で見られる可能性があるからなぁ……」
「確か……迷宮料理でしたっけ?確かに変わった料理という印象はありますが私は問題ありませんよ。ちょっと興味もありますし……」
レオンが定宿としている『笑う白熊亭』は宿としては文句のつけようもない優良店なのだが、迷宮料理というマニアックな料理を提供しているため敬遠される場合もある。
実際のところ材料の希少性から比較的高価な料理を提供しており、富裕層にコアなファンを持つこだわりの店といった風情なのであるが、その料理名の印象からゲテモノ料理だと思っている人も多い。
そのためレオンが宿の名前を言うと変な顔をされることがあったのだ。だからセフィにも確認したのだが彼女は特に問題ないようであった。
そのまま二人で迷宮料理について話していると、同じ馬車から降りて来た人物が二人に声をかけてきた。
レオンたちが振り返ると、そこには中年の男性と外套のフードを目深にかぶった小柄な人物が立っていた。
中年男性の方は地方で商会を営む商人のエド、フードを目深に被った人物の方は獣人の探索者サミアであった。
この二人も盗賊の襲撃を受けた際に馬車に同乗していた人物で、一緒に危機を切り抜けたことで仲間意識が芽生え、ここまでの旅程でよく話すようになっていた。
どうやら二人とはここでお別れのようで、挨拶をするためにわざわざ声をかけて来てくれたようであった。
そのまま4人で少し雑談をして、いよいよお別れとなったタイミングで、唐突にエドが改まった様子を見せるとレオンたちに対して深々と頭を下げた。
「レオン殿、セフィさん、サミア殿、命を救っていただき本当にありがとうございました。改めてお礼を言わせてください」
「いや、私は自分の仕事をしただけだ」
「そうですね、私も自分の身を守っただけですし……」
「ええ、もう十分にお礼を言っていただきましたしお気になさらず。それよりフェリクスさんによろしくお伝えください」
「はい、その件もありがとうございます。セフィさん、サミア殿もお元気で。探索者頑張ってください」
「ああ、そちらこそお気をつけて」
「エドさん、こちらこそ色々教えていただきありがとうございました。エドさんもお元気で」
挨拶を済ますとエドはもう一度深々と頭を下げてから街の中心部へと去って行った。
盗賊に襲われた時、戦闘能力を持たないエドは何もできずに、撃退に成功したレオンたちに命を救われる形となった。そのため道中では何度も感謝言葉をかけられたのだが、別れ際に改めてもう一度きちんとお礼をいいたかったようだ。
そんな人柄であったため、レオンも取引先を探しているというエドに知り合いの商会であるグレッツナー商会を勧めておいた。
さすがに紹介状などは書いてないが、自分の名前は出していいと伝えてあるので門前払いはされないだろう。
レオンが去っていくエドの後ろ姿を眺めながらエールを送っていると、今度はサミアが声をかけて来た。
「レオン、セフィ。私もこのままギルドに報告に向かうからここで失礼する」
「はい、俺たちも明日登録しにいくのでナターリエさんによろしくお伝えください」
「ああ、わかった」
初対面の時はただの探索者と名乗っていたサミアであったのだが、実のところ彼女は探索者ギルドの警備部に所属している非常勤の職員でもあった。
今回馬車に乗っていたのもその業務の一環で、行方不明者の出ていた街道の調査に来ていたそうだ。
そしてどうやらその行方不明者の原因が、今回討伐した盗賊たちであったようだ。
たださすがにあれほどの戦力を有していたのは想定外であったようで、単独だと危なかったと後で感謝された。
その時に自分が獣人であることも改めて明かしてくれたのであるが、それに対して大きな反応を見せたのがセフィであった。どうやら彼女は獣人を初めて見たようでかなり興味津々な様子であった。
実際、最も多様な人々が集まっていると言われているベギシュタットでも獣人は珍しく、レオンも数えるほどしか見たことがなかった。
彼らは基本的にもっと南方の国々に住んでおり、このベギシュタットに住んでいるのはほんの一部だ。
それに特に差別対象とされているわけではないが、絡んでくる輩が多いことも事実であるため、特徴的な耳と尻尾を隠していることが多いのであった。
しかしそんな事情は、セフィには関係なかった。
「サミアさん、こちら本当にありがとうございました。また耳と尻尾触らせてくだいね!」
そう言って満面の笑みを浮かべるセフィに思わず一歩下がったサミアは、恨めしそうにレオンを見る。
その視線を受けてレオンはサッと目を逸らした。
というのもレオンが余計なアドバイスをしたせいで、彼女が矜持を保つのに苦労する事態となってしまったからだ。
きっかけはサミアが獣人であることを明かしてフードを取り、頭に生えた犬っぽい耳を見せてくれた時、セフィが耳を触らせてほしいとサミアにお願いしたことであった。
実際のところあまり褒められた行為ではなかったのだが、セフィに悪意がなく、むしろサミアに親愛の情を抱いているからこそのお願いであることはサミアも分かっていた。
だから少しだけならばとサミアは許可を出した。
そして許可をもらったセフィが恐る恐るといった感じでサミアの耳に触れているのを見た時、レオンの脳裏にふとある言葉が浮かんだのであった。
『目指せゴッドハンド!愛犬をメロメロにする撫で方12選』
恐らくは本のタイトルなのであろう。
レオンには前世の……日本人としての記憶がある。もっとも自分の名前や思い出などのエピソード記憶はほとんど残っていなかったのだが、セフィがサミアの耳を触るシーンを見てこのタイトルがふと頭に浮かんできたのであった。
どうやらレオンの前世は相当な愛犬家であったようだ。
だからだろうか。
セフィの触り方がどうにももどかしく感じてしまい、思わずアドバイスしてしまったのだ、正しい撫で方というものを……。
その結果、サミアは大いに取り乱すこととなった。
だが辛うじて人としての尊厳を守り、クールな探索者としての矜持は守りきった……と本人は思っている。
しかしそれには相当な忍耐力を要したようで、ことあるごとにレオンのことを恨めしそうに見る様になってしまったのであった。
目を合わせようとしないレオンにサミアは軽くため息を吐く。
そしてセフィに「そのうちね」と返事を返してからギルドへと去って行った。
こころなし速足で去っていくサミアを眺めながらレオンは心の中で軽く謝ると、同じくサミアを見送っていたセフィに声をかける。
「それじゃあ俺たちも行こうか」
「はい!」
こうしてレオンたちは新しい第一歩を踏み出したのであった。