3-07 魔物の正体
ギルドからの緊急招集を受けてから三日後、レオンの姿はガタゴトと揺れる馬車の車中にあった。
馬車の中には彼のパーティーメンバーも座っており、セフィとイリーネに加え、カレンとハミードの姿もある。
そしてギルドから補充されたパーティーメンバーのうち最後の一人、サミアの姿もあった。
彼女はギルドの警備部所属で、以前レオンやセフィと共に夜盗を退治したことがある。
その時に腕が確かなことは確認しているし信頼できる人物でもあることも分かっている。そのためレオンからすると非常にありがたい人選であった。
どうやらギルドにはかなり気を遣ってもらったようであった。
ベギシュタットを出発した探索者ギルドの先遣隊はとうにセヴェーロ王国内に入っており、救援目標の都市ヴェレンテまでの行程のうち、もうすぐ半分に到達しようかという地点まで来ていた。
本来は十日以上かかる行程を七日間で踏破しようという強行軍。
最初聞いた時はかなり無茶なように聞こえたのだが、全員が馬車に乗車しての移動であったうえに、ギルドの手配によって各地で替え馬や御者が用意されていたため、脱落者が出るようなことにはなっていなかった。
これにはレオンも正直かなり驚いており、探索者ギルドの力をまざまざと見せつけられた気分であった。
もっとも夜の間も馬車に揺られっぱなしであったりしたので、先遣隊の面々はかなり疲れがたまってきており、レオンたちの乗る馬車の中にもなんとなく気だるげな空気が流れていた。
レオン自身も旅慣れているとはいえさすがに今回は疲労を感じ始めていた。
そのため馬車が減速し始めた時には思わずといった感じで安堵のため息を吐いたのだが、やはり同乗者たちも気持ちは同じであったようで、車内の空気が一気に軽くなったように感じた。
馬車が完全に停車したところで、最後尾に座っていたレオンはすぐに馬車から飛び降りると、大きく伸びをして凝り固まった身体をほぐした。
辺りを見回して見るとすでに周囲は薄暗くなってきており、そこかしこで火が起こされていた。比較的開けた場所に馬車散らばって停車していたので、どうやら今日はここで野営をするようであった。
野営とはいえ揺れない床で眠れることが嬉しいようで、作業にとりかかる面々の表情は明るい。
レオンも正直ホッとしていたので恐らく彼らと同様の表情をしていることだろう。
もう一度大きく伸びをすると、レオンもさっそく野営の準備へととりかかるのであった。
完全に日が暮れて辺りが闇に包まれ始めた頃。
先遣隊の面々は無事に野営の準備も終え、焚火を囲みながら夕食をとっていた。
レオンたちのパーティーもその例に漏れず皆で焚火を囲んでいたのだが、その輪の中には探索者ギルドの職員オットマーも混じっていた。
「それでオットマーさん、あちらの戦況はどんな感じなんですか?」
皆があらかた食事を終えたのを見計らってからレオンがそう切り出すと、皆も気になっていたようで雑談をやめて彼へと視線を集中させた。
「そうですね、正直あまりよくありません。とうとう魔物たちの群れが再び押し寄せて来たようなのですが、ヴェレンテの前に布陣していたフィレット王国軍はひと当てされただけであっさりと瓦解してしまったようなのです。セヴェーロ王国側の見込みとしてはもう少し善戦すると見ていたようなのですが、足止めにすらならなかったようですね。そのためヴェレンテでは明日にでも本格的な防衛戦が始まるのではないかということでした」
「えっ?でもヴェレンテの前に布陣していたフィレット王国軍って確か侵攻軍の本隊だったはずですよね?一度は撃退していますし……それがそんなあっさりと敗れるものなんですか?」
思わずといったように聞いたイリーネであったが、それに対して返って来たオットマーの答えは非常に不愉快なものであった。
「それがどうも指揮官たる貴族たちが、精鋭部隊だけを引き連れて軍を離脱したみたいなのです」
「へっ?それってまさか……」
「ええ、命惜しさに自分たちだけ夜逃げしたみたいですね。しかも残った部隊には待機命令を出したうえで」
「…………一般兵はおとりってわけか」
吐き捨てるようにそう言ったサミアであったが、周りで聞いていた面々の心情も似たようなものだったようで、そこかしこからため息の音が漏れ聞こえていた。
ただその中でもセフィの反応は特に激しく、その表情には嫌悪感どころか怒りすら含まれているようであった。
だがそれも仕方のないことであった。
なにせその逃げた貴族の中には彼女の叔父にあたる人物が含まれていた可能性が高かったからだ。
先日の会議の後、レオンは意を決してセフィに事情を尋ねてみたのだが、彼女は意外とあっさりとした様子でここに来るまでの事情を教えてくれた。
どうやら彼女としても、誰かに話してしまいたいという思いがあったようであった。
そしてその際彼女から聞いた情報によると、どうやら今回の紛争には彼女の叔父も深く関わっていたようで、恐らく今回の侵攻軍にも加わっているだろうとのことであった。
彼女が言うにはもはやその叔父に対しては親族としての情は一切残っていないとのことであったのだが、それでもかつては身内だった人物だ。
やはり思うところがあるのは当然であった。
一方そんなセフィの事情を知らない面々は彼女の様子には気付かずに、戦況に関する話を続けていた。
「それで敗れたフィレット王国軍はどうなったの?」
そう聞いたサミアの方を見て、オットマーは静かに首を振った。
「散り散りになって逃げたようですね。恐らく半分も助からなかったでしょうが……」
するとハミードが呆然としたように呟く。
「そんな……セヴェーロ王国側は一切保護しなかったんですか?」
「ええ、一部でそういった声も上がったようですが、反対する声の方が強くて結局は見捨てたようですね」
それを聞いてショックを受けたような顔をするハミードであったが、サミアはさもありなんといった様子で頷いた。
「まあ当然だろうな。セヴェーロ王国側にだって余裕があるわけじゃないでしょうし、魔物を招き入れる危険性を冒してまで助ける義理なんてないだろうからな」
「でも目の前で魔物に襲われているのを見捨てるなんて……。それに助けておけば戦力にもなったかもしれないじゃないですか」
「ああ、なったかもな。でも間違いなく士気は落ちるし火種を抱えることにもなる。フィレット王国軍に家族を殺された人だってたくさんいるはずだからな。最初はなんとかなるかもしれないが、状況が悪化するとそう言った火種はすぐに燃え広がることになる。最悪内部崩壊が起きるだろうな。だからそうなるくらいなら最初から受け入れない方がいい」
「そんな……」
相変わらずお人好しなハミードに対してシビアな見方を突きつけるサミア。
同じ獣人で同じ部署に努める二人であったが、その考え方は対極にあるようであった。
現代人の倫理観を持つレオンからすると心情的にはハミードに賛成したいところなのだが、生き残りをかけたシビアな状況を考えるとサミアの意見の方が正しいように思える。
ただどちらにせよ答えの出る問題でもなさそうなので、二人の問答には口出しせずにレオンは気になっていたことを聞くことにした。
「それで、魔物の正体はわかったんですか?」
実のところ先日の会議の時点では、まだ魔物の種類が特定されていなかった。
第一報の時点で虫系の魔物が多いということは分かっていたのだが、どうやらあまり見かけない種類の魔物だったようで、それがどんな種類の魔物か、それ以外の種類の魔物がいるのかということがわかっていなかったのだ。
だが今は最初の報告から数日が経っている。
さすがに今は特定できただろうと思って聞いたレオンであったのだが、返って来たオットマーの答えは歯切れの悪いものであった。
「実はこの魔物だろうという目星はすでについているのですが、まだ確定されたというわけでもないのです」
「その言い方ですと恐らく相手は一種類の魔物だったということなんでしょうけど、まだ特定されていないっていうのは少し意外でしたね」
「はい、亜種……というか個体差はかなり激しいのですが、基本的には一種類の魔物ということで間違いないです。ですがそれが非常に珍しい……というよりも誰も見たことのない魔物のようでして……」
「誰も見たことのない魔物ですか?」
オットマーの発言に驚いて思わず聞き返したレオンであったが、すぐにその発言が矛盾していることに気付く。
「でも目星はついているんですよね?見たことのない魔物なのにどうやって目星をつけたんですか?」
「ああ、少し言葉足らずでしたね。正確に言うと現在の人間は誰も見たことがないということです」
「ということは現在ではない人間は見たことがある……つまり過去には確認されたことのある魔物だということですか?」
「はい。現在の資料の中には見つからなかったんですが、過去の文献の中に似たような魔物に関する記述がありまして……」
「つまり現在は存在しないと思われていた魔物ということですか……」
地球でも深海や極地、未開の地などで生きた化石と言われるような生物がたまに発見されることがあるが、どうやら今回の魔物もそういったたぐいであったようだ。
そう思ったレオンであったのだが、オットマーの説明はそれとは微妙にニュアンスの異なるものであった。
「というよりも人間の方がその生息地に行かなくなったという方が正確ですね。実はこの魔物が生息していたというのはダンジョンなんです」
「えっ?ダンジョンにいた魔物なんですか?」
「ええ、ただダンジョンといっても頂きの迷宮ではありません。そうではなくてもっと僻地にあったダンジョンにいた魔物のようなのです。しかしそのダンジョンが何らかの理由によって利用されなくなってしまった。その結果現在は未知の魔物になってしまったということのようですね」
「つまりダンジョンでしか見つかっていなかった魔物が、今回はそれ以外の場所で初めて発見されたというわけですか」
「ええ、恐らくはそうだと思われるのですが……もしかすると今回発見されたのはそのダンジョンそのものなのかもしれません」
「え?つまりその廃棄されたダンジョンが実はフランヴェール山脈の中に埋もれていたということですか?」
「ええ、厳密にはダンジョンの本体が、ということになるのですが……」
この世界で発見されているダンジョンというのは基本的にそこにあるのは入り口だけで、そこから転移陣に乗ってどこかに飛ばされるというのが一般的だ。
ベギシュタットにある頂きの迷宮なんかも、あれほど広大なダンジョンがあそこに埋まっているとは考えられないので、恐らくダンジョンの本体はどこか遠くにあるのではないのかと考えられていた。
レオンなどはどこか異次元空間にでもあるのではないかと思っていたのだが、オットマーが言うには、今回発見されたのはそのダンジョンの本体だったのではないかということであった。
「なるほど……確かにダンジョンということであれば鉱脈があったのも説明がつきまし、理屈は通っていますね」
「ええ」
つまり今回発見された鉱脈というのがそもそもダンジョン一部であり、その鉱脈を外側から掘り進んだ結果ダンジョンの本体に穴を開けてしまい、中にいた魔物たちが外に溢れ出してしまった。
これが今回の事件の真相ではないか、というのがオットマーの推測なのであった。
思わず納得したように頷いたレオンたちであったのだが、そこで今まで黙って聞いていたカレンがポツリとつぶやいた。
「今回発見された鉱脈は……白金?」
「……ええ、そうです」
それは独り言ともとれるような小さな呟きであったのだが、それに聞いたオットマーは途端に非常に渋い顔になった。
それを見てレオンも最悪の可能性にようやく思い至る。
「えっ?それがどうかしたんですか?」
それとは逆に彼女の質問の意図が分からず不思議そうな顔をしていたハミードであったのだが、イリーネやサミアはすぐにその意図に気付いた。
「えっと……それってつまり、そのダンジョンは白金が採掘できるほどの難易度だったってことですか?」
「つまりそこにいる魔物も白金ランク相当の可能性が高い」
「ええっ!?」
そこでようやくハミードも最悪の可能性に思い至った。
探索者のランクを表す金属は、頂きの迷宮の到達階層で採れる鉱石から命名されている。
つまり白金の採れるダンジョンの難易度は白金ランク相当。
それが探索者の常識であった。
「まだそうと決まったわけではありませんが、文献で見つかった魔物と同じものだとすると、間違いなく厄介なことになるでしょうね」
そう言ったオットマーの表情はかなり深刻なものであった。