3-09 ヴェレンテ防衛戦 開戦
セヴェーロ王国の西部最大の都市ヴェレンテ。
その西側の平原に押し寄せて来た魔物の群れ。
その数は約五万といったところだろうか。
対するヴェレンテの防衛部隊は臨時招集された者たちを合わせても三万程度。
一見すると戦力的に不利なようにも見えるが、ヴェレンテには高さ十メートルを超える強固な城壁が備わっている。
また臨時招集された者たちが含まれていると言ってもそのほとんどは探索者だ。統率という面では一般的な兵士より劣っているかもしれないが、個々の能力ではむしろ勝っている点の方が多い。それに彼らは魔物退治の専門家だ。
状況としてはむしろ有利と言えなくもなかった。
とはいえ相手は未知の魔物だ。
フィレット王国軍をあっさり壊滅させたことからも、魔物一体の戦力が一般的な兵士一人より劣っているということはないだろうし、ホルストはあまり楽観的にはなれなかった。
そのため少しでも相手の情報を集めようと城壁の上から魔物たちの様子を窺っていたのだが、そんなホルストに後ろから声をかける者がいた。
「どうしたの?そんな辛気臭い顔をして……。随分熱心に魔物たちを見ているみたいだけど、そんなんじゃ戦いが始まる前に疲れちゃうわよ」
そう言って彼の横に並ぶようにして胸壁にもたれかかったのは、メリハリの利いた肢体を革鎧に包んだ女性探索者。年の頃は二十代前半といったところで、目鼻立ちのハッキリした美女であった。
彼女の名前はヴァレリア。
同じ村出身の探索者で、ホルストにとっては幼馴染にして義理の妹ともいえる人物でもあった。
もっとも彼女は探索者といってもベギシュタットで迷宮に潜っているわけではなくこのヴェレンテを拠点に活動している探索者で、護衛や魔物たちの間引きをして生計を立てているとのことであった。
「いや……まあ少しでも有利になりそうな情報はないかと思ってな、あいつらのことを観察していたんだ」
そんな彼女に対するホルストの態度はややぎこちない。
なにせ幼馴染といっても彼女とは十年以上会っていなかったうえに、彼女はホルストの五つ下だ。
ホルストの中での彼女のイメージは十歳前後の少女で止まっており、一番印象に残っているは探索者になると言って村を出ようとしていたホルストに「行かないで」と言って泣きながら縋りついて来ていた姿であった。
そんな彼女が今や大人の女性、しかもどこか色気を漂わす美女となって現れたため、なんとなく距離感を計りかねていたのであった。
「なるほどね。それで何かわかったのかしら?」
もっともヴァレリアの方はそんな昔のことは全く気にしていない様子なので、自分も普通に接するべきなのだろう。
そう思ったホルストはひとまず昔のことは頭の隅に追いやって、目の前にある問題に集中することにした。
「ああ、ひとまず魔物たちの能力についてはおおよその目星はついたかな」
「へえ……お聞かせ願えるかしら?」
「ああ。まず外見は見ての通り体長二メート前後でアリのような形をしているんだが、さほど硬いというわけじゃなさそうだ。おそらく付与ギフトがなくてもある程度攻撃を通すことは出来るだろう。フィレット王国軍の一般的な兵士の攻撃も普通に効いていたみたいだからな」
「なるほど……。昨日の惨状の中でよくそんなところまで見ていたわね」
「まあこれは付与ギフトを持ってない俺にとっては死活問題にかかわるからな」
「……さすが頂きの迷宮に挑んでいるだけのことはあるわね。前衛が付与ギフトなしじゃあ絶対あそこではやっていけないって聞いていたんだけど……」
「それも間違いじゃないさ。実際最近まで俺自身、自分の中で認められていなかっただけで先に進める可能性は限りなくゼロに近かったんだからな」
そう言って苦笑するホルストを見てヴァレリアはやや驚いたような表情をしたのだが、その後微かに笑みを浮かべた。
それはホルストが自分の弱さを認めたことに対するリアクションだったのか、もしくはそのことを過去形で語ったことに対するものだったのか。
そのどちらなのかはホルストには分からなかったのだが、なんとなく自分の過去の葛藤を見透かされたようで気恥ずかしくなり、すぐに話題を戻すことにした。
「まあ俺の話は置いといてだな、とにかく普通の攻撃が通用するっていうのが重要なんだ。なんせ一般的な兵士の半数以上は俺と同様に付与ギフトなんか持っていないんだからな」
「そっちの方も気になるんだけどまあ今はいいわ。確かにそれは大事なことだしね」
そう言っていたずら気な笑みを引っ込めたヴァレリアを見て、ホルストはホッと胸を撫でおろした。
もっとも重要なことだというのは本当の話で、ホルストの言う通りこの場にいる兵士のうち半数以上は付与ギフトを持っていなかった。
彼らが相手にするのは主に人間であるし、魔物を相手にするにしても弱い個体がほとんどだ。そのため兵士という職業には探索者ほど付与ギフトが必須だとはされていなかった。
それどころか腕には自信があるが付与ギフトがなくて探索者になるのを諦めた、そういった人達が兵士になることも多かった。
そのため付与ギフトを持たない兵士も多かったのだが、そんな兵士の攻撃でもダメージを与えることが出来るというのはかなりの朗報であった。
「それからもう一つ、どうやらあいつらは夜行性じゃなさそうだっていうのも大きいな。今はああやってうごめきながら戦闘開始を待ち構えているが、夜の間は完全に動きを止めていたらしい。恐らく寝ていたのだろうってことだから、あまり夜襲を警戒する必要はないかもしれないな。まあそう決めつけてしまうのも危険なんだが……」
「それでも確かにそれは朗報ね。あんなのが夜中に襲ってくるかと思うと安心して寝ることなんてそうそう出来ないでしょうし、長期戦になりそうなことも考えると、夜に眠れそうだっていうのは正直かなりありがたいわね」
そう言って笑みを浮かべるヴァレリアを見てホルストも頷いた。
だが彼の表情に笑みはなかった。
「ああ、だが不確定要素も多いんだ」
「……例えば?」
「まずあいつらがアリの形をしているってことだ。その能力もアリに近いとすると、あっさりとこの城壁を上ってくる可能性がある。さすがにデカいから体重がある分それほど易々って感じではないと信じたいがな」
「…………確かにそうなるとちょっと危ないわね」
「ああ、それにあいつらの中央部が見えるか。あのあたりから色が少し変わっているんだが……」
そう言ってホルストが指さした方を見て、ヴァレリアは目を細めると少ししてから頷いた。
「ええ、確かに少し色が変わっているように見えるけどそれが……まさか」
「ああ、あのあたりにいるのは別個体、おそらく上位個体に違いないだろう。それに魔物たちがこれだけ統率された動きをしているんだから、指揮をする個体がいることも間違いない」
「つまり……そいつらがどれほどの力を持っているかによって戦況は分からなくなるってことね」
「ああ、そうなるな。だからなるべく魔力は温存した方がいいかもしれないな。それに……」
「ヴァレリア!!」
ホルストがさらに言葉を続けようとしたところで、彼らの後ろから大声を上げて若い男が走り寄って来た。
戦士風のその男の後ろからは、さらに数人の探索者らしき者たちも歩いてこちらへと向かって来ているのが見て取れる。
「ヴァレリア、探したんだぞ。朝食の時、後で会議をするからって言ってたじゃないか」
「ああ、ごめんなさい。みんなゆっくりしてたからまだ時間があるかなって思って。それに会議をする前にホルストの話も聞いておきたかったから……」
「…………意見を聞くってそいつ緑青じゃないかよ!そんな奴の意見を聞いたところで……」
「トーニオ!!」
あえてホルストを無視するかのようにヴァレリアに話しかけた若い男トーニオ。
彼はヴァレリアのパーティーメンバーであった。
後ろからついて来ている者たちも同様で、彼らはこのヴェレンテで銀ランクパーティーとして活動していた。
そのためヴァレリア以外は銅ランクであるホルストのことをどこか下に見ている部分があり、特にこのトーニオはその傾向が顕著であった。
今回も万年銅ランクいう意味の蔑称、緑青呼ばわりして露骨にホルストを侮辱したのだが、怒ったヴァレリアに怒鳴りつけられて口をつぐんだ。
もっともホルストの見た所、このトーニオの方はどう見てもヴァレリアに思いを寄せている様子だったので、かえって逆効果のような気がしないでもなかった。
ちなみに彼らのように地方にいる探索者はベギシュタットの頂きの迷宮に潜っているわけではないので厳密に言えば銀ランクではない。だがギルドから銀ランク相当の実績や実力があると認められた場合にはランク証を与えられ、銀ランクを名乗ることを許されているのであった。
口をつぐんだものの、敵意をむき出しの目でホルストを睨んでくるトーニオ。
そんな彼の様子にホルストが内心で苦笑していると、近寄って来た彼らのパーティーメンバー、リーダーであるウバルドがホルストに話しかけて来た。
「すまないな、うちのバカが失礼なことを言って……」
そう言って詫びを口にしたウバルドであったが、やはりどこか見下したような態度であった。
ホルストからすると直情的なトーニオよりむしろこのウバルドのような態度の方がよっぽど不愉快だ。
そのためそんなウバルドと話すような気にはなれず、軽く受け流してさっさと会話を切り上げることにした。
「ああ、気にしないでくれ。実際本当のことだしな。こっちこそ会議の邪魔をして悪かった。ヴァレリアも呼び止めて悪かったな。また今度時間がある時にゆっくり話をしよう」
そう言ってホルストは彼らに背を向けると、再び魔物たちの方に視線を向けるのであった。
そんなホルストの様子を見て、ウバルドはわずかに眉をしかめた。
本人の言う通り、ホルストが本当に気にしていないように見えたからだ。
普通はあの歳で銅ランクならどこか卑屈になるのだが、そんな空気がない。むしろ聞き分けのない子供に対する余裕のようなものを感じて、こちらが下に見られているような気分になり少し不愉快に感じたのであった。
もっともウバルドもそんなことでわざわざ言いがかりをつけるつもりもいかない。
「そうか……こちらこそ済まなかった、それでは失礼する。おいっ、行くぞ」
そう言って、皆に声をかけてウバルドはこの場を後にすることにした。
ヴァレリアが何か言いたそうにホルストの方を見ていたが、あえて無視をする。
トーニオが過剰に反応することもあるし、彼女にはあいつともう少し距離を置くように言った方がいいかもしれないな。
そんなことを思いながらウバルドが足を踏み出そうとしたところで……
「待てっ!」
ホルストから鋭い制止の声がかかった。
その緊迫感を帯びた声にウバルドは思わず警戒しながらホルストの方を振り返ったのだが、彼は自分たちの方を見ていなかった。
そんなホルストの態度に思わずトーニオが何か言おうとしたのだが、それをウバルドは制止する。
そして……
「動き出したぞ……」
つぶやくように言ったホルストの声を聞いて、彼も胸壁へと走り寄った。
そして眼下に飛び込んできた光景に息を飲む。
ゆっくりと押し寄せ来る黒い波。
ついに防衛線の火ぶたが切って落とされたのであった。