1-49 帰りを待つ父
無事プレージオの城門を抜け、少し歩いたところでカレンが唐突にレオンへと声をかけた。
「レオン……門で話しているとき少し殺気が漏れてた」
そう言われてレオンは驚いたようにカレンを見る。そんな自覚は全くなかったからだ。
「……そうですか。全く気付いていませんでした、すみません。ムゼッティ商会に報告に行った兵士を見てあいつらは相変わらず好き勝手やってるんだなって思ったんで、その時に少し熱くなってしまったんでしょうね」
「そう……気持ちは分かる。でも本番で殺気が漏れると警戒されるかもしれないから気をつけて」
「そうですよね、変に気合を入れると感情が表に出ちゃいそうなんで本番では役割に徹することだけを意識することにします」
「うん、それがいいと思う。狩りと一緒。狩りの最中は相手を見て冷静に対処することだけに集中する。喜んだり悔んだり……感情を出すのは狩りが終わってから」
「はい、ありがとうございます。そうですね……あいつらはフォレストエイプだと思って対処することにします。少し似てるような気もしますし……」
「それは見るのが少し楽しみ……でも相手はしたくないかな。まかせた」
「それはちょっと酷くないですか?でも……承りました」
カレンの率直な感想に軽く笑ったあと、レオンは先ほどの自分を顧みて小さく息を吐いた。
どうやら自分は自分で思っていたよりムゼッティ商会に対して怒りを感じていたようだ。
なるべく相手にしないように心掛けていたし、会っても適当にあしらっていたつもりではあったのだが、やはり心の底では溜まっていたものがあったのだろう。
普段の言動や見下した態度はもちろん、何より母が過労で倒れた原因を作ったのが彼らなのだ。
ムゼッティ商会が言いがかりをつけて理不尽な借金を負わせなければトーレス家がこんな苦労をすることはなかったのだし、インベントリを持つ父親サンチョの出国を禁止したりしなければ母が無理をして仕入れに行く必要もなかった。
しかも一方的にサンチョの出国を禁止したにもかかわらず、ムゼッティ商会の仕入れの際には国外であっても平気で同行させていたようなのである。
そういった意味では完全にムゼッティ商会の部下に成り下がってしまっているサンチョに対しても思うところはあるのだが、彼は別に悪意があるというわけではない。
ただ単に弱い人間であるというだけの話だ。だからそのことに対して苛立ちや失望は感じても怒りを覚えるということはない。
だがムゼッティ商会の連中は違う。彼らはレオンたちトーレス家に対して明らか悪意をもって接しているし、虐げることに喜びを感じている。その結果、母が倒れたのだからレオンが怒りを覚えるのも当然といえる。
とはいえ今回の計画を成功させるにはカレンのいう通り、感情を抑える必要があるのも確かだ。
レオンは心を静めることを心掛けながら家路を急いだ。
商会とは名ばかりのみすぼらしい一軒家。
その扉を開けて一人の男が中へと入っていった。
男の名はサンチョ、トーレス家の現当主にしてレオンの父親。
彼は自宅に帰りつくと居間のテーブルに据えられた古びた椅子に身体をもたせ掛け、深々とため息を吐いた。
最近ムゼッティ商会の息子、テオバルトからの風当たりがきつい。そのせいで今日もさんざんに怒鳴られたうえにこき使われた。
理由は分かっている。
半年ほど前から流れ始めたあの噂のせいだ。
『レオンが新進気鋭の商人に近づき商機を掴みかけているかもしれない』
それはサンチョにとって何の信憑性もない迷惑な噂であった。
そもそもあのレオンがそんな大それたことを出来るはずがない。
先代……つまりサンチョの父親に気に入られ、よその街から嫁いできた気の強い女ルシア。その妻と間で義務的に作った子供、それがレオンであった。
自分には懐かずいつもルシアにべったりだった大人しい息子。
それがルシアの死をきっかけに変わった。
自分に似て気が弱くいつもオドオドしていたのだが、急に大人びた態度をとるようになり、話すときもこちらを見透かすような目を向けて来るようになった。
そしてそのうちこちらがポーションの納品を催促しても、ただ無表情に「わかった」と返してくるだけなり、サンチョの前では一切の感情を見せることをしなくなってしまった。
だがあの目だけは見覚えがあった。
父がよく自分に向けていた目……それは自分に対する失望を隠そうとする目であった。
言いたいことは分かっている。
ルシアが亡くなったのは明らかに過労が原因、それはムゼッティ商会からの借金をどうにかしようと病弱な身体を押して無理をしたせいであった。
それなのに俺はムゼッティ商会のいいなり、それが気にくわないと言いたいのであろう。
だが……それではどうしろというのだとサンチョは言ってやりたかった。
無理に逆らったとしてもどうにもならないのだ。
それなら少しでも怒らせないように従った方がいいに決まっている。
そもそもルシアがムゼッティ商会の足元から抜け出そうと、仕入れに行ったのが間違いなのだ。ムゼッティ商会も自分たちを殺そうとまでは思っていない。従えてこき使っていれば満足なのだから、下手なプライドなど捨てて従っていれば暮らしていけたのだ。
無理に抵抗しようとするからあんなことになってしまったのだ。
それなのに自分を責めるかのようなあの態度……そのことを考えるとサンチョはだんだんと腹が立ってきた。
(とにかく今度あいつが帰って来たら一度強く釘をさしておくか。噂が本当かどうかは知らないがどうせあいつは素人なんだ、下手に商売に手を出したとしても上手くいくわけがない)
レオンは商家の生まれではあるが物心がついて間もない頃にトーレス家は没落した。
そ以来トーレス家ではろくに商売などしていないのだから、レオンは商家の仕事など見たことがないはずだ。つまり商売の知識などない素人同然なのだ。
(そんな素人が手を出して上手くいくほど商人の世界は甘くない。一から仕込まれた俺でさえなかなか上手くいかなかったんだから……)
そこまで考えたところでまた先代の……父親の失望を隠すような目を思い出し……その目がレオンと重なった。
その途端に先ほどまでの怒りに任せた勢いが急速に萎んでいく。
(…………やっぱり俺が言うより、テオバルトさんに言われた方がいいよな。あいつが帰って来たらテオバルトさんに来てもらって自分であの噂について説明させよう。その方があいつにとってもいい薬になるはずだ)
サンチョは胸の奥から湧いて来る後ろめたさのようなものから目を反らし、レオンにもそろそろ現実を知らせてやるべきだと思うことにした。
そうして無理矢理思考を打ち切ったところで、サンチョは急に空腹を感じるようになった。
そのため夕食の支度にとりかかろうと思い、立ち上がったところで唐突にコンコンと家の入り口の扉をノックする音が聞こえて来た。
(誰だ?テオバルトさんはわざわざノックなんてしないし誰か使いの者か?……まさか、レオンが帰って来た?)
そう思うと居ても立ってもいられなくなり、サンチョは急いで入口の扉へと向かった。