1-55 三人の客人
(危なかったな……)
レオンは表には出さないようにしながらも安堵に胸を撫でおろした。
本来の残りの借金は400万リールに満たない額のはずであった。
しかし何があるかわからないということで、念のため全額にあたる1000万リールを用意していた。それが今回は功を奏した形であった。
ベギシュタットの商人たちと話し合って色々な可能性を想定はしていたのだが、さすがに商家の生まれである父親が一切証書などを受け取っていないなどとは予想できなかった。
(本当に保険をかけておいてよかったけど……金貨1000枚かぁ。損をしたって言うよりあいつらにみすみす利益を与えてしまったっていうのが腹立つな。それにしてもあの親父は……いや、俺たちを逃がさないようにここまで用意周到だったバシリオがおかしいのか?)
息子のテオバルトだけを見て相手を舐めないようにレオンは心掛けて来た。
息子は威張り散らすだけの無能だったが父親のバシリオは違う。そもそもレオンの祖父を陥れてトーレス商会を衰退させたのもバシリオなのだ。
だからレオンたちトーレス商会を逃がさないように何かしら手を打っている可能性は考えていたし、警戒もしていた。
だがさすがにここまで用意周到だとは思っていなかった。
そのせいで結局金貨1000枚をむしり取られることになってしまった。
もっともテオバルトは間違いなく処刑されるだろうし、レオンはこの町から解放される。損失は大きいが目的は十分に果たせたといえるだろう。
(それに……どちらにせよムゼッティ商会は衰退していくはずだ)
レオンはそう自分に言い聞かせて気持ちを切り替えると、呆然とするバシリオに向き直りこの茶番をさっさと終わらせることにした。
「何をしているのですか?さっさとその袋の中身を確認して証書を出してくれませんか?」
レオンに言われたバシリオはハッとして顔を上げる。
「ま、待て。今ここでこんな金額を渡されても困る。それに今は証書も持って来ていない」
「今すぐこの場で返せと言ったのはあなただ。そんな理屈は通用しない。手元にないならさっさと取りに行かせてください」
「待て、違う。金額が……」
「金額が間違っていたとは言わせませんよ。あなたはこの場で金貨1000枚だと宣言したのだ。それこそ証書もないのでしょう?」
「そんなものはただ貴様に乗せられて適当に言っただけのことだ!無効だ。文句があるなら訴え出るがいい。誰も貴様のためになんか証言はせん。それに証書がなくても……おい、サンチョ!いるんだろ、出てこい!」
さすがに分が悪いと思ったのか慌てた様子で言い訳をしたバシリオは、会話を無理矢理終わらせるかのように大声でレオンの父、サンチョに向かって呼びかける。
すると衛兵たちと何人かの人間が集まっていた場所から、オドオドとした様子でサンチョが姿を現した。
それを見たバシリオは威嚇するように大声を張り上げながら彼の元へと詰め寄って行った。
「おい、サンチョ!お前の息子への教育はどうなんっているんだ!!おまえがちゃんと教育しておかないから調子に乗ってこんなバカなことをするんだろ!わかっているのか!!」
「ヒッ……す、すみませんバシリオ様」
詰め寄られたサンチョは怒り心頭なバシリオの様子に怯えて目を反らし、条件反射的に謝罪の言葉を口にする。
「わかっているのならさっさとお前の息子に馬鹿な真似はやめさせろ!それからあれだ。おまえには確か……商会の運転資金として新たに金貨1000枚貸していたよな」
「は?え、いや……」
「ワシは貸していたよなって確認しているんだぞ!そうだよな!」
「いえ、その……」
さらに大声を上げて威嚇するバシリオに完全に縮こまってしまったサンチョ。しばらく逡巡するも結局勢いに負け、いつものように無条件で肯定しそうになる。
しかし……
「サンチョ殿」
それをとどめるかのように後ろから声をかける者がいた。
「サンチョ殿、先ほど話し合ったことをお忘れか?レオン殿の邪魔をしてはいけませんよ。それにもはやその者を恐れる必要もないのですぞ」
そこに現れたのはレオンの家にいた3人の客人のうち一人、比較的高齢で温和な雰囲気の男であった。その男について来たのか残りの二人の客人もその後ろに立って様子を窺っていた。
一方、邪魔をされたうえに恐れる必要もないとまで言われたバシリオ。彼は苛立たし気に舌打ちをするとその男に向かって高圧的に声を張り上げた。
「おい、どこの誰か知らんが余計な口出しはするな!おまえがどれほど偉いか知らんがこれはこの町の問題だ!用が済めば去っていく余所者がいちいち嘴を突っ込むな!わしは今サンチョと話しているんだ!」
そう怒鳴りつけたバシリオであったのだが男の方は一向に気にした様子がない。それどころか笑みすら浮かべてサンチョを促す。
「ほら、サンチョ殿」
「は、はい。私は……私はそんな借金しりません」
「なっ!?」
言いなりであったはずのサンチョが、バシリオの思惑を裏切り借金の存在を否定した。
そのことにバシリオは驚きに絶句するが、すぐに激高してサンチョに詰め寄ろうとする。
しかしそれを遮るようにして先ほどの男が間に割って入った。
「おっといけませんな。大声で脅して証言を強要するのはよくありませんよ」
「どけ!貴様には関係ない。そもそも貴様は誰だ!しゃしゃり出て来るな!」
「これは失礼しました。確かあなたはバシリオ殿でしたかな?私は迷宮都市ベギシュタットで商会を営ませて頂いているフェリクス・グレッツナーと申します。以後お見知りおきを」
「なっ…………」
迷宮都市ベギシュタットのグレッツナー商会。
それはこんな地方都市に住むバシリオですら聞いたことのある世界でも五指に入る規模を誇る商会の名前であった。
絶句するバシリオに対してフェリクスは続ける。
「それでこの町には関係ない私は引っ込んでおけとのことですが……それは確かにごもっともですな。ですから代わりと言ってはなんですが、今回の件とこの町の今後に関わりのあるこちらのお二人を紹介させて頂きましょう」
「何!?」
「こちらは公都マルトローナで商会を営んでいるレイナルド・サルガード殿。それからこちらは同じく公都のお役人で内務省にお勤めのパブロ・コルティス男爵です」
「サルガード商会に……コルティス男爵……さま?どうしてこんなところに……」
残りの二人もどこかの商人だと思っていたバシリオは、さらに予想外な名前の登場に上手く思考が追い付かなかった。
まずはこの国、メンブラート公国の貴族であるパブロ・コルティス男爵。
神経質そうな3~40代の男。
こんなあばら家ともいえるトーレス商会に貴族がいるとは信じられなかったが、この国で貴族を詐称すれば即座に死罪だ。こんな衛兵たちに囲まれた中でそんな嘘をつくとも思えなかった。
そういえば先日、領主の館に中央から貴族が訪ねて来ていたと聞いた。
その貴族というのが恐らくこの男なのであろうが、それがなぜ今トーレス商会にいるのか意味がわからなかった。
だがバシリオがそれよりももっと驚いたのが、レイナルド・サルガードの名前であった。
見かけは30歳前後の優男。顔立ちは非常に整っている。
サルガード商会。
それはこのメンブラート公国において最も名の知れた商会の名前である。
その理由としてはもちろん国内最大級を誇るその規模の大きさにもある。
しかしそれよりもこの商会の名を知らしめたのが、商会長であるこのレイナルド・サルガードという男であった。
なぜなら彼は貴族の庶子、しかもこの国の筆頭ともいえる有力貴族であるベルグラーノ侯爵家出身の人間であったからだ。そんな彼が商会長に就任したことで一躍話題になったのであった。
元々彼の母親はこのサルガード商会の娘であったのだが、先代のベルグラーノ侯爵に見初められ彼の妾となった。
そんな二人の間に生まれたレイナルドはベルグラーノ侯爵家で貴族の息子として育てられたため、侯爵家の継承権は持たなかったものの大貴族家の人間として生きていくことになるはずであった。
しかし母親の生家であるサルガード商会の跡取りが事故で急死してしまい後継に困っていたこと知ると、彼は自ら望んで貴族としての身分を捨てサルガード商会の後継へと収まったのであった。
そのため今、目の前にいるレイナルド自身の身分は平民とはなっているのだが、父親は前ベルグラーノ侯爵、兄は現ベルグラーノ侯爵ということになる。
しかもその兄や父との仲は非常に良好で、レイナルド自身の顔も広い。
つまりサルガード商会はこの国の貴族たちと最も結びつきの強い商会といっても過言ではなかった。
そしてそれは貴族の権威を利用して強権を振るってきたバシリオにとって、最も警戒を要する相手でもあった。