1-34 達成感と恐ろしい可能性
ベルナデットの返事を聞いてレオンの笑顔が思わず引きつる。
しかしそんなレオンを見てベルナデットは頬を緩めた。
「冗談よ。確かに不愉快なことを言われることはありますが、我が家は自由を勝ち取ったことを誇りに思っています。むしろ生まれた身分とか家の伝統、そんなことでしか自尊心を保てない人間のほうが哀れに思うわ。ただ外交的に見下されっぱなしというのもよくありませんし、レオンの言う通り有効なカードにはなると思うわ」
「……ありがとうございます」
視界の隅で、オディロンが安堵に崩れ落ちるのが見えた。
心臓に悪い冗談であったがナタリーの無礼を寛容に流してくれたことには感謝しかない。お茶会もある程度認めてもらったこともありレオンは素直に礼を述べた。
それを軽く笑って受け止めてから、ベルナデットは場の空気を切り替えるように明るい声で話題を戻す。
「それで先ほど違う飲み方というのは?」
「はい、これから2種類の紅茶を出すので飲み比べていただきたいのです。ですがその準備には少し時間がかかるのでまずはこちらをお召し上がり下さい」
レオンの合図に合わせて皿に乗せられたケーキが運ばれて来る。
しかし令嬢たちの表情はあまり優れない……というのもその見た目が微妙だったからだ。
少し崩れた茶色っぽいスポンジのようなものの上に白いムース状の塊が乗せられただけという貧相な見た目、とても上等なデザートには見えなかった。
だがレオンはそれ以上何の説明も加えずに、笑顔のまま一口分フォークで切り取ると白いムース、生クリームをつけてから食べてみせる。
それを見て令嬢たちは何ともいえない表情でお互いに視線を交わす。
しかしそんな中、ベルナデットが何の躊躇もなくレオンの食べ方を真似て口に運んだ。
「…………ほう、これは……」
「いかがでしょうか?まだ試作段階ですがこれも一つの奥深さということで……」
「なるほど……面白いわ。たしかにまだあまり洗練はされていませんがこれもまだ発展途上というわけね?」
「そうですね、ただこれに関しては見た目の問題もありますし、こちらで研究していくよりはこのままレシピだけお渡ししようかと思っています。デザート作りに慣れている領主様の料理人の方で完成させていただいた方がよろしいかと……」
「あら、よろしいのかしら?」
「はい、材料だけで十分に利益がでますし、私どもが楽しむだけならこのままで十分です」
二人のやり取りを不思議そうに見ていた令嬢たちも自分の皿に目をやり、やがて決心したようにケーキを口に運ぶ。
すると先ほどまでの怪訝なようすから一転、驚いたように目を丸くする。
「へえー、ちょっと変わった味だけど意外と美味しいね」
「ねえ、これって……」
「ええ……紅茶が入っているの?」
1人を除いて彼女たちが気付いた通り、レオンが出したのは紅茶のシフォンケーキであった。
ただし語尾には「もどき」とつけた方がいいような代物だ。
どうせなら紅茶を使ったお菓子も作ろうと思ったレオンの脳裏に、真っ先に浮かんだのがこの紅茶のシフォンケーキであった。
しかし肝心の作り方が分からない。そもそも「シフォン」が何かもわからない。
ちなみにレオンは材料と勘違いをしていたのだが、シフォンは絹織物の一種でその繊維のように軽いことから名づけられた。
そのため作り方にシフォンは関係ない。
結局レオンもシフォンなるものが何かは分からなかったので、とにかくそれらしいもの作ることにした。
そして『ケーキといえば小麦粉に卵。卵白からメレンゲを作って、混ぜて焼いてしまえばとりあえず膨らんでそれっぽくなるだろう』という雑な知識をもとに、試行錯誤を繰り返して作られたのが今回のシフォンケーキもどきだ。
サラダ油も入っておらず砂糖ではなくはちみつを使ったなんとも微妙な出来の代物であったのだが、そもそもの作った目的が「こういう使い方も出来ますよ」と見せることだけだったのでそれでよしとした。そのためレシピもあっさり渡すことにしたのであった。
実際、デザート文化が現代日本ほど発展していないこの世界の令嬢たちからの反応も悪くはなかったので、後はあちらで勝手に研究して発展させてくれればいいだろう。
皆がシフォンケーキを食べている間にカレンの手によって紅茶も入れ終わり、それぞれの前に紅茶が2杯ずつと口直し用の水が運ばれてくる。
今回の紅茶は両方ともストレートティーだ。
「今回はミルクやはちみつが入っていませんので甘くはありませんが、その分香りと味の違いが分かるかと思います。どうぞ試してみて下さい」
そう言ってからレオンは早速片方の紅茶に口をつけ、かるく水で口直ししてからもう一方の紅茶にも口をつけて見せる。
それを見て他の面々も続く。
「うーん、違う?」
「ええ、こっちの方が渋みが強いような……」
「そうね、それに香りもけっこう違うわよ」
「へえー、じゃあ紅茶って色んな種類があるってこと?」
しばらくワイワイと意見を交えながら皆で二つの紅茶を飲み比べていたのだが、やがてその答えを求めてレオンへと視線が集中する。
レオンはそれに応えるように笑顔で頷いて見せる。
「はい、厳密に言うと品種は同じなのですが、育った環境が違います」
「え、品種は一緒なの?」
「同じです。違った品種もあるようなのですが今回は全く同じ品種なのです。ただ採取した場所が違う。最初にお出しした紅茶はダンジョンの平原エリアで採取したもの、今回お出しした紅茶はともに山地エリアのものですが採取場所が違います。紅茶は標高や土壌の質、雨量に日照時間、さらには採取時期など環境の違いによって味や香りが全く違ったものになるのです」
「なるほど、それがあなたの言った紅茶の奥深さですか?」
「そうです。そしてそれぞれの香りやコク、渋みによって適した飲み方もございます」
「適した飲み方ですか?」
「はい、同じ紅茶でも飲み方を変えることによってまた違った楽しみ方が出来るのですが、それにも相性というものがあります。少し失礼しますね」
そう言ってレオンが合図を出すとそれに応じて使用人たちが動き出し、皆のカップに紅茶が注ぎ足されていく。
さらに今度はハチミツも加えられ、片側のカップにはレモンスライスも追加された。
「最初に出されたのがミルクティー、はちみつだけ加えたものがストレートティー、そして今レモンも加えたものがレモンティーと言います。はちみつは今回一定の量を入れましたが好みで量を調整したり、入れない場合もございます」
そう言ってレオンが口をつけて見せると、今度は令嬢たちも待ちきれない様子でそれぞれ口をつけていく。
「あ、私レモンの方が好きかも……」
「えー、私はやっぱりミルクかなぁ……もちろんはちみつたっぷりで!」
「こっちのストレートティーもそのままの香りを楽しめていいわよ。けど私もどちらかというとミルクティー派かな?」
「…………相性ね。こちらの渋みが少し強くて香り高い方はそのままストレート。少しマイルドで香りがフルーティ―なこちらには……確かにレモンが合うわね。興味深いわ」
好みの飲み方を言い合って早くも派閥が形成されそうな令嬢組に対して、ベルナデットはなにやら味の品評を始めている。
実はレオン自身それほど繊細な舌は持ち合わせておらず、茶葉と飲み方の選定はカレンに任せているのでベルナデットの品評にはついて行けない。
その一方で仲間を見つけたと感じたのかカレンはキラキラした眼でベルナデットを見ており被った猫がはがれかけている。
そのことを察したレオンは一瞬止めようかと思ったのだが、少し考えてからその逆にカレンのフォローをすることにする。
「飲み方に合わせた茶葉の選定はこちらのカレンさんが行っておりますので、後ほど興味があれば聞いてみて下さい」
お互いに味や香りについて語り合う仲間がいた方が嬉しいだろうし、第三者の意見もあった方が研究もはかどる。
なんだかんだ言っても万能なカレンなのでベルナデットに無礼なことはしないだろうしうまくやるだろう。
「それに実はカレンさんの手によって、ダンジョン内での茶の木の植え替え実験なども行われています。今のところ順調なようなのでそのうちもっと品種もが増える可能性もあります」
「ダンジョン内で木の植え替えですか……とんでもないことを考えますね」
ベルナデットに言われてレオンは苦笑する。
カレンに相談した時には即座に採用されたのだが、どうやらこの発想は一般的には非常識な部類であったらしい。
今現在テキパキと紅茶を入れて優雅に振舞っているカレンを見ているとまるで名家の侍女かのようなのだが、やはりその本質は変わり者で間違いはないようだ。
「はい、ですがこれに成功するともっと発展性が見込めますので……。それに茶葉の種類が増えていくとそれをブレンドしたり、場合によっては植物油でさらに香りづけしたりすることでさらに新しいものが作れます」
「それはいいわね。次々に新しい茶葉が出て来るうえに、なんなら自分のところでオリジナルのブレンドを作ってもいい。確かにこれは社交向けですね」
権力者、特に貴族の社交では見栄の張り合い、自慢合戦になるようなことが多い。そうなると常に新しい物、珍しい物、自分だけのオリジナルなんかが求められるようになるのでそういった意味でも紅茶は需要に合うのだ。
「いいわ、認めましょう。レオン、確かにあなたの提案するお茶会は魅力的な社交の場でした。今後も新しい商品が出来たら真っ先に私のところにお持ちなさい。それからカレン、今ある茶葉の種類や特徴、適した飲み方について詳しく聞かせてくれるかしら?」
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」
「はい」
レオンは深々と頭を下げながら喜びを噛みしめる。
この半年間、走り回って準備をして来た紅茶のお披露目が無事成功し、領主夫人に認められたのだ。
もちろんここまで順調に来たわけではなく、トラブルも絶えなかった。
仕入れに失敗して資金が尽きかける、ティーセットはなかなかうまく出来ず、カレンは徹夜した後にダンジョンに紅茶採取に行って死にかける、シフォンケーキは炭化する……。
色々あってようやくお披露目までこぎつけたら、今度は当日になって突然の領主夫人ベルナデットが来訪し、ナタリーのポンコツ発覚だ。
とても順風満帆とはいえなかったが、その分訪れる喜びはひとしおであった。
レオンは顔をあげ、改めて部屋を見渡す。
楽しそうに談笑しながらお菓子つまみ紅茶を飲む令嬢たち。
レオンと同様、達成感を顔ににじませている使用人たち。彼ら彼女たちはレオンと一緒に何度も今日のシミュレーションを繰り返してきた。
安堵の表情を浮かべる今日だけで5歳は老けたように見えるオディロン。
そして嬉々として紅茶について語るカレンと目を輝かせてそれを聞くベルナデット。
充実した気持ちでそれらを眺めていたレオンであったが、ふと恐ろしい想像が脳裏をよぎった。
『最初からカレンをベルナデットに紹介すればそれだけで済んでいたのではないか?』
後日、ベルナデットがカレンのことを『先生』と呼んでいるのを見かけこの仮説はより信憑性を増したのだが、レオンがそれに触れることはなかった。