1-29 招待状はお持ちですか?
「レオン君、準備はいかがですか?」
後ろからかけられた声に反応してレオンはふりかえる。
そこには一人の青年が笑みを浮かべて立っていた。
美青年といっても差支えない顔立ちに、派手ではないが上質なものだと一目でわかる整った身なり、この建物の主オディロン・ジスカールだ。
「はい。大丈夫ですよ、オディロンさん」
レオンは笑みを浮かべてそう答えてからあらためて部屋の中を見回す。
この部屋に準備されたものはレオンが迷宮都市ベギシュタットを駆け回って準備してきたものだ。
(けど念のため抜かりがないか後でもう一度チェックしておこうかな)
緊張のせいか少し不安になったレオンがそう考えたところで、部屋の扉がノックされる。オディロンが応答すると使用人らしき人物が現れて彼に何事かを話し始める。
レオンがその様子を見守っていると、話を終えて顔上げたオディロンと目が合った。
「レオン君、少々困ったことになりそうです」
そう告げたオディロンの表情は困惑に彩られていた。
レオンが初めて迷宮都市ベギシュタットを訪れてから半年が経った。
その間レオンは何度か故郷のプレージオとベギシュタットの間を往復した……というよりも納品のために何度かプレージオに戻ったものの一泊ほどしか滞在せず、そのほとんどをベギシュタットで過ごしてた。
家にいたところで父親のサンチョとはまともな会話を交わすこともない。
たまに向こうから話しかけてきたと思ったらポーションの納品に関する要求ばかり。
ムゼッティ商会のメッセンジャーでしかなかった。
サンチョの立場もあるだろうから常識的な要求には応じるようにしているが、言いなりになっても要求がエスカレートするだけなので適当なところで断っている。
そのためムゼッティ商会のバカ息子、テオバルトと顔を合わせたくはない。
そんなことも相まって、なるべくプレージオには留まらないようにしていた。
その一方、ベギシュタットでの生活は充実していた。
探索者ギルドの職員ナターリエをはじめ、探索者兼紅茶職人のカレン、探索者のホルスト、宿屋夫婦のヨーゼフとヨハンナなどと交流を深めながら、紅茶を売り出す準備を着々と進めて来た。
そして今日、その成果を見せるべく交易都市ラブールへと来ていた。
今いるのはラブールに居を構えるジスカール商会というレオンと取引のある商会の建物で、先ほどレオンへと話しかけて来たのがその会長オディロン・ジスカールであった。
このオディロンは穏やかな貴公子のような見た目なのだがかなりやり手で、若くして商会を継ぐとすぐに頭角をあらわし、弱小の商会であったジスカール商会をこのラブールで中堅といっていい位置まで押し上げた新進気鋭の商人である。
特に新しい商品や物事に対する発想が柔軟で、子供の姿で現れたレオンを軽視することもなく、ベギシュタットから持ち込んだ足の早い生鮮食品なども嬉々として買い取り、それをしっかりと利益につなげていた。
その結果レオンとの付き合いも徐々に増えて親交も深まっていき、紅茶の売り出しにも協力することとなったのだった。
「それでオディロンさん、問題とは?」
「それがね、今日お招きする予定だったロメーヌ・マルラン嬢なんだが……先日開催された領主様の夜会で紅茶のお披露目の件をお話してしまったそうなんだよ」
「はあ……」
曖昧な返事を返したレオンであったが、話してしまって起きるトラブルといえば大方の予想はつく。
「それを聞いた彼女のご友人が興味を持ってしまってね。急遽本日お越しになることになってしまってね」
そしてその予想はどうやら当たっていたようなのでレオンはホッとする。
本日紅茶をお披露目する相手、ロメーヌ・マルランはこの街の有力者の娘だ。そういった人間が突然無茶を言い出すことはよくあるので、レオンたちとしても多少人数が増えたりすることなんかは十分に想定内であった。
むしろ友人が来てくれるなら宣伝効果は数段良くなるのでこちらとしてはありがたい限りだ。
「そこまではむしろ私も想定内でよかったんだが、そのご友人の令嬢が出かける際に母親に捕まってね……」
「…………」
「なぜかその母親もお越しになることになってしまったんだ」
「…………なるほど。それは……完全に想定外ですね」
そもそも今回お披露目の相手にロメーヌ・マルラン嬢を選んだのは、好奇心旺盛で新しいものへの食いつきよく、まだ若くて見る目は肥えていない令嬢だったからだ。
そこから徐々に広めていき、その間にこちらも見せ方を洗練させていく予定だったのだが、友人どころかその母親が来てしまうのは完全に想定外だ。
しかもオディロンの話はそこで終わりではなかった。
「さらにそのご友人母娘というのが問題でね…………」
「…………」
「この街のご領主様の奥方ベルナデット・バラデュール様と、そのご令嬢アデライト・バラデュール様のお二人なんだよ」
「…………そうきましたか」
(一番くみしやすいご令嬢を選んだはずだったのに、おまけで領主夫人がついて来ちゃいましたって……。しかもこの街の領主夫人ってことは……)
この交易都市ラブールの所属するルーネス共和国には王家というものが存在しない。
一応は四年に一度国家元首を決めるものの、基本は7つの主要都市の首長による合議制で運営される連邦国家だ。
元々このルーネス共和国とレオンの出身国メンブラート公国は合わせて一つの王国だった。
しかし圧政が続きそれに耐えかねた民衆が各地で反乱が起こし、主要都市が次々と独立していった。
その結果、王家に次ぐ権力を持っていたメンブラート大公の領地とその周辺地域が合わさってメンブラート公国なり、それ以外の主要都市の連合体としてルーネス共和国が出来あがったのであった。
ちなみにそういった経緯で成立した国なのでこの国には貴族というものは存在しない。
そんなルーネス共和国に属する交易都市ラブールであるのだが、実はその独立した主要都市のうちの一つに数えられている。
つまりはその領主とは国政を司る7人の最高権力者のうちの一人であり、その夫人となるとこの国において最も影響力の強い女性の一人ということになる。
「それでね……」
「おっとまだあるんですか?ここでさらにとどめを刺しにきます?」
「とどめって……いやー、レオン君にまだ余裕があるようでよかったよ。それでなんだけど、うちの妹がそれを聞いてパニックをおこしてしまってね……とてもじゃないが、ホスト役を務められそうにないんだよ」
「別に余裕があるわけじゃないんですが……しかしそれは困りましたね」
紅茶をお披露目するにあたりレオンとオディロンの目論見としては、まずオディロンの妹ナタリー・ジスカールがご友人の令嬢ロメーヌ・マルランをお茶会にお誘いすると形式をとる予定だった。
これは富裕層に紅茶を広めるためのツールとして、中世ヨーロッパ貴族の行っていたようなお茶会を普及させればいいのではないかと考えてのことであった。
元々この国やその周辺には紅茶自体がほとんどなかったため、当然お茶会という文化も存在ない。
そこでレオンは「ないなら作ってしまえばいいのでは?」と考えたのだ。
もちろん前世のレオンがお茶会の風習について特別詳しかったというわけではないので細かい作法などはさっぱりわからない。
しかし元々こちらの世界にはないものなのだ。
それならばむしろ好都合というものでレオンのいいように作り変えてしまえばいい。
好奇心の強いオディロンもレオンから「かつて読んだ本に出て来た古代にあったとされるとある王国の風習」であるお茶会について聞くと、是非ともやってみようと喜んで協力してくれた。
それは単純な好奇心からというのもあったようだが、もちろん商人として冷静に利益と成功率を計算したうえで協力でもあった。
しかしそんな二人の計画は領主夫人の登場によりあっさり崩れることとなった。
オディロンの妹ナタリーはオディロンとは10歳以上離れて生まれた娘で、すでに後継者として頭角を見せ始めていたオディロンとは違いただただ両親から可愛がられて育てられたいわば箱入り娘だ。
当然商人としての修業もしていないし、目上の者を相手に饗応役を務められるほどの経験もない。
そんな彼女にこの国で最も身分の高い女性の相手を務めろといったところでさすがに荷が重すぎるだろう。
「そうなるとロメーヌ嬢を招待していただいた手前ナタリーさんには同席してもらう必要はありますが、説明やおもてなしについてはこちらで行うしかないでしょうね」
「問題はどちらがホスト役を務めるかなのだけど……」
「それはもちろん、ここの主であるオディロンさんが行うべきでしょう」
当然という風にレオンは大役をオディロンに押し付けようとするが、そのオディロンは人の悪い笑みを浮かべてジッとレオンを見ている。
嫌な予感がしたレオンがさらに追い打ちをかけようとするが、それを制すように先にオディロンが口を開く。
「いや、実はね……うちの妹がロメーヌ嬢を招待するにあたり色々と話をしたそうなんだけど……その中でもロメーヌ嬢が特に興味をもったのが『紅茶を持ち込んだ兄と対等に商談が出来る可愛らしい商人さん』らしいんだよ」
「それってまさか……」
「もちろんそのご友人のアデライト様にも同様にその話をしたようで彼女もとても興味を持ったようだ」
「いや、だからって……」
「それに私はこの街では商人としてそれなりに名が知られている。もちろん挨拶には顔を出すけど私が説明するとどうしても売り込みとして警戒されてしまう」
「…………」
「彼女たちもそれよりは可愛らしい商人さんから話を聞きたいと思うよ」
「…………あとでナタリーさんにはとても渋い紅茶をご馳走する必要がありそうですね」
「何を言っているんだい?ナタリーのおかげでレオン君への警戒心が薄れたのだからぜひとも甘いミルクティーをご馳走してあげてくださいね」
満面の笑みでそういうオディロンを見て「対等な商談相手になるにはまだまだ先は長そうだ」と白旗を上げるレオンなのであった。